しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 ネヘミヤ記6章 <敵対者たち>

2016-07-19 | ネヘミヤ記

丹波風景「それには次のように書いてあった。『諸国民の間に言いふらされ、また、ゲシェムも言っているが、あなたとユダヤ人たちは反逆をたくらんでおり、そのために、あなたは城壁を建て直している。このうわさによれば、あなたは彼らの王になろうとしている。』」(ネヘミヤ記6:6新改訳)

ネヘミヤがユダヤ地方総督として赴任したことにより、それまで「うまい汁」を吸っていた現地人たちはあわて出した。既得権益を守ろうとする彼らは、ユダヤ人たちがネヘミヤのもとで、強固な信仰共同体を築く計画―城壁建設はその象徴だった―を阻止しようと全力をあげる、その状況を記したのが本章。▼やっかいなのは、ユダヤ人の中にも内通者がおり、陰湿なかたちでネヘミヤに敵対したことで、女預言者ノアデヤといった名前もみえる。自己の権益をまもるためには神の正義を踏みにじることもいとわない、この罪深い生き方こそ、神のひとり子イエスを十字架に追いやったのである。▼ネヘミヤの持つ信仰の強靭さは驚異的だった。手を替え品を替えてやって来る脅迫者たち、内通している同胞の巧みな罠、神の名を用いて迫る女性預言者、折れてもおかしくない困難さの中、石垣は52日という短期間で完成した。ネヘミヤはすべての栄光を神に帰しつつ、「この工事が、私たちの神によってなされた」(16)と記す。神は今も活きておられる。必要とあらば貴方にも天来の「強靭さ」を与え、みわざのため用いたもうであろう。


朝の露 ネヘミヤ記5章 <ネヘミヤの憤り>

2016-07-18 | ネヘミヤ記

ひるがお「私の前任の総督たちは民の負担を重くし、民から、パンとぶどう酒のために取り立て、そのうえ、銀四十シェケルを取った。しかも、彼らに仕える若い者たちは民にいばりちらした。しかし、私は神を恐れて、そのようなことはしなかった。」(ネヘミヤ記5:15新改訳)

ユダヤ人たちは捕囚から解放され、聖地に帰ることができたといっても、国土はペルシャの支配下にあり、国民(といっても実際は奴隷)として重い税金を取り立てられていた。▼ 本来なら互いに助け合って暮らすべき彼らだったが、貧富の差がつくに従い、借金のかたに土地を取られたり、子女を奴隷として売らなければならない人々が出てきたのである。 そこで、「あなたがたは皆ペルシャの奴隷ではないか、それなのに同族から金を取り立て、払えないからと、子どもを取り上げる、そんなことをして良いのか」とネヘミヤは怒ったのだ。▼捕囚前、エルサレムにバビロン軍が迫っていたときも似たようなことが行われ、エレミヤが神の名をもって非難したことが記されている( →エレミヤ記34)。キリストの愛により変革されない人間は、どこまでいっても浅ましい。▼「そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか』」(マタイ18:32,33)


朝の露 ネヘミヤ記4章 <ゆるがない信仰>

2016-07-14 | ネヘミヤ記

グラジオラス「私は彼らが恐れているのを見て立ち上がり、おもだった人々や、代表者たち、およびその他の人々に言った。『彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために戦いなさい。』」(ネヘミヤ記4:14新改訳)

エルサレム城壁が再建されていくのを見た異邦人、つまりサマリヤ人、アラブ人、アモン人たちは激しく怒り、陰謀を企てた。なにしろ数では圧倒的な力を持つ彼らだったから、ユダヤ人たちが非常な心細さをおぼえたのも無理からぬことである。▼このようなときは、指導者がどれだけ強い信仰を持っているかが鍵になる。ネヘミヤは敵の人数や力でなく、天にいます神を仰ぎ、その御腕に信頼してゆるがなかった。それを見た民は安心し、いざという時のため武器を用意し、昼夜二交代で敵に備え、工事を休むことなく続行したのである。嵐や激浪を見ていれば、不信仰で倒れるしかないのは今もおなじだ。信仰の完成者であるイエスから目を離すな、と御霊は我らに言いたもう。▼「すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。『先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。』」(マルコ4:37,38)


朝の露 ネヘミヤ記3章 <突貫工事>

2016-07-13 | ネヘミヤ記

むくげ「その次に、エルサレムの残りの半区の長、ロヘシュの子シャルムが、自分の娘たちといっしょに修理した。」(ネヘミヤ記3:12新改訳)

現代のエルサレム市から見れば、ネヘミヤの修理した石垣は、小規模なものだった。▼記述によれば、神域の北側にある羊門から反時計回りに、工事の模様と分担者の名が記されている。これらは各自担当した石垣と門を同時進行で再建したのだろう。いずれにしても、敵に包囲された中での突貫工事はたいへんな労働だったのではないか。人々はそれぞれの区域を分担し、一家総出で仕事をした。冒頭の聖句によれば、南西部の城壁を修理したシャルム家は、娘たちまで働いたことがわかる。▼積み上げた石一個がどの程度の大きさだったかわからないが、一辺が30センチの角石だったとしても、ひとりでは持ち上がらなかったろう。▼四面楚歌の中で続けられた再建工事、それは現代の教会建設に似ている。私たちもイエス・キリストの教会を建て上げているのだが、悪魔の攻撃とこの世の力にさらされながらの工事だ。全能者の御力におすがりしつつ、一歩一歩進もう。▼私たちが今日積み上げる石やレンガは、わずか数個かもしれないが、世界中のキリスト者たちがそれぞれの国と場所でおなじように働いている。お互いに見えないし、見えても部分的だろう。しかし、はるか高き所で全世界を見渡し、図面を片手に進捗状況を見守っているお方がおられる。私たちの主イエスである。またすでに天に行った信仰の先輩たちにも、地上が見えているかもしれない。彼らはどんなに声援を送っていることだろう。「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、・・・忍耐をもって走り続けようではありませんか。」(ヘブル12:1)


朝の露 ネヘミヤ記2章 <王の許可>

2016-07-12 | ネヘミヤ記

生垣「王は私に言った。―王妃もそばにすわっていたー『旅はどのくらいかかるのか。いつ戻って来るのか。』私が王にその期間を申し出ると、王は快く私を送り出してくれた。」(ネヘミヤ記2:6新改訳)

このときのペルシャ王はアルタシャスタといわれるが、すでに二〇年間王位にあった。ネヘミヤが登用されて何年目かは不明だが、両者の間には深い信頼関係が築かれていたとみてまちがいない。そうでなければ、ユダ州に総督として派遣し、エルサレム再建を許すはずはない。そこが民族反乱の拠点となるかもしれないのだから。▼おそらく王は、ネヘミヤと長年交わるあいだに、イスラエルの神について、またユダヤ人たちが罪を犯したためバビロン捕囚にあったことなどについて、聞き及んでいたにちがいない。そこで再建工事を許可したのだろう。ネヘミヤは「私の神の恵みの御手が私の上にあったので」と2回くり返し(8,18節)、すべてが神の恵みによることを強調している。▼私たちも、キリスト者以外の人々との関係をおろそかにすることなく、誠実な人としての評判を得るよう努力しなければならない。そのような歩みが、いざというとき神の恵みの御手に握りしめられ、思いがけない助けを受けるきっかけになるのである。