南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

メガネとの付き合い

2010-05-20 21:41:40 | 生活
 高校二年から三年の春休みに修学旅行があった。屋島の旅館で友達と一緒に撮ってもらった写真に初めて私がメガネを掛けた姿が映っている。
メガネをかけ始めて、やはり、50年。メガネとの付き合いは長い。コンタクトレンズは考えたこともなかった。当時はメガネを掛けている子は余りいなかった。メガネの価格が今よりも高かったことと、メガネを掛けること自体が、ガリ勉の印象があったからだ。女性でメガネを掛けている子はほとんどいなかった。だから、私も、本当はメガネを掛けたくなかったが、書いたように、卓球の球が二つも三つも見えていては試合をしにくくてしょうがなかったことが最大で、不都合が多くなりすぎて、やむ負えず、親に頼んで買ってもらった。掛けて世間が急にはっきり見えるようになり、今まで全ての女性がピンボケ美人だったのが、急に、美人ではない人が多くなった事を意識した覚えがある。呉服町一丁目の老舗のHメガネ店だった。静岡に当時はそのメガネ店しかなかったように思う。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
必要に迫られて使い始めたが、現在は完全に老眼になってしまっている。近いところ、50cm以内はまったくピンボケ状態である。焦点を自動的に合わせる能力が無くなってしまっている。メガネを使わなくても、新聞が読めるという老人を私のような状態になった人には信じられないでしょう。老眼メガネは必携になっている。近くや手元を見る場合は必ず使わなければ見えない、読めないから仕方がない。近いところが見えるように老眼メガネを使わなければならない。相手がいる場合は特に必要で、読めない、見えないでは話にならず、相手に失礼になってしまう。
また、現場にいる時も欠かせない。製品についても装置についても、ピンボケでは何も言えない。傷や異物や寸法の違いはインドネシア人の若者より早く正確に見つけて、指摘しなければならないからです。インドネシア人にこれはどうですかと聞かれて、見えないから、問題ないと返事をしてしまっては、インドネシア人から、その後聞かれなくなってしまう恐れがある。老眼鏡を掛けないで、見えるふりをする必要は無いし、見栄を張る必要もない。この歳になれば当然のことで、周りの人も、歳だからな、と思うだけである。
住んでいる住宅地から高速道路にはいる道、07:00頃ですが、朝靄がまだ漂っている。従業員の集団健康診断に使われたレントゲン車、私がよくお世話になっているルマーサキッ ハラパンクルアルガの所有。
写真容量の少ない無料ブログの写真は古いものから消去せざるをえません。もし、よろしければ、保存をお勧めします。
衰え  カラ元気  ピンボケ

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