南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆別れ

2018-03-21 22:27:52 | 情報

 3350 http://www.tribunnews.com/seleb/2018/03/19/chef-harada-berpulang-dari-jepang-hijrah-ke-jakarta-sampai-bintangi-film シェフ原田がなくなったというニュースがありましたね。着物でハチマキスタイル、いかにも、インドネシア人受けしそうな格好で、バッパバッパ イブイブと声を掛けながら、手際よく料理をするスタイルは彼独特で、料理番組というよりバラエティー番組によく出ていた。和食の職人だが、インドネシア料理と融合させた料理を良く紹介していた。数少ない日本人タレントがいなくなって、残念ですね。

 

分かれといえば、昔より、なんて歌があるが、昨日、紹介したお二人は、既に亡くなっている。私がインドネシアにいる間なので、葬儀に参列はできなかった。

 

とにかく、私くらいの年になれば、どうでしょうか、同じ年代でも10%くらいの人は亡くなっているし、生きていても数%の人は、自由に出歩けない状態だろうし、数%の人は、認知症の兆候があるでしょう。合計20%くらいの人は、既に社会生活に参加できない状態になっている。だから、10年以上の人生の先輩の方々では、50%くらいが,そういう状態だ。小中高学校の先生は勿論、大学の時の先生も、ほとんどの方はこの世にいない。私が会社を作ってからお世話になった取引先の社長さんもほとんど、この世にいない。勤めていた時の上司も方々も、同じだ。

 

どんどん寂しくなってゆく、また、太田化工の時にお世話になったというか、一緒に仕事をした取引先で営業をしていて人が亡くなったという知らせが入った。定年退職後、私が日本にいるときにゴルフの付き合いがあった人だ。

 

使えなかった押出機のメンテが終えて、セットをした。なんだかんだと,問題があって、納品されてから5カ月過ぎ、やっと、使えそうになった。明日から、何回目かの試運転をするが、こんどこそ、問題がないことを祈るのみ。大体、支払いをしてやれない。

この会社、コリアン系だが、日本人の営業担当者がいた。シリンダー。スクリューを作る会社、押出機を作ったことはないが、勉強のために,受注させてほしいというので、それならと、お願いした。そして、できてて押し出し機は欠陥が次々と、見つかった。私が日本にいた時だった。インドネシアへ戻ってから、その状態を知って、その日本人に連絡をした。そのとき、今、日本にいるから、対応できない、現地の担当によく言っておく、ということだった。そして、その一か月後、電話をしたら、通じなくなっていた。どうしたのかなと、その社員に聞いたら、止めていないという。どこへ行ったのか聞いたが、知らないという。半年契約での仕事だったらしい、日本にいるとうのは、契約が切れてエポで日本に帰ったのだという。本人、そんなことは、言っていなかった。受注をしておきながら、無責任もいいとこだ。挨拶なしでいなくなってしまった。こんな日本人もいるのです。要注意ですね。

 

夜中、突然の大雨、びっくりして外を見てしまった。せっかく、乾いた洗濯物がそのまま外のあった。

分かれ 寂しい 要注意

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