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みにくいあひるの子

2005年11月19日 | 雑談(その他)
有名な話ですが、今読んでいる堀田あけみさんの「少女びより」という本にちらっと出てきました。

醜い×②とみんなからいじめられてたアヒルが実は白鳥だったってやつ。

いじめられっ子が、将来すごい人になるかもしれない。
だから、不用意にいじめてはいけないって教訓めいた話だと記憶しています。

ふと思ったけど、これって変じゃない?

根本的に白鳥とアヒルは鳥種が違う。
アヒルの中の白鳥ではない。
アヒルにはアヒルの生態圏があり、白鳥には白鳥の生態圏がある。
各生態圏ごとに、美人、不美人の定義があって、それを共有することはないのでは?

アヒルだろうが白鳥だろうが、「その子」にとってはどっちでも構わない。
醜いアヒルとして成長したけど、実は白鳥だった。
その姿が、白鳥として容姿端麗かどうかが重要なのでは?

醜いアヒルの成長した姿が、醜い白鳥では意味がない。
幼少期はアヒル界で疎まれ、大人になったら白鳥界で疎まれることになるから。

さらに言えば、アヒル世界で普通に醜いアヒルの立場は?
醜いアヒルなばっかりに、「実は自分は白鳥なのかも?」なんて期待して、
大人になってもやっぱり醜いアヒルだったらほんと、悲しいよね。
っていうか、概ねそっちのほうが多いのでは?

幸運にして白鳥だったとしても、白鳥世界のハードルが待っているわけで・・・。

醜い白鳥は、アヒル世界では通用しても、白鳥世界で通用しない。

ガリバー旅行記でも、普段背が小さいとバカにされていた人が、
小人の国に行って、大男扱いされて喜んでいる話がある。。

そんなとこで喜んでも、何の意味も無い。
いや、そこにいる限り羨望の眼差しを受けられる。
みにくい白鳥の子は、ずっとアヒル世界にいれば、幸せ?

まぁ何が幸せかはその「アヒルもどきの白鳥」の意思に任せるけどさ。

そう考えると、世間のみにくいアヒルの子の話の捉え方おかしいと思う。
「醜い×②といじめられていたアヒルが実は白鳥だった。」
という話から、
「いじめられっ子が、将来すごい人になるかもしれない。」
という教訓はどう考えても導かれない。
っていうか、その白鳥は何の努力もしてないわけで、
他の教訓の欠片を見つけることも難しい。

「醜い×②といじめられていたアヒルが実は白鳥だった。」
「ふーん、なんかみんなと違うと思ってたんだよね、
白鳥って幼少は結構醜いんだね、びっくり!!」
ぐらいの反応でしょう。

トリビアの泉なら、

「白鳥の幼少期は、・・・アヒルの子よりも醜い」

さぁ、何ヘェ?ってところ。

童話って、子供向けだけど、書いたのは大人だよね。

疑問は抱かなかったのだろうか?
それとも、童話にリアリティを求めるのはナンセンスなのかしら
コメント
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