エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

所詮、人間て奴は自分勝手であるという事

2012年03月27日 | ポエム
梅が咲かなければ、まだかまだかと督促する。
咲けば咲いたで、今度は見向きもせずにサクラサクラと騒ぐ。

所詮自分勝手な生き物が「ヒト」であると謂わざるを得ないではないか。
「梅は咲いたか~桜はまだかいな~」とか言って乙にいる。
かく言う自分であるけれど・・・。



この日、ぼくは従弟と石神井公園に出かけたのである。
水温む気配に心が弾んだ。

そりゃそうだ・・・。
昨日、この従弟に初孫が誕生した。
名前は「レオ」というらしいのだけれど、漢字がどんなか「難しい字だよ!」とか言う。

ジャングル大帝のパンジャの子だね、その名前とか言いあいながら、石神井公園の池のほとりを歩いたのであった。



天気は今一であった。
あったけれど従弟を「おじいちゃん!」とか言ってからかいながら、楽しい時間を過ごしたのであった。



さて、桜である。
このように蕾は固い。



木蓮は咲き初めていると云うのにである。
あの産毛を掠めた陽射しは鼻に注がれているのである。

春がそこにいる。



ぼくたちは、公園内の茶店?で味噌おでんと甘酒をいただいた。



この甘酒、ノン・アルコールである。
気分だけ甘酒。
少しもてあまし気味に頂いたのであった。

石神井公園の春を紹介しよう・



トサミズキの花である。
花が全て下を向いている。

例えば、4月末くらいに咲く「カタクリ」はピンクで花が可愛らしいけれど、地味な花である。





       植垣の俯くほどやトサミズキ         野 人




と、言ったイマージュである。
ぼくはこの花を見ると、いつもマラソンの土佐選手が想起される。
地味な、しかし一流の選手である。



ネコヤナギである。
産毛の確かに春を思うのである。



これは柳の若葉。
垂れている様は、そこに天女が潜んでいるような気配である。



蕗の薹である。
これは、食用に耐える?
苦しいけれど、天ぷらに限って食べられるかもしれないのである。

春の野草は「ほろ苦い」。
それが美味いのである。



ニリンソウである。
一輪が咲き、その下にもう一輪が蕾を膨らましている。

この花が一輪だと「イチリンソウ」と言う。
分かりやすい花の名前である。



タチツボスミレである。
可憐なスミレである。

陽だまりにこっそり咲いている。
意識して見ないと、見過ごしてしまいそうである。







     新しき命が産まれ春夕焼         野 人





従弟と分かれた後、空が夕焼けに染まった。
春夕焼である。





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      荒 野人