長いから、暇な方どうぞ‼️
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[ルーツをたどり]
訳あって、本日昼に
父の父の除籍謄本を読み説く作業をした。
戸籍に無い親戚の存在や
終戦のあたりからのソ連の厳しい攻撃や締め付け
ルーツに関わる土地が当時どんな様子で、
今はどうなっているのか。
その街から、どう
北海道に逃れてきたのか。
いろいろと調べて、父がまだはっきりとしているうちに伝えたり聞いたりしたいなあと思った。
サハリンに渡る前に生まれた子どもが
再婚した
ばあちゃんと10歳しか歳が離れてないとか
びっくり。
戦火に影響受けずに、
ロシア人と共存し、ロシア語も喋っていたであろうこと、
でっかい製紙工場で
サハリンの森林を切りまくって
儲けていたり、
工場発電のために露天掘りの石炭掘りまくって儲けていたり、
おそらく、豊かに暮らしていたのは間違いない。
戦時中に、砂糖を料理に使えていたとか
びっくり。
専業主婦で充分暮らせた時代だったらしい。
それが、終戦直前からのソ連の侵攻に怯え、戦後のはずが、ドンパチしている風景を眺めたであろう父。
父の父は、どうやら
家族と離れて引き揚げてきた様子もわかった。
先発のばあちゃんと父の兄弟たちは、
決められた量の荷物をめいいっぱいもち、まだ幼児の父の姉の手をひき、父をおぶった。
荷物も持てるだけもった。当然5歳の姉ちゃんも荷物を持ったに違いない。
日本へ向かう船の出る港まで、
100キロ以上の道のりを、よっぽど恵まれた人以外は、歩いたらしい。山道を開いて歩いたというから驚きだ。
道中、体力が持たずに途中で事切れる人も少なくなかったとも。
港にたどり着き、
沢山の引き揚げ者ともみ合いながら
移送船に乗ろうと。
荷物制限が厳しく、持てるだけ持っていても
接収されたり、ソ連に持っていかれてしまう。しっかり大切なものを持つ。
周りから、沢山の声があがる。
「手が足りないんだから、捨て置け」
びっくりだが、その場面で捨てたのは
乳飲み子たち。
誰かが助けてくれますように
などという発想ではなく、
戦時中ゆえ
自分の手で
だ。
海に沈んでいる
小さな骸を考えただけでも
胸がいたい。
物心ついたときには
父の父と
乳飲み子の遺影が仏間にあるのが
普通だった。
戸籍には無いが
確かにこの世に生まれて
厳しい時代をなんとか育ててきたのに
船に乗れなかった小さな命が
たくさんあった。
生きているときは
決して語ってくれなかった事が
田舎の役場から届いた戸籍から
わかってくる。
もうね、
なんで、自分のルーツなのに、
沖縄戦のことばかり調べていたのだろうと。
すごい、ショックだった。
おばちゃん、いたんだなあ。ほんとは。
北海道に渡ってからは厳しい
銭無し、家無し、ご飯無しで
苦しい日々だとは
ばあちゃんから聞いていた。
父の進学をみんなで止めたとか、
もう、100万回くらい聞いた。
でも、サハリンでの暮らしや
引き揚げの苦しさは
口をつぐんで聞くこと無く天国いっちゃったばあちゃん。
父の生きているうちに、
もう少し調べてみようと思うのだ。
ゴールデンカムイを読むところから開始だあ。