好きなテレビ番組があります。
しかし、放送時間に家にいなかったり、他の番組と重なったり、深夜放送で起きていられなかったりするので、毎週自動的に録画するように設定しています。
また、ドキュメンタリーが好きで、特に最近は遺跡関連のドキュメンタリーが興味深くて、録画しています。
録画を見るタイミング
録画したその日は、翌日にでも見ようと思うのですが、なぜか翌日は他のことをしてしまい、時間がありません。
なんだかんだと、先延ばしにしていると、いつの間にか1か月くらい経っているときもあります。
録画する番組のほとんどは、30分~1時間程度の長さですから、いくらでも時間は取れるはずなのに、1か月も先延ばしにした結果、1日かけても全部は見られないくらいに溜まってしまいます。
録画した番組を見る順番
録画した番組を見るときは、とにかく30分の番組を優先しています。
CMやオープニングを早送りして、少しでも多くの録画を見られるように頑張っています(笑)
連続放送の場合は、次週の放送前までに見るようにしていますが、スペシャル番組やシリーズで放送された番組は一気に見たいので、どこにも出かけない日を選んでいます。
溜め込む構図はモノと同じ
録画した番組は、モノと違って部屋を汚したり、場所を占領したりはしませんが、時間を占領されるというデメリットが生じます。
目に見えない形で保存しているため、溜め込んでいる実感がありませんが、溜め込む過程は、いつの間にか増えている不要品と全く同じ。
好きだから、興味があるから、見たら(買ったら)なんだか自分のステイタスが上がるような気がするから、見たら幸せな気分になるから...
そうやって、自分の気持ちにダイレクトに従った結果、いつの間にか増えて収拾がつかない。
恐ろしいことです(苦笑)
見なくても困らない
不要品と同じで、普段の番組は見なくても生活に困ることはありません。
有益な情報を発信している番組はありますが、自分の生活に必ずしも有益かどうかは曖昧です。
重要なニュースや、災害時の避難指示や、注意報警報を見る場合は話が別ですが、普段放送されている番組は必ず見なければいけない、というレベルではありません。
それなのに、つい好きな番組を録画してまで見たいと思ってしまう。
なぜなのでしょう?
録画してまで見たい理由
録画するのは、いつか時間を割いてでも見たいと思っているからなのですが、なぜ時間を割いてでも見たいのかというと、“知っておきたい”という欲求があるからだと思います
ドキュメンタリーは、まさにその理由です。
遺跡関連の番組に興味があると書きましたが、遺跡はいまだに謎の部分が多く、日々発掘や調査が繰り返されています。
昨日まで信じられていた史実が、翌日には全く別の史実になっていたりします。
謎だった部分や、曖昧だった部分が明らかになっていきます。
遺跡関連のドキュメンタリーは、謎だった部分を調査や発掘によって徐々に解明していきますが、その工程を見ることがとても好きで、まるで推理小説でも読んでいるかのような気持ちになれ、ワクワクします。
そして、自分が知らなかった発掘方法や調査方法を知ることと、自分も一緒に発掘や調査をしている気分になれるのが楽しいです。
知ったところで、自分の暮らしの役に立つかと言われると、話題提供できる程度で暮らしに役立つ知識ではないですが(笑)
バラエティ番組やドラマやアニメも、何かを“知っておきたい”のです。
誰も知らない雑学だったり、芸能人の裏の顔やプライベートだったり、ドラマやアニメの内容だったりと、知っていることで気持ちが満足するのでしょうね。
録画を見ずに消去することもあり
冷静に考えると、録画した番組から何かを知る必要はなく、知りたいことがあったら本を読んだり雑誌を読んだり、ネットで好きなときに調べたりすればいいことですよね。
画像や映像も、ネットで探せばどこかにあるだろうし、写真付きの本もありますし。
そういう思いもあるため、録画した番組を見ないで消去することもあります。
録画予約したときは、どうしても見たいと思っているのですが、時間が経って録画リストのタイトルを目にした段階で、時間を割いてまで見る必要がないかもしれない、という気持ちになったら、その番組は即消去。
こういうときは、不要品を処分しているときと同じような心理になります。
見たら面白いかもしれない、いつか見るつもり、誰かと番組の内容を話題にするかもしれない、見たら役立つかもしれない...
全て、不要品を処分できないときに抱く気持ちと同じで、笑ってしまいます。
ならば、消去するときも不要品を処分するときと同じようにすれば、録画を溜め込むこともなくなるはず。
更に、不要品を手に入れないための意識や行動も、録画に適用したらいいですよね。
そう考えだしたら、そもそも見られない時間帯に放送しているのだから、見ていない状態が当たり前ですし、だとしたら録画機器そのものも必要ないですよね。
となると、テレビも要らないと思うのですが、さすがにそれは寂し過ぎる気がします。
よく考えてから録画予約する
話を戻しますが、録画してまで見ようと思っていた番組を、見ることもなく消去するのならば、最初にその番組が自分にとってどれほど見たい番組なのかを考えてから、録画予約をしないといけませんね。
最近の私は、必需品以外の買い物をする際は、かなり考えてから購買行動をするようにしています。
本当に必要か、それがないと生活が困るのか、それがあったら暮らしも気持ちも充実するのか。
テレビ番組も同じようにしたら、多分録り溜めることがなくなります。
その番組が、どうしても見たいのか、見ないと生活に支障が出るのか、見れば暮らしも心も豊かになるのか。
まあ、おもしろかったり、驚いたりする内容であれば、その瞬間は気持ちが満たされるでしょうが、生涯気持ちが満たされるのかどうか、と考えると、数年後にあの番組を見たおかげで心が豊かになれた、と実感することはかなり稀でしょうね。
番組の録画は先の楽しみではあるのですが、溜め過ぎると見ることが苦痛になる場合があり、せっかく楽しみにしていた気分が台無しになります。
日々の暮らしの中で、ほんの数十分から数時間だけなら録画した番組を見ることも楽しいですが、苦痛になるほど録り溜めるのは、精神衛生上よろしくないです。
これからは、録画したら3日以内に見るようにして、番組を楽しむようにしないといけませんね。
私の人生、もう半分以上過ぎましたから、テレビ番組にばかり時間を取られたら大変ですし(苦笑)
人生を充実させるためにも、録画はほどほどにしておこうと思いました。
しかし、放送時間に家にいなかったり、他の番組と重なったり、深夜放送で起きていられなかったりするので、毎週自動的に録画するように設定しています。
また、ドキュメンタリーが好きで、特に最近は遺跡関連のドキュメンタリーが興味深くて、録画しています。
録画を見るタイミング
録画したその日は、翌日にでも見ようと思うのですが、なぜか翌日は他のことをしてしまい、時間がありません。
なんだかんだと、先延ばしにしていると、いつの間にか1か月くらい経っているときもあります。
録画する番組のほとんどは、30分~1時間程度の長さですから、いくらでも時間は取れるはずなのに、1か月も先延ばしにした結果、1日かけても全部は見られないくらいに溜まってしまいます。
録画した番組を見る順番
録画した番組を見るときは、とにかく30分の番組を優先しています。
CMやオープニングを早送りして、少しでも多くの録画を見られるように頑張っています(笑)
連続放送の場合は、次週の放送前までに見るようにしていますが、スペシャル番組やシリーズで放送された番組は一気に見たいので、どこにも出かけない日を選んでいます。
溜め込む構図はモノと同じ
録画した番組は、モノと違って部屋を汚したり、場所を占領したりはしませんが、時間を占領されるというデメリットが生じます。
目に見えない形で保存しているため、溜め込んでいる実感がありませんが、溜め込む過程は、いつの間にか増えている不要品と全く同じ。
好きだから、興味があるから、見たら(買ったら)なんだか自分のステイタスが上がるような気がするから、見たら幸せな気分になるから...
そうやって、自分の気持ちにダイレクトに従った結果、いつの間にか増えて収拾がつかない。
恐ろしいことです(苦笑)
見なくても困らない
不要品と同じで、普段の番組は見なくても生活に困ることはありません。
有益な情報を発信している番組はありますが、自分の生活に必ずしも有益かどうかは曖昧です。
重要なニュースや、災害時の避難指示や、注意報警報を見る場合は話が別ですが、普段放送されている番組は必ず見なければいけない、というレベルではありません。
それなのに、つい好きな番組を録画してまで見たいと思ってしまう。
なぜなのでしょう?
録画してまで見たい理由
録画するのは、いつか時間を割いてでも見たいと思っているからなのですが、なぜ時間を割いてでも見たいのかというと、“知っておきたい”という欲求があるからだと思います
ドキュメンタリーは、まさにその理由です。
遺跡関連の番組に興味があると書きましたが、遺跡はいまだに謎の部分が多く、日々発掘や調査が繰り返されています。
昨日まで信じられていた史実が、翌日には全く別の史実になっていたりします。
謎だった部分や、曖昧だった部分が明らかになっていきます。
遺跡関連のドキュメンタリーは、謎だった部分を調査や発掘によって徐々に解明していきますが、その工程を見ることがとても好きで、まるで推理小説でも読んでいるかのような気持ちになれ、ワクワクします。
そして、自分が知らなかった発掘方法や調査方法を知ることと、自分も一緒に発掘や調査をしている気分になれるのが楽しいです。
知ったところで、自分の暮らしの役に立つかと言われると、話題提供できる程度で暮らしに役立つ知識ではないですが(笑)
バラエティ番組やドラマやアニメも、何かを“知っておきたい”のです。
誰も知らない雑学だったり、芸能人の裏の顔やプライベートだったり、ドラマやアニメの内容だったりと、知っていることで気持ちが満足するのでしょうね。
録画を見ずに消去することもあり
冷静に考えると、録画した番組から何かを知る必要はなく、知りたいことがあったら本を読んだり雑誌を読んだり、ネットで好きなときに調べたりすればいいことですよね。
画像や映像も、ネットで探せばどこかにあるだろうし、写真付きの本もありますし。
そういう思いもあるため、録画した番組を見ないで消去することもあります。
録画予約したときは、どうしても見たいと思っているのですが、時間が経って録画リストのタイトルを目にした段階で、時間を割いてまで見る必要がないかもしれない、という気持ちになったら、その番組は即消去。
こういうときは、不要品を処分しているときと同じような心理になります。
見たら面白いかもしれない、いつか見るつもり、誰かと番組の内容を話題にするかもしれない、見たら役立つかもしれない...
全て、不要品を処分できないときに抱く気持ちと同じで、笑ってしまいます。
ならば、消去するときも不要品を処分するときと同じようにすれば、録画を溜め込むこともなくなるはず。
更に、不要品を手に入れないための意識や行動も、録画に適用したらいいですよね。
そう考えだしたら、そもそも見られない時間帯に放送しているのだから、見ていない状態が当たり前ですし、だとしたら録画機器そのものも必要ないですよね。
となると、テレビも要らないと思うのですが、さすがにそれは寂し過ぎる気がします。
よく考えてから録画予約する
話を戻しますが、録画してまで見ようと思っていた番組を、見ることもなく消去するのならば、最初にその番組が自分にとってどれほど見たい番組なのかを考えてから、録画予約をしないといけませんね。
最近の私は、必需品以外の買い物をする際は、かなり考えてから購買行動をするようにしています。
本当に必要か、それがないと生活が困るのか、それがあったら暮らしも気持ちも充実するのか。
テレビ番組も同じようにしたら、多分録り溜めることがなくなります。
その番組が、どうしても見たいのか、見ないと生活に支障が出るのか、見れば暮らしも心も豊かになるのか。
まあ、おもしろかったり、驚いたりする内容であれば、その瞬間は気持ちが満たされるでしょうが、生涯気持ちが満たされるのかどうか、と考えると、数年後にあの番組を見たおかげで心が豊かになれた、と実感することはかなり稀でしょうね。
番組の録画は先の楽しみではあるのですが、溜め過ぎると見ることが苦痛になる場合があり、せっかく楽しみにしていた気分が台無しになります。
日々の暮らしの中で、ほんの数十分から数時間だけなら録画した番組を見ることも楽しいですが、苦痛になるほど録り溜めるのは、精神衛生上よろしくないです。
これからは、録画したら3日以内に見るようにして、番組を楽しむようにしないといけませんね。
私の人生、もう半分以上過ぎましたから、テレビ番組にばかり時間を取られたら大変ですし(苦笑)
人生を充実させるためにも、録画はほどほどにしておこうと思いました。