南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆何宣言

2017-01-05 22:30:19 | 思うこと

 2908 http://www.sky-plastic.com/沼津のセピックは、後継者がなく、太田化工に吸収されることになったが、この会社は、自分から望んで、独立して約3年半過ぎた。技術的にも完全に自立し、新しいアイテムにも積極的に取り組み、また、公共の援助も受けて、これから成長してゆく可能性が高い会社だと思う。将来性があると確信する。積極的に応援したい。経営者も45歳と動きやすい年齢だ。その会社を訪問した。開業前、引取機や水槽や金型をインドネシアから手伝った。

今、作っている製品の問題点について、ちょっと、アドバイス。

 

タイミングがいいのか悪いのか、妻の姉の旦那が亡くなった。私の義理の兄になる。79才。山梨まで行かなければならない。ゴルフはキャンセルした。

 

勤めていた会社を辞める前、一年前に、書面で、条件を示して、その条件が受け入れられない時には、止めると、上司に宣言というか、お願いをしてあって、一年後、全く、それを、無視されていて、何も、手を打ってくれていなかったので、ぴったり、一年後、退職届を出して、翌日から、出勤しなかった。その後、半年、退職票を出してもらえず、説得のようなものが続けられたが、今更、何だと、私を変えるわけにはいかなかったし、言ったことは、実行精神に反すると、そのまま、その会社で仕事をすることはなかった。

止める予告を出した時から、そのことは、身内や周りの人達、取引先など、お世話になっている人、関係者には、折あるごとに、話をして置いた。それは、自分の意志が変わらないように、だった。

 

そして、自分で作った会社を他人に引き継いでもらい、自身は外国へ行く前、矢張り、一年前には、関係者皆さんに宣言をしていたし、従業員もそのことを宣言して募集もした。後継者募集広告をだして、48歳の時に、50歳になったら、君たちの誰かにこの会社を引き継いでもらうと宣言をした。勿論、銀行にも、客先にも、原料メーカーにもであった。そして、その通り、50歳になったその年末に、社長を止めて、顧問になった。そして、三年後、インドネシアに行った。これも、気持ちがゆらがないように、だった。何故だと、何かあったのと、いぶかる人も多かったと思う。

 

そして、今、身の回りの人、特に家族に宣言をしている。手伝っている会社のコミサリスにも、日本やインドネシアのゴルフ仲間にも、或る宣言をしている。気持ちが変わらないように、である。

 

しばらく出かけていないが、

http://otaenplaext.net/newpage22.html

 予告 宣言 実行

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