一昨日、伯父の法事が終わりましたが、昨日は遠方から来てくれた叔母と久しぶりに会った従姉と食事へ行ってきました。
暑さと法事の疲れが出て、帰宅した時はぐったり疲れていてブログの更新もできませんでした。
しかし、久しぶりに食事をしながらいろいろな話ができたので、老後にしておくべきことを少しですが整理できたような気がします。
おひとり様に残された宿題
3人で話す中で出てきたのは、不動産の話。
現在、母と母の兄弟姉妹が共同名義にしている不動産があるのですが、もともとは祖父から譲り受けた不動産です。
その不動産、共同名義にしているからといって何かのメリットがあるわけではありません。
正直に言ってしまうと、利用用途が決まっていて持っている意義がない不動産なので、誰も管理所有をしていたくなく、皆手放したいのです。
以前から、親戚の一部は手放すことで意見は一致していて、そのことについては問題がないのですが、共同名義のため法律上の手続きが複雑なのです。
母は兄弟姉妹が多く、その子どもたち(私のいとこたち)も多いです。
親の代で共同名義にしていたため、既に亡くなっている母の兄弟姉妹(いとこの親たち)の子ども全員と、現在残っている私の母、母の妹(今回食事を共にした叔母)全員が手放すことに同意したという書類を用意する必要があります。
また、共同名義であるため、一度名義を一人に絞ってから手放す必要があるとのこと。
手放し方も、共同名義人になっていない親族へ譲るのか、第3者へ売却するのかで違い、現在はとりあえず共同名義人と共同名義の不動産相続人による、正式な同意を確認するところで話し合いが止まっています。
食事をした3人(私、叔母、いとこ)は、現在おひとり様で子どももいません。
もし、共同名義の不動産処分を後回しにすると、私たちが旅立った後、現有している財産にプラスして共同名義の不動産の処分を、親戚の誰かにしてもらうことになります。
たった1つの不動産の相続手続でも煩雑で面倒なのに、共同名義の不動産など残っていたら、手続きだけで何か月もかかってしまいます。
私たちが残す財産(たとえ数十円でも)を、一番簡単な手続きで処分できるように、生きている今のうちに準備しておかなければならず、その準備のひとつとして不動産の整理と処分は必須なのです。
時代の変化についていけなかった価値観
祖父が子どもたちに不動産を残した理由は、おそらく祖父が生きた時代背景があります。
もともと、農家の跡取りだった祖父は、祖母と結婚する前からある程度の不動産を所有していたのですが、祖父は不動産の売買をする能力が高く戦後にその能力を発揮して、一時期はかなり広大な土地を所有していたこともあるそうです。
その不動産の一部は、母たちが成人するころに売却していましたが、残った不動産は子どもたち(母とその兄弟姉妹)へ残すために所有を続けていました。
不動産を持っていれば、将来子どもたちがお金に困らないだろうと思っていたようです。
売ったり貸したりすれば、収入には困らないはずだから、と。
しかし、現実はそう甘くなく、使用用途に汎用性がない不動産は収入を得るには程遠く、孫の代(私といとこたち)には無用の長物と化してしまいました。
理由はいくつかありますが、一番は日本の現法で定められているため、運用できない点。
使用用途が縛られているため、誰かに格安か無料で貸す、あるいは放置したままにするしか方法がありません。
しかも、売却したとしてもほとんどお金になりませんし、貸すとしても利用できる知識と技術がある人に借りてもらう必要があり、借りてくれる人までも限定されています。
他の理由もあります。
それは、その不動産を使用する技術や知識を持った者が、共同名義人の中にもその相続人にも居なかった点。
いくら土地を持っていても、利用できないならば意味がありません。
ましてや、毎年固定資産税だけは取られてしまう、お金が出ていくだけの不動産など、誰も所有したくありません。
祖父は曾祖父の稼業を継いだので、不動産も孫やひ孫の代まで引き継げるものだと思っていたのでしょう。
また、祖父が継いだ時代は、それで財を増やすことができたのも確かです。
しかし、今は法律が改正され、相続や生前贈与に関する手続きの煩雑さから、財産相続問題に見て見ぬふりをしている人も多いはず。
私たちも、一時期は問題があると思いつつ放置していたこともありました。
若い頃は、自分たちの生活を安定させることに必死で、将来に残る遺産のことなど考える余裕はありませんでした。
歳を重ねてやっと問題に向き合えた
いとこたちの生活はそれぞれで、子どもが独立していたり、孫がいたりする家庭もありますし、まだ子どもが学生で卒業して就職するまで、金銭的にも生活的にも大変な時期だったりもします。
共通しているのは、その子どもたちが将来幸せに暮らせているように、今できることを精一杯してあげたいという思いです。
最近、弔事や法事に参列することも増え、私たちが次の世代へ残すモノのことについて考えるきっかけや機会が増えてきました。
これまでも、祖父母の回忌法要で顔を合わせる機会はいつでもあったのですが、自分たちの将来にとどまらず、その子どもたちの将来も考えて話をできるようになったのは、今の年齢に達したからこそだと思います。
いとこたちそれぞれは、実を言うと財産と呼べるほどのモノは持っていません。
せいぜい、金融機関へ預けた預貯金残と、今住んでいる家程度。
生命保険や学資保険などを除いて、ほとんどが非課税枠に収まる程度の財産しか持っていないと思います。
もっとも、私の知らないところで財を成している可能性はあるかもしれませんが(笑)
子どもたちに残せる有益な財産は少ないかもしれませんが、不利益を被る可能性のある財産は残してはいけないと、個人的には思っています。
私には子どもがいませんが、いとこの子どもたちが私の遺産を相続する可能性があるわけですから、その子たちがいざ私の遺産をどうしたらいいのかと揉めたり悩んだりしないように、自分のことだけはきちんとしておきたいのが本音です。
そのためにも、今私が所有している不要なモノや利益にならないモノは、一日でも早く手放せるようにしたいです。
老後に身軽で居ることは、私の希望でもありますが、後に残される者に余計な荷物(自分にとって価値のない不要品すべて)を背負わせないことも、私の希望です。
いつか迎える最期までに、できる限りのことをしていこうと思うお盆なのでした。
暑さと法事の疲れが出て、帰宅した時はぐったり疲れていてブログの更新もできませんでした。
しかし、久しぶりに食事をしながらいろいろな話ができたので、老後にしておくべきことを少しですが整理できたような気がします。
おひとり様に残された宿題
3人で話す中で出てきたのは、不動産の話。
現在、母と母の兄弟姉妹が共同名義にしている不動産があるのですが、もともとは祖父から譲り受けた不動産です。
その不動産、共同名義にしているからといって何かのメリットがあるわけではありません。
正直に言ってしまうと、利用用途が決まっていて持っている意義がない不動産なので、誰も管理所有をしていたくなく、皆手放したいのです。
以前から、親戚の一部は手放すことで意見は一致していて、そのことについては問題がないのですが、共同名義のため法律上の手続きが複雑なのです。
母は兄弟姉妹が多く、その子どもたち(私のいとこたち)も多いです。
親の代で共同名義にしていたため、既に亡くなっている母の兄弟姉妹(いとこの親たち)の子ども全員と、現在残っている私の母、母の妹(今回食事を共にした叔母)全員が手放すことに同意したという書類を用意する必要があります。
また、共同名義であるため、一度名義を一人に絞ってから手放す必要があるとのこと。
手放し方も、共同名義人になっていない親族へ譲るのか、第3者へ売却するのかで違い、現在はとりあえず共同名義人と共同名義の不動産相続人による、正式な同意を確認するところで話し合いが止まっています。
食事をした3人(私、叔母、いとこ)は、現在おひとり様で子どももいません。
もし、共同名義の不動産処分を後回しにすると、私たちが旅立った後、現有している財産にプラスして共同名義の不動産の処分を、親戚の誰かにしてもらうことになります。
たった1つの不動産の相続手続でも煩雑で面倒なのに、共同名義の不動産など残っていたら、手続きだけで何か月もかかってしまいます。
私たちが残す財産(たとえ数十円でも)を、一番簡単な手続きで処分できるように、生きている今のうちに準備しておかなければならず、その準備のひとつとして不動産の整理と処分は必須なのです。
時代の変化についていけなかった価値観
祖父が子どもたちに不動産を残した理由は、おそらく祖父が生きた時代背景があります。
もともと、農家の跡取りだった祖父は、祖母と結婚する前からある程度の不動産を所有していたのですが、祖父は不動産の売買をする能力が高く戦後にその能力を発揮して、一時期はかなり広大な土地を所有していたこともあるそうです。
その不動産の一部は、母たちが成人するころに売却していましたが、残った不動産は子どもたち(母とその兄弟姉妹)へ残すために所有を続けていました。
不動産を持っていれば、将来子どもたちがお金に困らないだろうと思っていたようです。
売ったり貸したりすれば、収入には困らないはずだから、と。
しかし、現実はそう甘くなく、使用用途に汎用性がない不動産は収入を得るには程遠く、孫の代(私といとこたち)には無用の長物と化してしまいました。
理由はいくつかありますが、一番は日本の現法で定められているため、運用できない点。
使用用途が縛られているため、誰かに格安か無料で貸す、あるいは放置したままにするしか方法がありません。
しかも、売却したとしてもほとんどお金になりませんし、貸すとしても利用できる知識と技術がある人に借りてもらう必要があり、借りてくれる人までも限定されています。
他の理由もあります。
それは、その不動産を使用する技術や知識を持った者が、共同名義人の中にもその相続人にも居なかった点。
いくら土地を持っていても、利用できないならば意味がありません。
ましてや、毎年固定資産税だけは取られてしまう、お金が出ていくだけの不動産など、誰も所有したくありません。
祖父は曾祖父の稼業を継いだので、不動産も孫やひ孫の代まで引き継げるものだと思っていたのでしょう。
また、祖父が継いだ時代は、それで財を増やすことができたのも確かです。
しかし、今は法律が改正され、相続や生前贈与に関する手続きの煩雑さから、財産相続問題に見て見ぬふりをしている人も多いはず。
私たちも、一時期は問題があると思いつつ放置していたこともありました。
若い頃は、自分たちの生活を安定させることに必死で、将来に残る遺産のことなど考える余裕はありませんでした。
歳を重ねてやっと問題に向き合えた
いとこたちの生活はそれぞれで、子どもが独立していたり、孫がいたりする家庭もありますし、まだ子どもが学生で卒業して就職するまで、金銭的にも生活的にも大変な時期だったりもします。
共通しているのは、その子どもたちが将来幸せに暮らせているように、今できることを精一杯してあげたいという思いです。
最近、弔事や法事に参列することも増え、私たちが次の世代へ残すモノのことについて考えるきっかけや機会が増えてきました。
これまでも、祖父母の回忌法要で顔を合わせる機会はいつでもあったのですが、自分たちの将来にとどまらず、その子どもたちの将来も考えて話をできるようになったのは、今の年齢に達したからこそだと思います。
いとこたちそれぞれは、実を言うと財産と呼べるほどのモノは持っていません。
せいぜい、金融機関へ預けた預貯金残と、今住んでいる家程度。
生命保険や学資保険などを除いて、ほとんどが非課税枠に収まる程度の財産しか持っていないと思います。
もっとも、私の知らないところで財を成している可能性はあるかもしれませんが(笑)
子どもたちに残せる有益な財産は少ないかもしれませんが、不利益を被る可能性のある財産は残してはいけないと、個人的には思っています。
私には子どもがいませんが、いとこの子どもたちが私の遺産を相続する可能性があるわけですから、その子たちがいざ私の遺産をどうしたらいいのかと揉めたり悩んだりしないように、自分のことだけはきちんとしておきたいのが本音です。
そのためにも、今私が所有している不要なモノや利益にならないモノは、一日でも早く手放せるようにしたいです。
老後に身軽で居ることは、私の希望でもありますが、後に残される者に余計な荷物(自分にとって価値のない不要品すべて)を背負わせないことも、私の希望です。
いつか迎える最期までに、できる限りのことをしていこうと思うお盆なのでした。