南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆安倍さん、来イ

2017-01-16 22:32:57 | インドネシア

 2920 安倍さんがイスタナボゴールのバルコニーにジョコ大統領と立って居る。bahasとは、話し合いのことです。動詞です。名詞はBahasaで、ご存知、インドネシア語ですね。

 

共同声明の様子です。離島開発や海上安全保などで協力、インフラを主体に日本から資本と技術援助について話し合われたと思う。とにかく、全て、何もかもについて、総合的に具体的に話し合いがされたと思う。中国を意識している印象がある。

どちらの画面にも、ニュースの時間が出ていますね。勿論、インドネシア、ジャカルタタイムです。日本時間は、これより、二時間進んでいる。

 

 先ほど、ゴルフ。やはり、日本語でするゴルフより、インドネシア語でゴルフの方が、私は好きだ。日本のゴルフはストレスが溜まる。インドネシアでは、その逆で、リラックスできる。

 インドネシアに戻って、連日、体を動かしている。かなり、ハードな動きもしている。その都度、疲労困憊、体のあちこちが痛い。しかし、一日待たずになんとなく治ってしまっている。二日連続のゴルフ、それも、カートはほとんど使わずに回った。疲れは、残っていないように思う。

 

 体重が一か月半で2Kgほど増えた。日本での食事が原因だと思う。まだ、食べる量を増やせば、それだけ、吸収してしまう能力が有ることを、ゴルフ場のロッカールームの体重計に乗って、知った。すこし、食べる量を減らして、体重調整をしようと思う。ゴルフを終わって、皆さんと食事だったが、私は、注文をしなかった。コースの途中で買ったコーヒーだけだった。

 協力 資本 体調

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(^_-)-☆慰安婦像

2017-01-15 22:31:44 | 知識

 2918 今年、一日だけ仕事らしいことをして、今日明日はゴルフだ。明日までは、いったい、何をしにインドネシアに来ているの、という感じ。

 パンガンダラン関連の疲れも腰などの痛みも、何となく、治ってしまった。普通に歩き回ってのゴルフでした。雨季、途中で、20分ほど、雨宿りをしたが、概ね順調だった。キャディーの手伝いはあるし、一緒の人の世話をしたり、気を使ったりする必要がないので、日本より、インドネシアのゴルフの方が純粋に楽しまる。

 

日本政府や国民は、慰安婦像の撤去を要求したり、大使?を引き上げさせたり、通貨スワップ交渉の中止など、しなくてもいいと思う。

慰安婦問題での合意事項をなかったことにしてもらって、10億円を返してもらったらいい。そして、その10億円を基金として、慰安婦像(平和の少女像)?を設置しようとしている方達の代表者をはっきりさせて貰って、その人たちの設置計画と予算を出してもらって、世界中のどこにでも、気がすむまで、設置して戴いたらいいと思う。そして、その人たちは私的に使ってしまうことハイと思うが、一応、会計報告の公開してもらって、余ったら、その人たちから、元慰安婦と言っている人たちに分けてもらったらいいと思う。10億円を使い切って、なお、もっと、設置したいと申請があれば、納得行くまで設置のための費用を申請に従って、費用をあげたらいいと思う。100年でも200年でも何年かかっても、彼らが、満足するまで、資金を渡したらいいと思う。

工場を作って、大量生産したら、安くできるでしょう。雇用も増えるし。

 

日本にも、靖国神社の前や国会議事堂の側にも、設置してもらったらいい。日本人も帽子や襟巻を掛けてやったらいい。

多分、設置をしようとしている人たちは、生活や移動費は、自腹切っているだろうから、設置費用くらいは、日本から出してあげたらいいと思う。10億円あったら、いくつ設置されるでしょうか。世界の平和の為に、その像が、大きな役割をするかもしれません。

 

慰安婦の類は、人類が発生して以来、存在する。浜の真砂は尽きるとも、世に慰安婦の類の種は尽きまじ。

 

工場の前の景色、淡水魚の養殖池が広がる。そして、この見渡す限りの地帯は、既にジャバベカが購入済で、工業団地になる。そして、ジャラントールもできる。

 

大型水槽。この上枠、そこ枠、柱は、私が15年ほど前にインドネシアで初めて作ったものです。今も、同じものが作られている。

慰安婦像 少女像 平和の像

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(^_-)-☆本格復帰

2017-01-14 22:34:16 | 思うこと

 2917 一か月以上、インドネシアの仕事から離れていたが、仕方なく、復帰した。

 

途端に、中国製の新品押出機の温度コントローラーが狂いだした。なんと、温度が上昇中なのに、表示は下がっている、そして、マイナスになっても、まだ、下がっている。面白くて、しばらく、見入ってしまった。50年以上の仕事で、こんなことを見たのは初めてである。ミステリー。メンテアナンスに配線のチェックを頼んだ。

 

現在の住所の契約は24日になっているので、早く、どこかに引っ越しをしたいと思っていて、探していたが、昨年末にチェックして、そこにしようと決めていた場所は、既に、塞がってしまっていて、今日から、探すことにしたが、今のところ、当てがない。月曜日に、探し回ってみようと思う。条件は、会社に10分以内で行けること、家賃は一年、30ジュタ以下である。

 

工場の周囲は、ど田舎である。道は狭いし、ポリシティドゥールだらけ、牛やヤギの行列にも頻繁に会えるし、曲がって、進む道を見つけるのも難しい。曲がる道は、直前まで来なければ見えない、会社がここですよという、看板もない。先ほど、二か所から、訪問者が有った。いじれも、何回か、途中から、道の確認電話があった。杉近くまで来ているはずなのに、なかなか、到着しなかった。ジャカルタから来る人にとっては、大都会からど田舎という落差を感じるでしょう。

 

二階の事務所から右を見下ろした風景。補装はしていない、凸凹である。雨が降ればぬかるんでしまう。右の端にある小屋は新築バラックだ。一か所か、ポス セキュリティーのようだ。もう一軒は、傍に行って確認してはいないが、遠目に、コーヒーのミニパックがぶら下がっている。多分、何か飲み物を売る店のようだ。たった30人足らずの工場が進出しただけなのに、飲み物を提供する店がオープンしていて、びっくり、商売になるのでしょうか。そこに店を出す許可を、この敷地の所有者から取っているとは思えない。どこから来たのでしょうか。聞くチャンスは、今日はなかった。

 

PT,ASKAを止めた人が、面接に来た。再来週の月曜から、入社してもらうことにした。私のアシストをしてもらいながら、マーケティングの勉強をしてもらう。今年の後半は、この人が、私の仕事を引き継ぐことなる。図面書きは、得意だ。ISOも取ってもらおうと思う。

 

チバトゥインター近くのオレンジカントゥリーの総合施設、大分、進んでいる。

仕事 面接 家探し

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(^_-)-☆チカランに戻った

2017-01-13 22:45:28 | 旅行

 2916 東海岸のホテルに三泊したが、雨季の今、まともなサンライズを一度も見ることが出来なかった。また、西海岸のサンセットも雲の中だった。

 

今朝の日の出から一時間以上過ぎた時の東海岸。

 

 西海岸の私が言っているウミさんのレストランでミーゴレンを食べた後、 8時半に出発、9時半、バンジャルサリを通過、順調に10時、バンジャールを通過 両側の広大な田園地帯は、今、実りの時期だ、沿道のバナナの木?には、バナナの大きな房?を見ることができる。パパヤも今が時期のようだ。典型的ンインドネシアの田舎の風景が続く。順調にチアミス、タシクマラヤのバイパス的道を通過、チレニーの高速道路入り口近くに着いたのが、五時間後の13時半、しかし、ここで、予期せぬ渋滞になってしまった。ここは昔は十字路になっていて、当たり前だが、直進、左折、右折ができた。今は、左(ゲートの方)にしか行けなくなっている。といことは、直進、右折の車も左折して、右側の車線からUターンしなければならない。その辺りがいつもちょっとした渋滞になっていることは知っているから、いつもは、左に曲がったら、一番左車線の通っていた。ここで、車が動かなくなることはなかった。今日は、車が動かなくなる時間が長い渋滞だった。平日なのになぜだろうか、トラックやバスが通過できない場所があるから、それが、遠因なのか。とにかく、高速道路に入っても芋虫渋滞が続いた。このバイパス的自動車道、パジャジャランまで、20分くらいで通過できるのが、1時間近く掛かってしまった。そして、ここへきて、渋滞が無くなってしまった。原因が分からないままだった。

 

 すぐ、左側の大型車の列が始まった。チカムニンから一般道に降りなければならないからだ。その5分後。大型車通行不可の原因になっている橋に差し掛かった。急降下から急上昇する道に最下部に当たる。いつ頃、治るのか表示はない。どんな補強しているんでしょうか、道に下なので、これも分からない。こんな場所ですよ、中国製に高速鉄道予定地は。

 

 チバトゥゲートで出て、グラハタマンに戻ったのは。15時半、途中、給油で止まっただけだったが、往路より30分長かった。無事に戻った。明日は幾つか約束が入っているので、どうしても、今日には戻っていなければならなかった。

 

 そして、疲れた。こんなに毎日疲れてまで、どうして、こんなことを止められないのだろうかと思う。自己満足。爆睡。

心地 疲労 満足

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(^_-)-☆疲れと腰痛

2017-01-12 08:23:14 | 行動

 2915 朝、8時ころの西海岸、平日の海岸は空いている。向こうに座礁した難破船が見える。

 

まだ行ったことがなかったJOJOGANという場所に行って見た。方向はグリーンキャニオン、途中から、海とは反対方向の北に向かう。インドネイアの田舎の典型的なヤシやバナナの木に囲まれた田園地帯を通って、山に入る。曲がりくねった、急なアップダウンで、狭くて、すれ違い場所が難しい、道をひたすら進むと開けた丘の頂上に着く。パンガンダランから1時間半ほど掛かった。景色がいいと言われていたが、生憎の曇りで、海まで見通せるが、はっきりしなかった。下を見ると、はるか下に沢がある。グリーンキャニオンのような、奥行きのある洞穴のような状態の場所もありそうだし、ラフティングもできるらしい。チュルック(滝)も、いくつかあるようで、下まで降りてみた。これが,また、厳しい。急な階段が延々と続いていて、なかなか下まで到着しない。これを、また、登るのかと思いながら、降りてゆく、20分以上掛かって、滝の下まで降りた。なぜか、だいぶ昔に見た景色だった。いつだったか、覚えていないが、見覚えがあるような気がした。連れがいうには、私とここへ来たことがあるという。その時には、車は、ずっと遠くの下に置いて、1時間ほど歩いて。下から来たという。向こうからだよ、と、沢の向こうを指したが、覚えていない。以前の記録をいつか見てみようと思う。来たことがあるなら、ウェブサイトに紹介しているはずだ。

 

次は、Pantai Madasariマダサリというビーチ、山から下りてきて、西に向かい、グリーンキャニオンを通り過ぎ、なお西に向かい、パンガンダランからなら35Kmの処を左折し、南に向かい、また、5km以上行った所の海岸、途中の田園風景が、矢張り、南国らしい。海岸は、石灰岩の岩がごつごつしていて、遠浅ではないので、押し寄せる波は高い。サーフィンスポットしては最高だと思う。石灰岩の小山が浸食された風景も一見の価値はあると思う。バトゥカラスまで、来るなら、もう、10ほど走って、このマダサイまで、足を延ばすことをサーファーにはお勧めする。

 ヌサカンバンガンへ行って、ロブスターを食べられないので、ここの海岸にあるワルンに頼んで、ロブスターを手配してもらって、焼いて食べた。久しぶりに、ロブスターを頬張った。この魚、1,4Kgとロブスター、1Kgとターなどの飲み物、ナシ ウドゥックで4000円程だった。

元気 風景 シーフード

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(^_-)-☆疲労困憊

2017-01-11 22:23:14 | インドネシア

 2914 私がよく行っていたヌサカンバンガン、今は、近づくこともできなくなっているとか、パシールプティに座礁船が放置されて、もう、8カ月以上過ぎるが。まだ、どうするか,決まっていないそうで、当分、このままになるだろうと言っている。いわゆる、ナルコバ(麻薬)の密輸入船だという。それに関係あるかどうか知らないが、ヌサカンバンガン島が密輸船の上陸に利用されていることが分かって、地元の人間以外は、上陸は勿論、接近することもできなくなっているという。以前、カララピアックから、ボートで、ヌサカンバンガン島の北側の水路を通って、チラチャップに行ったことがあり、その時、往復で、刑務所の200mほど沖を通過し、写真を撮っていた。しかし、今、そのルートには、進入できなくなっているという。

また、ヌサカンバンガンの刑務所から麻薬犯2人が脱走して、今、まだ、捕まっていないという。ジルバブをかぶって女装して抜け出したという。そんなこともあって、厳しくなっているという。

ロブスターを食べに一緒に行って見ようと言ったから、そんな話になった。

 

8時からチャガールアラムに入った。いつものように、ブンガバンカイを探すためだ。雨季は、ジャングルの中を歩き回るのは難しいうえに、水に弱いラフレシア、期待薄ということは知っているが、とにかく探してみた。やはり、無かった。蕾が一個見つかっただけだった。それにしても、腐ってしまって、金網で保護されている、真っ黒になった花の跡が、結構あって、どうも、それらは、人が摘まんだり、触ったりした形跡があったのは残念、10年ほど前までは、見張り櫓があって、許可された人以外は、ジャングルへ入ることを禁じていた。そのため、見通しが良いように一部、開けた場所を作った。その見通しが良いエリアは今もそのままだだ、櫓は腐って見る影も無くなっている。

http://otaenplaext.net/newpage33.html

 

疲れた。いつもと違う場所を4時間かけて散々、探しまくったうえに、一時、何処辺りにいるのか分からなくなって、開けた場所を探し、ジャングルをかき分けながら、登り下りを繰り返したので、足はつるし、腰はガタガタだし、ゲートに戻った時には、歩くのが、立って居るのが、やっとの状態だった。イジェンの時にも、結構まいったが、今回の方が長時間だったので、それ以上に、参った。ここのも、この時期、友人を連れてくることはできない。

 

シーフード、カンクンは付き物、カカッ メラーのバカール、1,2kg ウダン アッサム マニス 0.5kg チュミチュミ トゥプン ゴレン 0.5kg ご飯やジュースも一緒で、3千円くらい。高くなったものだ。ガイドは、貪るように食べていた。地元にいても、高いから、食べる機会は無いようだ。彼らにとっては、大変なご馳走だ。魚は半分ほどブンクスして、兄弟に上げるのだと持ち帰った。

三日前の日本とは、異次元の世界だ。

ジャングル 疲労困憊 ラフレシア

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(^_-)-☆初出社だが

2017-01-10 22:55:29 | インドネシア

 2913 約、一か月ぶりに出社、場所が違う。グラハから出て,以前には、右に曲がったが、左に曲がって、踏切の方に行った。こちらからの方が近いからだと思ったからだ。踏切を渡って、国道を、方向は右(東)だが、曲がれないから(それは分かっていた)一旦、左(西)に向かい、Uターンして戻る。それほど遠くないところにUターン場所があるはずだと思っていたからだ。有ったはずのUターン場所が、ことごとく閉じられていて、3Km先、もう、チカランの町近くでやっとUターン、戻ってきて、先ほどの踏切前を過ぎ、1kmほど行くと左に曲がって別の踏切を渡らなければならないが、そこも、曲がれず、なお1kmほど行ってUターンし、もどって、左に曲がり、やっと、国道から離れることができた。想定より6km以上遠かった。

 

 次からは、出勤の時には、ゴルフ場の側を通ることにする。しかし、今の住処は、そんなことで、会社が遠くなってしまったので、近い場所に変えることにした。いま、家賃、一年35ジュタ(月2万5千円くらい)の一軒家を交渉中。

 

 今日から、稼働の予定、ヒートアップの状況だった。納品は、在庫の消化で、順調にいっている。皆さん、よくやって切れている、今やっているものは、私がいなくても十分やって行けると確信した。

 

 ということで、12時半ごろチバトゥのインターから高速道路に入ってしまった。日本からの友人が、どうしてもというので、私も、仕事に戻るのを三日ほど遅らせることにして、パンガンダランに向かってしまった。道中は順調で、車から降りたのはトイレと給油で15分ほど、19時にホテルに入った。6時間半、最短タイだった。今、パンガンダランにいる。勿論、中国高速鉄道路線沿いの高速道路を通ったが、その、雰囲気は全く感じられなかった。

また、橋脚の傾きで、大型車(バスもトラックも)は通行止めになっている。昔使った、曲がりくねった一般道は同じ距離、高速道路を使えば一時間以内でバンドゥンに着くが、4時間かかっていた。それが、大型車は全てその道を使うしかないので大渋滞、聞くこと個による6時間かかっているとか、バスは、パンガンダランまで、以前の13時間以上、掛かっているという。で、その橋脚、いつ治るの?これが、また、はっきりしていない。

そんなところで、もし、高速鉄道の工事が始まれば、大型車が入り込まなければならない。出来るわけがない。工事は始まるわけがない。大変ですね、中国。

 

ここで大型車は出なさいという場所では、本線上に長い行列。

 

バンドゥンバイパスの145Km地点、この辺りの右(南)の高速鉄道の取りあえずのバンドゥン駅が出来るはずだが、雰囲気は全くなし。

発出勤 順調 大渋滞

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(^_-)-☆再~~インドネシア

2017-01-09 12:34:20 | 行動

 2912 06;00 真っ暗い中、出発、6;22こだまで品川まで、京急で羽田国際線ターミナル到着、8:25 いつものことだが、余裕。そんなに早く家からでなくてもいいのだが、家で、待機していてもしかたがない。10時過ぎのANAにでも、十分間に合う。

 

外国人に人気があり、インドネシア人にも、日本からのキットカットをほしいと言われていて、Kit Katを、イミグレを通過後、免税店で買ってみた。三箱で4500円、免税でこの価格、税金が掛かったらいくらだよ!!ビックリ仰天、スーパーでも買って持ってきたが、中身がどう違うのか、240円、1袋を6袋買ってあった。住処についてから、どちらも開けてみた。どちらも、こりゃ高いと思った。

 

ガルーダのチェクインカウンターの行列にはビックリ、こんなことはかつてなかった。1時間かかった。11時15分が搭乗時間、受付開始のアナウンスがあったのは、9時30だった。そして、直ぐに、カウンターの前に行ったが、既に長蛇の列だった。そして、インドネシア人が75%以上、皆さん、沢山の荷物を持っている。重量的に、明らかに、追加料金が掛かるはずなのに誰も払っていない様子だが、それぞれのチェックインの時間が長い。爆買いだね。なかなか進まない行列の中で、皆さん、充実した顔をしていた。よかったですね、日本で買い物ができて、という感じ。

 

ジャカルタ空港では、全く問題なし、米麹4Kgと酒2L二本、こんなものでは、チョークチェックされない。今回は、リックサックなど、機内へ持ち込んだ物も何もX線を通さず、シラカン レワッ(どうぞ通過して)だった。

日曜日で、渋滞は全くなし、ルマーアバンの家に到着は21時だった。

順調 爆売 満足

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(^_-)-☆また、来てしまった

2017-01-08 10:33:12 | 思うこと

 2911 その日、最終日がまた、来てしまった。一か月近く日本にいたが、本当にあっという間、もう~~、という感じ。

 

娘の誕生日。40何歳だ。孫と一緒に、バースデーケーキとモンブランを買いに行った。毎年、日本からの出発は、この日の後にしている。残念ながら、娘以外の身内の誕生日には、日本にいたことがないので、この日までは、日本にいようとしていた。

 

モンブランには、思い出があるし、今でも、何かというと、買う。日本にいる時、妻の誕生日には、必ず、バースデーケーキを買うお金がなかったときから、モンブランを買って帰っていた。そして、それが続いていた。

 

これから、そして、最終日、明日。いつものように、早朝、家から出発する。100円ショップで、ちょっと買い物、そして、その隣のスーパーで、キットカットを仕入れる。日本のキットカットが良いと言われている。

 

今回は、今までとちょっと違って、インドネシアは、今年が最終になると考えているから、特別だ。手伝いの戻る会社は、新しい工場に移った。そこで、スタートするが、新しいダイレクターと二人ダイレクターになる。立場は私の方が上だが、実務は、新しい方に任せる。インドネシア人だけで、仕切るような環境にする。

私のビザの更新は3月中旬になる、収得のしやすさが理由で、今のポジションのままにする。今のままなら、四回、国内で毎年の更新が出来る。簡単だし、安上がりだ。

今以外のポジションンに変えるなら、今の地位の終了届を出して、国外に出なければならない、また、国外でビザを取らなければならない、それも、半年期限のビザしか取れない。

そして、ちょっと書いたが、半年、インドネシア滞在とする。半年は日本にいて、サポートをする。どうしても、ということになれば、その時だけ、また、短期で行く。必要なら、これを三年程度、繰り返す。

転換年 誕生日 新工場

 

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(^_-)-☆告別式

2017-01-07 22:50:50 | 思うこと

 2910 アピオセレモニーホール田富 兄弟姉妹、上三人が男、下四人が女、長男は5年前に他界した。その葬式には、6人が参加していた。ただし、次男は、ちょっと見かけただけで、体の不調を理由に、直ぐに、いなくなったしたし、長女の旦那は、入院していて、来なかった。今回は、その長女の旦那が亡くなったのでした。

今日の参列状況はどうだったか、次男と三男と四女と配偶者も、外に出かけることが難しくなっているそうで、欠席。知らない人ばかり、話が弾まない。私がインドネシアの話をしても仕方がないから、私から話しかける話題がない。仕方がない、皆さん歳だから。甥や姪との話も途切れがち。

 

6時には家を出た。9時頃の出棺、バスは出発するところに、間に合ったが、乗れなかったので後を付けた。焼き場まで遠い、30分ほどかかった。八ヶ岳を久しぶりに眺めた。2時間ほど待ち、葬儀場に戻ったにが、11:30 食事をし、告別式は13:30時間をもて余す。初七日が14:30 これも、30分ほど持て余した。人数が20人程度なので、進行が早い。やっと解放されたのが、15:00でした。やれやれである。寒い、-1℃。

 

釜無川と八ヶ岳

 

何年かぶりの夫婦二人だけの旅だった。解放されて、せっかく、ここまで来たんだからと、出会いの場の大学まで行ってみた。ただ、武田神社まで行って、戻ってきただけだった。それだけのことだが、なんとなく、満足。

 

右が工学部、左が学芸学部だった。突き当りが武田神社。昔々ある時、この辺りを汚い白衣をまとって、闊歩していた。

 

52号線とバイパスをひたすら走って、家に戻ったのは、20時前だった。400kmだったが、甲府までのゆっくり運転を含めても、運転時間は約7時間、パンガンダラン、片道相当、ただし、道の状況は、インドネシアと、全く違う。ほとんど、気になることはない、気を遣う必要がないと思った。本当に、楽な運転だった。車を追い抜いたり、追い抜かれたりしたことは、全くなかった。クラクションは、一回も聞かなかった。バイクに全く会わなかった。山の中や川沿いの曲がりくねった道を走る距離が長かったが、対向車線からこちらの車線に入って、追い抜きをする車に会わなかった。陥没穴はなし、横から飛び出してくる車も無し、信号前などで、決められた車線以外を走る車もなかった。

久しぶり 思い出 現実

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(^_-)-☆9日に行く

2017-01-06 21:34:18 | 

 2909 明日、一日 潰れるので、インドネシアへ戻るための準備をした。いつもと同じ、納豆、黒はんぺんを大量に仕入れた。かりんとうも各種、大量に、仕入れた。安いものばかりだが、大いに喜んでもらえるものばかりだ。

http://otaenplaext.net/newpage0.html

昨日、ふとしたことから、パンガンダランに関することで、質問と回答をネットで、見てしまった。日本から、ジャカルタから、バンドゥンから、ジョクジャから、バリからなどなど、行ってみたいが、ルートは、乗り物は、費用は、日程は、ホテルは、などだった。なぜに、ジャワ島にビーチはあるのか? インドネシアにはリドートビーチがバリ以外にあるのか?などと、ばかげた質問もあった。回答が面白い、”あなたはビーチの意味を知らないようですね、ビーチとは海岸ですよ、無いわけがないでしょ!“と、言った具合でね。

 

インドネシアで、バリ周辺以外で、お勧めのビーチを紹介してくださいという質問が多いようでした。その解答を見ると、分かったような、分からないような、中途半端以前のちょこっとかじっただけの物ばかりだった。数え切れないほどあるビーチの内の二三か所の名前を挙げるだけ。こんなものを参考にして、行く人がいるのでしょうか。それらが、模範解答となっていて、質問した人から、お礼が書かれているものもあった。おいおい、という感じ。

 

私は、お勧めのビーチとして、質問された時に、二か所について、説明している。ブリトゥン島とパンガンダランです。パンガンダラン地図は昨日、紹介している。この東西、50kmの全部(チャガールアラム、半島ジャカグル以外)がインド洋に面した海岸です。この地図のもっと西、もっと東もパンガンダランではなくなるが、ビーチが続きます。この地図だけでも、ビーチの名前が書いていないビーチも入れれば10っカ所以上名前があります。ヌサカンバンガン島のちょっと西は、カラピヤックという海岸です。そして、ほとんどの海岸はサーフィンに適しているし、ダイビングやシュノーケリングのスポットもある。海鮮料理はどこでも格安で食べられます。ジャカルタからなら、最低二泊三日、それ以上なら、何日でも、私は飽きない。住み着きたいくらいだ。私にとっては竜宮城です。8日にインドネシアの戻り、9日出発で11日まで行ってくる。12日から仕事に復帰するつもりだ。

http://otaenplaext.net/newpage21.html 70歳頃が最後かなと書いてあるが、もう、73になっている。

バスは様々な街から直行が出ているし、途中でも、手を上げればどこでも乗れる、高速道路のゲート付近からも乗れる。http://otaenplaext.net/newpage33.html

インドネシアにビーチはありますかなんて言う質問は、面白いですね。

 

ジャワ島の北側、(日本に頼んでいるジャカルタースラバヤ間の中高速鉄道レールの北側)ジャワ海側も港、コンテナ港と塩田以外は、水遊びビーチの連続です。但し、南側に比べれば、ゴミと油も多い、アンチョールが代表的です、ブカシやカラワン、スバンなどの海岸も、汚いですね。

ジャワ島の西端、スマトラへのフェーリーボートの港がある、高速道路もそこまでいているアンニョールから南向かう海岸、白サイがいると言われているウジュンクロンまで、ずっとビーチです。オーストラリア資本のタンジュンルスンリーゾートなどもあります。但し、ビーチは狭いし、汚い、ビーチ、クラカタウ方面を眺めながら泳ぐならプールになる。

 

もう、一か所のお勧めは、ブリトゥン島です。http://otaenplaext.net/newpage48.html

その他にも数えきれない魅力的な場所があるが、行きやすいということで、最大のお勧めです。小中学生と一緒の家族旅行に最適です。http://otaenplaext.net/newpage49.html

 ラスカル プランギの撮影に使った分校跡。

 

新工場の様子。

ビーチ リゾート 推薦

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(^_-)-☆何宣言

2017-01-05 22:30:19 | 思うこと

 2908 http://www.sky-plastic.com/沼津のセピックは、後継者がなく、太田化工に吸収されることになったが、この会社は、自分から望んで、独立して約3年半過ぎた。技術的にも完全に自立し、新しいアイテムにも積極的に取り組み、また、公共の援助も受けて、これから成長してゆく可能性が高い会社だと思う。将来性があると確信する。積極的に応援したい。経営者も45歳と動きやすい年齢だ。その会社を訪問した。開業前、引取機や水槽や金型をインドネシアから手伝った。

今、作っている製品の問題点について、ちょっと、アドバイス。

 

タイミングがいいのか悪いのか、妻の姉の旦那が亡くなった。私の義理の兄になる。79才。山梨まで行かなければならない。ゴルフはキャンセルした。

 

勤めていた会社を辞める前、一年前に、書面で、条件を示して、その条件が受け入れられない時には、止めると、上司に宣言というか、お願いをしてあって、一年後、全く、それを、無視されていて、何も、手を打ってくれていなかったので、ぴったり、一年後、退職届を出して、翌日から、出勤しなかった。その後、半年、退職票を出してもらえず、説得のようなものが続けられたが、今更、何だと、私を変えるわけにはいかなかったし、言ったことは、実行精神に反すると、そのまま、その会社で仕事をすることはなかった。

止める予告を出した時から、そのことは、身内や周りの人達、取引先など、お世話になっている人、関係者には、折あるごとに、話をして置いた。それは、自分の意志が変わらないように、だった。

 

そして、自分で作った会社を他人に引き継いでもらい、自身は外国へ行く前、矢張り、一年前には、関係者皆さんに宣言をしていたし、従業員もそのことを宣言して募集もした。後継者募集広告をだして、48歳の時に、50歳になったら、君たちの誰かにこの会社を引き継いでもらうと宣言をした。勿論、銀行にも、客先にも、原料メーカーにもであった。そして、その通り、50歳になったその年末に、社長を止めて、顧問になった。そして、三年後、インドネシアに行った。これも、気持ちがゆらがないように、だった。何故だと、何かあったのと、いぶかる人も多かったと思う。

 

そして、今、身の回りの人、特に家族に宣言をしている。手伝っている会社のコミサリスにも、日本やインドネシアのゴルフ仲間にも、或る宣言をしている。気持ちが変わらないように、である。

 

しばらく出かけていないが、

http://otaenplaext.net/newpage22.html

 予告 宣言 実行

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(^_-)-☆ゴルフ初め

2017-01-04 23:01:39 | 情報

 2907 指揮 グスターボ・ドゥダメル 演奏ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 一日に、毎年のように聞き。ラデツキー行進曲で、一緒に拍手し、自己満足する。自分なりの恒例行事だった。疲れるゴルフはじめ。四人でプレー、私以外の三人さん、遅い!!!その上、カートはフェアウエーに入ることができるが、各ボールすべての直ぐ傍まで行かなければ降りない。三人のボール巡りをする。また、その上、ボールの位置を見えていない場合がおおいし、またまた,その上、キャディーを付けたが、そのキャディーもボールをよく見ていない。だから、大体そのあたりということで、皆で探かと思えば、打った本人も、キャディー頼みで、探す振りもしていないで、カートで待っているだけ。

 

私と言えば、ほとんど、カートに乗らない。カートはどう見ても四人掛け、後ろに三人は座れるが、相当窮屈、座る人同士が気を利かせて、詰めなければ座れない。キャディーが座らなければ、私も座れるが、このキャディー、ほとんど歩かない。ボールの位置とグリーン周りでしか降りないので、私以外の四人は,息があって、カートにくっつきっぱなし。だから、歩いている私の方が遥かに早く前に進んで、皆さんを待ちながら、皆さんのボールの位置を教える。それでも、待ちきれずに、皆さんが未だ、後ろにいるうちに打ってしまう。グルーン近くなら、皆さんより、グルーンに近くても先に打って、先にオンさせて待っている。

 

私自身は、5人では窮屈なカートに乗らないで、皆さんを楽に乗れるようにし、先に行って、皆さんの打ったボールが何処でどんな状態化を知らせるし、言わないと、聞く人もいる。グリーン周りは特に、乗ったとか、そのくらいオーバーかなど、私からの情報を当てにしている。皆さんの為にやっている、私をまっている、という意識がある。

 

ところが、中に、先に打っちゃダメだよ、遠い方から打つのがルールだよ、太田さんはルール違反だよ。ペナルティーだよ。それに、そんなに早く行って、どうせ、待っているでしょ。皆が打つのを待てないの。と、いう人がいて、その後は、ボールの側まで、かなり早く行って、皆さんを待っているが,打ってしまわないようにした。すると、私の後ろから打った人のボールが何処に行ったのか、分からなくなる場合が多くなり、探す時間の長くなり、私が,待つ時間も長くなってしまった。もう、芝に座り込んで、待っているしかない時も出てきた。それなのに、自分のボールが何処にあるか私に聞く回数は変わらなかった。

 

おまけに、私に、近いのに先に打ってらペナルティーと言った人自身が、他の二人より、近いのに、待てなくて,さっさとっている。おいおい、どうなっているの、と、首を傾げてしまう。

 

その人、自身が、スコアーの少なくいう常習者だと、私は思っていて、時々、酷いときは言ってあげているが、“一緒にまわっている人で、10打くらい打っているのにボギーだという人もいるよ、困ったもんだよ”と、ご本人はよく言う。

 

もう一つ、その人がパットをするときに、その人、ピンの近くいた私に、“見えないから、指しておいて”と頼んだ、私は、竿をちょっと斜めにして、持ってパットを待っていた。予想以上に強くって、ホールを通り越した。その直後、私に“打ったら、竿を直ぐ抜かなければ、ルール違反だよ、ペナンルティーだよ”という。この人、困った人だなと、思った。プレー費は、私はいらないキャディーを使っているので、2万円だった。

疲れる 精神的 ストレス

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(^_-)-☆初詣

2017-01-03 23:04:09 | 思うこと

 2906 インドネシアで仕事をしていて、暮れから正月に掛けては、日本に帰っている。インドネシアで年を越したことはない。人数は少ないが、身内と思っている人、全員集合のためでした。妹が継いでいる安西の実家に、今日集合。一番遠いのは東京から、11時に来て、14;00には、引き上げていった。勿論、子供たちは、お年玉目当て、大喜びの、大はしゃぎ。最年長は、おふくろがいなくなった二年前から、私、気分は良好。

 

その後、初詣を兼ねて墓参り。富士川町のお寺に行く。初詣としては二年ぶりだと思う。そして、冬の富士山は、子供のころから変わらない。ここへ来ると、いつも、”またいつかここに戻る、いつになるか分からないが、必ず戻る“と、つぶやく。私の両親だけしか、入っていないお墓に。

 

私のお墓の前からの富士山。

 

そして、ここへ来ると、小学校のころ、毎年、夏休みには、一週間ほど、従妹たちと、駆け回った辺りから見えるこの景色を写す。何回目か分からない。自己満足の世界に浸る。また、ここに立てたかと。

集合 初詣 故郷

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(^_-)-☆初日の出

2017-01-02 23:26:35 | 思うこと

 2905 暖かな新年を迎えた。妻も行きたいというので、近くの海岸へ初日の出を見に行くことにした。

日本でのサンライズとの出会いは、何年ぶりだろうか。多分、40年以上ぶりだと思う。どこで、だったか、記憶はない、多分、何処だろうということも、言えないが、どこかの観光地や旅先で早く起きて見ていると思うし、どこかのスキー場で見ていると思う。初日の出ということになれば、もっと前、中学生の時以来ということになると思う。思い出がある。

インドネシアでは、初日の出をわざわざ見たことはない。単なる日の出なら、この間の東ジャワのイジェン山で見ている。パンガンダランの東海岸では最低でも100回は見ている。インドネシア中あちこちで、サンライズとサンセットは、習慣として見ているし、写真に収めてきた。印象はまちまちだし、その時の天候で大いに違う。

 

パンガンダランの東海岸、ヌサカンバンガンからのサンライズ。気に入っている写真。

 

伊豆半島からの初日の出。

 

私が静岡に本社を移転した時に使った、用宗漁港の東側の道沿いの貸工場の前を通って、広野海洋公園の海岸で初日の出を見た。多くの人が、見に来ていた。日の出の30分前に駐車場に入ったが、既に、空きがなく、駐停車禁止の標識の前に駐車した。皆で止めれば怖くない。私が小学校の時にやっていたように、自転車で多くの子供たちもグループで来ていた。岸壁に並んでいる人たちを見て、西部劇映画で、インディアンが丘の上から、下にいる騎兵隊に襲い掛かろうとして、並んでいる姿を思い浮かべた。

 

今年から、しばらくは、インドネシアと日本を半分半分にしようと思う。出来ると思う。

初日の出 穏やか 思い出

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