今回は、テレビの情報番組とWEBニュースのトピックスで気になった内容についてのお話です。
テレビに映ったごみ屋敷
テレビの情報番組が、ごみ屋敷を取材していました。
老女が1人で住んでいる家です。
取材スタッフがごみ屋敷へ行き、なぜごみ屋敷になったのか、なぜごみを捨てないのか、そもそもいつからごみ屋敷なのか、などを取材しながら、徐々にごみを自主的に捨てるように、スタッフが説得や言葉での誘導を試みます。
一度、捨てること(捨てはじめること)を約束し、画面には老女がごみをまとめる映像も流れていましたが、後日スタッフが訪れると、まとめたごみはそのまま。
老女は、分別ごみの曜日が違うから、次の回収日に捨てると言い、取材VTRはそこで終わりでした。
この老女の家がごみ屋敷になった経緯は、以下のような感じでした。
もともと裕福な家庭で、ごみ屋敷ではなかった。
数年前に旦那様が亡くなっている。
旦那様が亡くなってからごみが増え始めた。
老女の特徴も記載しておきます。
年齢は86歳らしい。
子どもは独立?していて、ごみ屋敷にはいない(この辺はよく聞こえなかったです)
高学歴なのか独学なのかはわからないが、英語が得意な様子。
最初のうちは、ごみは大切なものだから捨てないと言っていた。
会話のキャッチボールもできるし、ごみのこと以外は常識的なことを言う。
ごみの分別も回収日も理解しているし、自分がごみに埋もれて生活していることも理解している。
ごみのまとめ方も、わかっている。
じっくり話をした結果ごみを捨てると言い出したので、ごみに埋もれている生活はよくないことを理解している。
ざっくりと、このような感じでした。
もともと裕福な暮らしをしていて、ごみ屋敷ではなかったことは、ご近所の方々も口々に仰っていて、それゆえになぜごみ屋敷になったのかが、スタッフもご近所の方も理解できないようでした。
ごみ屋敷になる原因や理由を考えてみた
ごみ屋敷になるには、それなりの行動や心理状態があるはずです。
これまでテレビやネット上で、ごみ屋敷の取材や片付けに至るまでのレポートをいくつも見てきましたが、なんとなく見えてくる点があったので、書きだしてみます。
・住人が1人暮らしで、ある程度の年齢を経ていることが多い
・片付けや整理整頓がそもそも苦手な人がいる
・精神的あるいは身体的なトラブルにより、片づけや整理整頓ができずごみを捨てられない状態に陥った経緯がある
・ごみの分別は苦手、あるいは理解できていない
・もったいないという気持ちが、モノに対してもお金に対しても異常に強い
・片付けやごみを捨てる話になると、頑固になったり屁理屈を言い出し不機嫌になる
・人へ迷惑をかけている自覚はなく、自分は正しいというスタンスを崩さない
・自分に寄り添ってくれる人の話は、素直に耳を傾ける
・自主性が乏しい人が多い
・性格的に、ごみのことまで手が回らないか、ごみが見えていない
ごみ屋敷に至るまでの経緯は個々のケースがありますが、中には何かしらの病気や障がいや既往症があって、体力的にごみを運び出せない、あるいは分別することができない方も存在します。
先天的にそういう方もいるし、ある日突然そうなった方もいます。
そういう方には、介助や介護とは別の何かしらのサポート機関やサービスや相談窓口があれば、ごみ屋敷から脱せるかもしれません。
しかし、身体的には問題がなく、理解力もあり、ごみの分別も捨てる体力も、片づけや整理整頓する知恵や技能があっても、ごみ屋敷になってしまう人がいます。
こういう方は、ごみの分別が面倒くさいからしたくないとか、あきらかな不要品をもったいないから処分しないとか、本当は捨てなければいけないと思っているにも関わらず、他人から言われると頑なになってしまうとか、対応が難しいケースが多いように感じます。
ただ、本当の理由が金銭的な事情の場合は“誰か”が“無料”で片付けてくれると申し出ると、だったら捨ててもいい、片づけてもいい、という態度に変わるパターンも見たことがあります。
結局、マネーサポートとボランティアのマンパワーがあったら、解決できるのかもしれません。
また、ごみを分別したり捨てたりすることに、意識が向かない方もいます。
このような方は、近くにサポートをしてくれる人がいる場合には、その人が片付けや整理整頓をしてくれており、ごみもこまめに片付けてくれていますが、その人がいなくなった途端にごみが溜まり、あっという間にごみ屋敷の完成です。
今回の老女は、ごみは大切と言っていました。
旦那様が亡くなり、すべてのモノが旦那様との大切な思い出で捨てられなくなり、後から加わったごみも惰性で捨てずに保管していた結果が、ごみ屋敷だったかもしれません。
加えて、年齢が86歳ということを考えると、旦那様が亡くなった後、体力的に片付けやごみ捨てができない日が増えていったかもしれませんね。
嘘でもいいから共感して心へ歩み寄らなければ
番組では、近所が迷惑していることもあり、取材したスタッフが老女へごみを捨てるように促す試みをしました。
しかし、今回の番組も含め、これまで放送されてきたごみ屋敷の取材で共通しているのは、なぜごみを捨てないのか、捨てた方がいいのではないか、人に迷惑をかけているとは思わないか、という質問ばかり。
こういうスタッフの方は、家からごみが溢れている状態からごみを分別して捨てるということが、いかに体力を使い精神的にも大変だと理解して言っているのでしょうか?
なぜそうなったか、なぜ捨てないか、と質問する状態はとっくの昔に過ぎていると思うのですが?
その質問をするのは、まだ家の中で床がわずかでも見えている状態のときがギリギリだと思います。
汚部屋の片づけとごみ屋敷の片付けの根本的な違いは、そこだと思います。
私の感覚では、汚部屋は番組の企画で片付け可能だけど、ごみ屋敷はかなり大掛かりなプロジェクトを考えないと、きれいな状態にするのは無理です。
片付けるにあたり質問するのはいいと思いますが、ごみ屋敷の住人のほとんどは、どこかで助けを必要としている状態だと思いますから、もし本気で片付けてほしいなら、共感と歩み寄りは絶対に必要だと思いました。
その不要品を必要としている人がいる
今度はネットで見つけた、ラップ芯が300円で売れる、という記事です。
最近は、フリマアプリやサイトを利用して不要品を売る方が増えていて、ラップ芯やお菓子の空箱で売買が成立しているそうです。
需要先としては、子どもがいる家庭です。
夏休みの工作用に、ラップ芯やお菓子やティッシュの空き箱がたくさん必要になるそうです。
空箱なら、10個セットとかで出品すると買い手が付きやすいとか。
私は梱包の手間が面倒くさいので利用しませんが、リサイクルショップやネットオークションでは出せないようなジャンク品や、おまけの類いでも、出品の仕方や商品説明の書きかた次第では、結構いい値段で売れるとのこと。
家電品などは、周りが汚れていても塗装が剥がれていても、正常に作動するなら欲しいという方も多いらしいです。
主に、1人暮らしを始める大学生や社会人1年生が多いようです。
家電のジャンク品も、モノによっては使われている部品に需要があり、買うのは工学系や電子系のモノづくりをしているような人だそうです。
いままで、売れないと思われてきた状態のモノでも、欲しいと思う人がいる。
しかも、私がごみ袋にさっさと入れてしまうようなモノでも、誰かが必要としているモノだなんて、思いもつかなかった。
我が町では、紙ごみリサイクル回収という取り組みがあります。
紙ごみを集めて、業者で再加工する取り組みです。
回収場所が決まっていて、ある程度貯まったら自分で持ち込むのですが、その紙ごみも世の中の誰かが必要としているモノだと思うと、ここにたくさんあるよ!って叫びたくなりますね。
ごみ屋敷も宝屋敷になりうるが
ごみにするようなモノでも必要としている人がいるならば、ごみ屋敷はおそらく宝屋敷でもあるということですよね。
巡り合せがあったら、ごみ屋敷は片付くし不要品を必要としている人は、欲しいモノを存分に手に入れられそうです。
これ、上手くシステム化したら、ごみ屋敷が今よりも減るのではないでしょうか?
ごみ屋敷住人が、不要品を処分する決意をすることが大前提ですが...
もし、本来ごみになる不要品を欲しいと思う方が、ごみ屋敷住人に「ぜひ有償で譲ってほしい」と頼めば、案外あっさり手放してくれるような気もします。
ごみに特化した、お互いの状況と気持ちのマッチングをサポートするシステム、あったらいいですね。
捨てるか売るかの気持ちの比重
私の場合、梱包の手間が面倒くさいのでフリマサイトは利用しないと言いましたが、気持ちに余裕があったら利用してもいいと思っています。
しかし、今の自分の状態だと、一日でも早く手放したい気持ちが大きすぎて、捨てることを選択します。
気持ちの比重は、“売る”より“捨てる”方が重いです。
フリマサイトを利用すれば、不要品の処分ができる上にお金も入るのでお得なはずなのですが、どうしても、サイトへの商品登録や商品説明、値段設定、梱包材の準備、梱包作業、発送作業...
やるべきことが多すぎて、考えているだけでも精神的に追い込まれてしまいます。
捨てるだけなら、手に取ってごみ袋へ入れるという2アクションで済むし、あとは回収日にごみステーションへ持っていくだけですから、気持ちの上で楽です。
もったいないという気持ちはあります。
しかし、それ以上に捨てたい気持ちが勝っています。
ただ、もし不要品が残り少なくなって、生活にも気持ちにも余裕を感じられるようになったら、フリマサイトを使ってみてもいいかな、と思っています。
ごみ屋敷の話と不要品が売れるという話でしたが、自分で書いているうちに、世の中上手くいかないことの方が多いのかな、と思いました。
フリマサイトへ不要品を出品する人は、ごみ屋敷には住んでいません。
不要品を必要と思う人は、ごみ屋敷住人と売買交渉をすることはありません。
本当はどちらにもメリットがあるはずなのに、お互いが接触することがないと思うと、ごみ屋敷が無くなる日は、なかなか来ないのかもしれませんね。
テレビに映ったごみ屋敷
テレビの情報番組が、ごみ屋敷を取材していました。
老女が1人で住んでいる家です。
取材スタッフがごみ屋敷へ行き、なぜごみ屋敷になったのか、なぜごみを捨てないのか、そもそもいつからごみ屋敷なのか、などを取材しながら、徐々にごみを自主的に捨てるように、スタッフが説得や言葉での誘導を試みます。
一度、捨てること(捨てはじめること)を約束し、画面には老女がごみをまとめる映像も流れていましたが、後日スタッフが訪れると、まとめたごみはそのまま。
老女は、分別ごみの曜日が違うから、次の回収日に捨てると言い、取材VTRはそこで終わりでした。
この老女の家がごみ屋敷になった経緯は、以下のような感じでした。
もともと裕福な家庭で、ごみ屋敷ではなかった。
数年前に旦那様が亡くなっている。
旦那様が亡くなってからごみが増え始めた。
老女の特徴も記載しておきます。
年齢は86歳らしい。
子どもは独立?していて、ごみ屋敷にはいない(この辺はよく聞こえなかったです)
高学歴なのか独学なのかはわからないが、英語が得意な様子。
最初のうちは、ごみは大切なものだから捨てないと言っていた。
会話のキャッチボールもできるし、ごみのこと以外は常識的なことを言う。
ごみの分別も回収日も理解しているし、自分がごみに埋もれて生活していることも理解している。
ごみのまとめ方も、わかっている。
じっくり話をした結果ごみを捨てると言い出したので、ごみに埋もれている生活はよくないことを理解している。
ざっくりと、このような感じでした。
もともと裕福な暮らしをしていて、ごみ屋敷ではなかったことは、ご近所の方々も口々に仰っていて、それゆえになぜごみ屋敷になったのかが、スタッフもご近所の方も理解できないようでした。
ごみ屋敷になる原因や理由を考えてみた
ごみ屋敷になるには、それなりの行動や心理状態があるはずです。
これまでテレビやネット上で、ごみ屋敷の取材や片付けに至るまでのレポートをいくつも見てきましたが、なんとなく見えてくる点があったので、書きだしてみます。
・住人が1人暮らしで、ある程度の年齢を経ていることが多い
・片付けや整理整頓がそもそも苦手な人がいる
・精神的あるいは身体的なトラブルにより、片づけや整理整頓ができずごみを捨てられない状態に陥った経緯がある
・ごみの分別は苦手、あるいは理解できていない
・もったいないという気持ちが、モノに対してもお金に対しても異常に強い
・片付けやごみを捨てる話になると、頑固になったり屁理屈を言い出し不機嫌になる
・人へ迷惑をかけている自覚はなく、自分は正しいというスタンスを崩さない
・自分に寄り添ってくれる人の話は、素直に耳を傾ける
・自主性が乏しい人が多い
・性格的に、ごみのことまで手が回らないか、ごみが見えていない
ごみ屋敷に至るまでの経緯は個々のケースがありますが、中には何かしらの病気や障がいや既往症があって、体力的にごみを運び出せない、あるいは分別することができない方も存在します。
先天的にそういう方もいるし、ある日突然そうなった方もいます。
そういう方には、介助や介護とは別の何かしらのサポート機関やサービスや相談窓口があれば、ごみ屋敷から脱せるかもしれません。
しかし、身体的には問題がなく、理解力もあり、ごみの分別も捨てる体力も、片づけや整理整頓する知恵や技能があっても、ごみ屋敷になってしまう人がいます。
こういう方は、ごみの分別が面倒くさいからしたくないとか、あきらかな不要品をもったいないから処分しないとか、本当は捨てなければいけないと思っているにも関わらず、他人から言われると頑なになってしまうとか、対応が難しいケースが多いように感じます。
ただ、本当の理由が金銭的な事情の場合は“誰か”が“無料”で片付けてくれると申し出ると、だったら捨ててもいい、片づけてもいい、という態度に変わるパターンも見たことがあります。
結局、マネーサポートとボランティアのマンパワーがあったら、解決できるのかもしれません。
また、ごみを分別したり捨てたりすることに、意識が向かない方もいます。
このような方は、近くにサポートをしてくれる人がいる場合には、その人が片付けや整理整頓をしてくれており、ごみもこまめに片付けてくれていますが、その人がいなくなった途端にごみが溜まり、あっという間にごみ屋敷の完成です。
今回の老女は、ごみは大切と言っていました。
旦那様が亡くなり、すべてのモノが旦那様との大切な思い出で捨てられなくなり、後から加わったごみも惰性で捨てずに保管していた結果が、ごみ屋敷だったかもしれません。
加えて、年齢が86歳ということを考えると、旦那様が亡くなった後、体力的に片付けやごみ捨てができない日が増えていったかもしれませんね。
嘘でもいいから共感して心へ歩み寄らなければ
番組では、近所が迷惑していることもあり、取材したスタッフが老女へごみを捨てるように促す試みをしました。
しかし、今回の番組も含め、これまで放送されてきたごみ屋敷の取材で共通しているのは、なぜごみを捨てないのか、捨てた方がいいのではないか、人に迷惑をかけているとは思わないか、という質問ばかり。
こういうスタッフの方は、家からごみが溢れている状態からごみを分別して捨てるということが、いかに体力を使い精神的にも大変だと理解して言っているのでしょうか?
なぜそうなったか、なぜ捨てないか、と質問する状態はとっくの昔に過ぎていると思うのですが?
その質問をするのは、まだ家の中で床がわずかでも見えている状態のときがギリギリだと思います。
汚部屋の片づけとごみ屋敷の片付けの根本的な違いは、そこだと思います。
私の感覚では、汚部屋は番組の企画で片付け可能だけど、ごみ屋敷はかなり大掛かりなプロジェクトを考えないと、きれいな状態にするのは無理です。
片付けるにあたり質問するのはいいと思いますが、ごみ屋敷の住人のほとんどは、どこかで助けを必要としている状態だと思いますから、もし本気で片付けてほしいなら、共感と歩み寄りは絶対に必要だと思いました。
その不要品を必要としている人がいる
今度はネットで見つけた、ラップ芯が300円で売れる、という記事です。
最近は、フリマアプリやサイトを利用して不要品を売る方が増えていて、ラップ芯やお菓子の空箱で売買が成立しているそうです。
需要先としては、子どもがいる家庭です。
夏休みの工作用に、ラップ芯やお菓子やティッシュの空き箱がたくさん必要になるそうです。
空箱なら、10個セットとかで出品すると買い手が付きやすいとか。
私は梱包の手間が面倒くさいので利用しませんが、リサイクルショップやネットオークションでは出せないようなジャンク品や、おまけの類いでも、出品の仕方や商品説明の書きかた次第では、結構いい値段で売れるとのこと。
家電品などは、周りが汚れていても塗装が剥がれていても、正常に作動するなら欲しいという方も多いらしいです。
主に、1人暮らしを始める大学生や社会人1年生が多いようです。
家電のジャンク品も、モノによっては使われている部品に需要があり、買うのは工学系や電子系のモノづくりをしているような人だそうです。
いままで、売れないと思われてきた状態のモノでも、欲しいと思う人がいる。
しかも、私がごみ袋にさっさと入れてしまうようなモノでも、誰かが必要としているモノだなんて、思いもつかなかった。
我が町では、紙ごみリサイクル回収という取り組みがあります。
紙ごみを集めて、業者で再加工する取り組みです。
回収場所が決まっていて、ある程度貯まったら自分で持ち込むのですが、その紙ごみも世の中の誰かが必要としているモノだと思うと、ここにたくさんあるよ!って叫びたくなりますね。
ごみ屋敷も宝屋敷になりうるが
ごみにするようなモノでも必要としている人がいるならば、ごみ屋敷はおそらく宝屋敷でもあるということですよね。
巡り合せがあったら、ごみ屋敷は片付くし不要品を必要としている人は、欲しいモノを存分に手に入れられそうです。
これ、上手くシステム化したら、ごみ屋敷が今よりも減るのではないでしょうか?
ごみ屋敷住人が、不要品を処分する決意をすることが大前提ですが...
もし、本来ごみになる不要品を欲しいと思う方が、ごみ屋敷住人に「ぜひ有償で譲ってほしい」と頼めば、案外あっさり手放してくれるような気もします。
ごみに特化した、お互いの状況と気持ちのマッチングをサポートするシステム、あったらいいですね。
捨てるか売るかの気持ちの比重
私の場合、梱包の手間が面倒くさいのでフリマサイトは利用しないと言いましたが、気持ちに余裕があったら利用してもいいと思っています。
しかし、今の自分の状態だと、一日でも早く手放したい気持ちが大きすぎて、捨てることを選択します。
気持ちの比重は、“売る”より“捨てる”方が重いです。
フリマサイトを利用すれば、不要品の処分ができる上にお金も入るのでお得なはずなのですが、どうしても、サイトへの商品登録や商品説明、値段設定、梱包材の準備、梱包作業、発送作業...
やるべきことが多すぎて、考えているだけでも精神的に追い込まれてしまいます。
捨てるだけなら、手に取ってごみ袋へ入れるという2アクションで済むし、あとは回収日にごみステーションへ持っていくだけですから、気持ちの上で楽です。
もったいないという気持ちはあります。
しかし、それ以上に捨てたい気持ちが勝っています。
ただ、もし不要品が残り少なくなって、生活にも気持ちにも余裕を感じられるようになったら、フリマサイトを使ってみてもいいかな、と思っています。
ごみ屋敷の話と不要品が売れるという話でしたが、自分で書いているうちに、世の中上手くいかないことの方が多いのかな、と思いました。
フリマサイトへ不要品を出品する人は、ごみ屋敷には住んでいません。
不要品を必要と思う人は、ごみ屋敷住人と売買交渉をすることはありません。
本当はどちらにもメリットがあるはずなのに、お互いが接触することがないと思うと、ごみ屋敷が無くなる日は、なかなか来ないのかもしれませんね。