しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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聖日の朝に <おことばどおりこの身に>

2024-08-11 | みことば静想
「マリアは言った。 『ごらんください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。』すると、み使いは彼女から去って行った。」(ルカ1:38新改訳)

ナザレの町に住む一女性マリアに、とつぜん天使ガブリエルが現れ、「おめでとう、恵まれた方。・・・あなたは身ごもって、男の子を産みます」と言ったとき、彼女はどんなにおどろいたことか。▼ちょっと考えれば、おめでとうどころではない。歴史上、前代未聞のことが起ころうとしているのだ。きびしい律法社会のユダヤで未婚の女性が子を産むことは危険であった。姦淫を犯した証拠とみなされるからである。マリアがいかに事情を説明しても世間は信用しないことが目に見えている。その先頭に立つのはおそらく婚約者ヨセフであろう。それなのに、天使は「おめでとう、恵まれた方」と言ったのである。▼続いてガブリエルは「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます」と宣言した。その上、彼は生まれる子がダビデの王位につき、その支配する国は永遠の国となる、とまで言ったのだ。ふつうの女性であればパニックになってもおかしくないし、そこまでいかなくても、あわてふためいたことであろう。▼だがマリアはちがっていた。「あなたのおことばどおり、この身になりますように」とお答えしたのであった。私は、この答えは人が口から出すもっとも美しい信仰の言葉だと思う。神のことばがその人にのぞむとき、そのとおり、わが身になりますようにと答えることこそ、信仰と従順のいちばん美しい姿があらわれる瞬間ではないだろうか。が、はたして私たちキリスト者のうち、どれだけの者が、ふだんの生活にあって聖書を前にするとき、ひびいてくる神のことばに対して「あなたのおことばどおり、この身になりますように」心からお答えし、わが身を主にささげているだろうか。謙遜と信仰は硬貨のうらおもてにほかならない。「私は主のはしためです。ですからどうぞおことばどおりのことが、この身になりますように」と喜んでお答えする信仰生涯に入れていただこうではないか。