エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

蘭に捧ぐ・・・第三回交友旅行

2012年03月18日 | ポエム
蘭は美しい。
伊豆の洋ランパークに行った時の感動を詩にしたのである。

蘭の花を見ながら、詩を読み進んでいって頂ければ幸いである。





       君は美しい





    蘭よ君は美しい
    蘭よ
    少女であり乙女であり
    時として淑女であって
    たけた女であってと
    妙齢の性を持つのだと誰かが言った



    洋ランと言ってはならない
    と
    誰かが言った
    蘭であらねばならない
    と
    誰かが言った



    蘭よ
    君はあまりにも美しく
    魅惑的であって
    媚惑的
    である



    蘭に似た女がいた
    春の海に向かい
    雪を降らせ
    モノクロームの森羅万象を描いたのだ
    その女は
    名乗ることも無く
    水平線の彼方へ向かい
    インカの精霊のように海上を歩き去った



    蘭よ
    君は美しい
    色彩の魔法を心得た
    手練手管に
    誰もが抗えない
    と
    万物が語ったという神話が残された
    その神話は
    語り
    伝えられ続け
    いつか寓話となって駆け廻ったのだ



    蘭よ
    いつの世紀かに
    地が割れ
    天が落ちてこようとも
    蘭を愛する神々が
    君を残すだろう



    蘭よ
    メトロノームがいつまでも正確にリズムを刻むように
    蘭よ
    君は種子を紀元とし続けるのだ
    蘭よ
    何億光年のかなたへと翔け飛ぼうとも
    君に限りなく憧憬を捧げる



    蘭よ
    君は
    かくして神話となり
    やがて寓話となれ



ここのところ詩を書いていなかった。
詩を綴れなくなっていたのである。

何となく感性が、ピリピリし過ぎていたのかもしれないのだ。



俳句は捨象する文学である。
あるいはまた「座の文学」であると言う。



削ぎ落とし、削ぎ落としして深く沈潜する。
もちろん言葉をである。



そこに新しいステージが開かれるのである。



だがしかし、蘭の花には「冗舌」も許される気がしたのである。
錯覚であろうか?



そこで一句。



      
      洋ランもこのようにあれミモザ咲く        野 人






しかし・・・蘭は美しく、かつゴージャスである。
あなたのように。





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      荒 野人