南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆ついにここまで

2017-01-19 22:55:24 | 思うこと

 2923 新工場に来ていただく方というか、運送屋もサプライヤーも、途中で、必ず、場所の問い合わせが入る。無しで、スッと来た人は一人もいない。ジャカルタからも3人来ているが、相当、迷ってからやっと、到着という感じだった。カーナビは意味をなさないし、搭載している車は特別だ。ジャカルタとは別の世界だ。

 

 工場の場所は、そのエリアに、入口らしきところから入って、一番奥にある。補装はしてはない、何もない場所を通って、行く。

 

 工場について、振り返ると、こんな風景。

 

 ミーアヤムやナシゴレンなどをインスタントで作る、ワルンができ上げっていて、私にも、昼にはどうか、と、言ってくるが、今、私は、昼食抜きにしているから、と、断っている。体重が65Kgまで落ちたら、8000Rpのミーアヤムスペシャルを食べようと思う。

 

 ついに、こんな田舎まで来てしまった。1996年、先ず、MM2100の現在、PT,NANBUのファクトリー2の場所に赴任した。最初の住処はリッポチカランのクラウンコートだったが、直ぐに、ルマーアバングラハタマンに引っ越した、ここに6年ほどいた。次は、矢張り」MM2100の奥の方のAFMIだった。ついで、マクタというローカル会社を作らせて、チビトゥンにいた。住処は、デルタマスが主だった。次は、MM2100に戻って、ナンブのファクトリー1で、時々、日本のナンブを手伝いながら、仕事をした。ついで、ヒュンダイの会社ASKA、この時から、現在の会社、ENDOTA、ジャバベカ2までは、タマンセントサにいた。そして、一年だけ、グラハタマンにお世話になった。日曜日にここから出る。20年目にして、住処も会社もど田舎になった。そして、半年その環境にいることになった。

 別世界 最終拠点 田舎

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