京都の山ん中の学校。
実を言うと
恥ずかしながら、あまり知らなかった大学。
しかし、聞けば、関西ではそれなりらしいし
今の怪獣弟の学力で
勉強での受験ではちょっと難しい偏差値。
しかし、スキーのインカレではとりあえず一部にあるスキーの強豪校。
無事に
合格してました!!!!!!!
わかっていても、ドキドキするもんですな。
(合格通知の横に、入学金の入金振替用紙くっついてる…(;^ω^))
色々な巡り合わせや出会いがあって、決めた進路だなあと、つくづく思うのです。
スキーは幼児さんのうちに乗れたら楽だなあと思い、母ちゃんコーチがハの字までは仕込み、一年生からスクールに行けば楽だぞ⁉と、思い、テイネ通いスタート。
連れていくだけじゃつまらないから、母ちゃんも習っちゃえば?っていうんで、二年ほどテイネ修行。
母ちゃん級別1級とれたし、かたいスキーはお腹一杯。
そんな時期にアルペンのおさそいが。
小2でアルペンの朝練のみ参加し、9時からはテイネ移動でスキー学校、夕方までのスキー漬けの日々。
3年からはアルペン一本でいくことに。
しかし、あまりに基礎体力がないまま、高学年入りしてしまい、危機感。
職場で足の速い子がたくさん所属している陸上クラブの見学に。
アルペンの陸トレで長い距離のほうが好きらしいことがわかっていたので、長距離メンバーのお仲間に。
陸上の先生はいまだにわたしにもカイトにもよくしてくれて、母より母 わたしのソウルメイト。笑
中学では、塾にも通うことになり、実はスキー生活が始まったとたん、近所の友達と遊ぶ暇はなくなる。
それでもアルペン、陸上、塾で
いい仲間にめぐりあい、楽しく過ごす。
6年で、長距離とスキーの力を試されるクロスカントリースキーに触れる機会が。
バイアスロンで世界を目指す選手を発掘育成するという、北海道の企画に応募。
補欠合格的に、バイアスロンの育成に参加させてもらうことに。
バイアスロン少年団に入り、アルペンとクロカンと射撃と陸上をやる。
中一のアルペンレース後の練習で,ボーダーとの衝突事故。
入院したりもしたなあ。
中二でバイアスロンとクロカンメインで行くことを決める。
高校もクロカンで走力を上げるためにクロカンの強い学校に進学。
バイアスロンは3年間封印のクロカン生活開始。滑走時間と練習時間がすさまじく、アスリートとは何ぞや??とよくよく考え、体つくりに頭を悩ませた3年間。中学から始めたクロカンの世界では、なかなか全国級の子たちとやりあうのは難しい…でも、全国級の仲間との切磋琢磨は力になった経験。
仲間と一緒に全国めざすも、中学時代からのポイントがないため、全国にたどり着くポイントが足りない…。スキーをやめて、教育大に進学を考えていたころ、インターハイで先輩が2冠、チームリレーで2位(怪獣弟は留守番)・・・おそらくインターハイ景気で、監督が大学の推薦のお話を持ってきてくださって…
とっても長い話になりましたが、
周りの方々との出会いや,めぐりあわせで
進学が決まったっていうのが正直なところです。
だから、本当に
テイネのスキースクールにも
アルペンのコーチや保護者、仲間にも
陸上の先生や仲間にも
バイアスロンのコーチやアスリート発掘育成の関係者のみなさん
クロカンチームのコーチや仲間
高校のスキー部の監督と仲間と保護者の皆さん
ほんとうに、この中のだれか一人でも足りなかったら
この進学は成立しなかったなと思うのです。
だって
スキーもたいした速くないし
陸上もたいした速くない
アイアスロンに至っては
3年間お休み。
ただ、好きで続けていただけ。
(あと、母の情熱)
ありがとうございます!の言葉しかないです。