AKILA's えgo

気まぐれに、ドラムや音楽の気になった事上げとります。

改装完了

2020-07-15 02:08:00 | スタジオ
この一週間での大雨の被害が甚大になった原因の一つは、期間の長さだってのは間違いない。

大雨ってのは正直毎年起こり得るものだって事、そろそろ理解しておいた方が良いと思うんだよな。
ソレが居住区域のある所に差し掛かったってワケで、変な話河川氾濫とか洪水の類は自然環境としては異常事態でもなかったりする。

人にとっては異常事態、緊急事態だっていう事だよ。


まァ、そーいう話をしたいワケでは無ェんだよ、ココで。
ソレは他所でも話せる事だ。

その大雨で、まともにスタジオへ足を運べなかったってのが歯がゆかった。
いや、別に週一で入らないと死ぬワケでもないし、一応バンド練習としてはドラム叩いてる点に於いてはそこも解消はされてる。

が、
新たに機材を仕入れたっていう事に関しては、いち早くスタジオ入って試してみたいモンだよ。


CANOPUSのCPSL-14DR42。ヴィンテージスネアワイアーの、42本ドライタイプである。

些細なものだと思われるが、まァ去年11月に出た比較的新しいパーツで、今テメェが所持してるスネアにもう一つ手を加えようと思っていた中で丁度面白そうだったから、入手してみた。

因みに安くはない。税込み6,600円。このメーカーは値引き許さないから、こーいうの一つ買うだけでも、自分の中で踏み込んでやった感はちょっとあったりする(笑)。

装着の対象はこのスネア。

CANOPUSのSSEL-1455。
1PLYシリーズの、エルム材を採用した単板スネア。
ラッカーとカバリングをチョイス出来る(カバリングは色々とカラーを選べた筈)が、コレは勿論ラッカー。

元々、この材質は硬質な低域とサスティーンの短さを特徴とした響きを持っているが、レインフォースメントを施している事で、その特性を更に引き出している。
それでいて鳴りの太さを失っていないところは実にCANOPUSらしい。

元々、このスネアにはヴィンテージスネアワイアーの20本ドライタイプが装着されている。
なので、比較がしやすかった。

装着したらこんな感じ。


解っていたが、やっぱ42本って威圧感ある(笑)。「幅広ですが何か?!」みたいな。

スナッピーの本数の違いに関しては当然ながら叩いた時の音の響きを変化させるが、本数が多いと「繊細な鳴りも明確に拾い上げやすい」ってところが最も大きな効果かな。

結果としてスネアサイドに広い面積のスナッピーがくっつく事になるから、ミュートの役割としても大きく出る。

今回装着したCPSL-14RD42、このスナッピーの仕様特性としてエンドプレート部が極薄に作られている為、42本にありがちな妙なミュート感を、極力減退させる効果を持ち、「スネアのシェル本体が持つ胴鳴りを活かしつつも、繊細な響きをより拾いやすくする」という効能を最大目的としたスナッピーである。

確かに、
20本タイプと比べてみても、太い鳴りに変化はあまり感じず、そこにキレ味が加味した感じになった。
42本であるが故の適度なルーズ感が、繊細な演奏に於ける鳴りもきちんと浮かび上がらせてくれる。
寧ろ、20本よりもスナッピー着いてる感が音から感じるという点で、この42本を装着したのは良い方向へ大きく働いたかと、個人的に思う。

あと、
このスネアのヘッドはバターサイドとスネアサイドをAQUARIANのヘッドに変更している為、スネアサウンドの硬度が相当増した状態である。
叩いていてスゲー気持ち良いんだが、コレが6.5の深さだったらなァ・・・とも思わずにゃいられない。
まァ、仕方ない。スネアとして、5.5しか出てねェからな。

どうするかな、今度予定されているライヴで使うっていうのでもアリかな。

もう少し使って考えてみよう。

一応、そのスネアのサウンドチェックと称した動画を撮ってみたんで、ココでまた晒しておく。



年月を重ねる毎に

2020-07-04 00:21:00 | ノンジャンル
現状、コロナ感染が原因でバンド活動は滞っている状態だが、一先ず先々に行われるであろうライヴの為に準備は着々としている。

エクストリームなメタルからは遠ざかっちまってるな(苦笑)。
でも、オレが取り組む演奏に於ける質ってのは全く変わっていない。

実際のところ、
やっているバンドに関しては、そーいう演奏をその中で求められている部分が多いからだ。
加入を求められたバンドは、オレの演奏を目の当たりにした上で、自分らしくやってほしいと言ってくれているワケでね。

勿論、既存の曲に対しては、その持ち味ってのを考慮した上での演奏を再構築させている。
自分の演奏に対しての満足度を高めるのであれば、その楽曲の持つグルーヴに則した上での自分らしい演奏を打ち出すべきだ。

人によっては、自分の家と呼ぶに足るバンドを作り上げ、どんなにメンバーが入れ替わっても自らが在る限りそのバンドである事を誇示する者も居る。
自らが変わらなければ、そのバンドの本質は不変、というワケだ。

ソレは、熟達した奏者に関して共通する事柄である。
特に昔の奏者は、自らの開拓を迫られていた事が多かったんじゃないかと思う。だからこそ、ユニークな表現、言ってみれば個性が際立つ者が多かったと感じる。

その人そのものがジャンルである、と言える様なものだ。
まァ、だからと言って何処に行っても通用するものではないが、自分であるスタイルを崩さず、大多数の者と渡り合える様な奏者は多くの者が実は憧れる存在なのではないだろうか。

オレにとっちゃ、やはりデイヴ・ロンバードがそうかな。
彼になれるわけがないし、今となっちゃあなろうと思わないが、独自且つ独創性に溢れたドラマーでありたいとは思う。

少なくともオレは、自分がやってきているドラム道を崩すことなく進んできた。良くも悪くも。
過去にオレを見てきた人たちからは、オレの事はツーバスのメタルドラマーだという認識が圧倒的に強い筈だ。
それもそうだろう。オレも一つはそこを認識してもらえるくらいに注力してきたし、そこは今でも全く変わらない。

その一方で、オレは曲の為のグルーヴを重視するドラマーでもある。
というよりは、ココが最も重要な点である。

「ドラムを叩く」のと、「曲を叩く」のは、全く違う。
それこそ、ドラマーである事を明確に切り分ける。

その上で、オレは力の限りぶっ叩く。

だからなのかもな、
オレよりも一回り以上も上の先輩ミュージシャンたちが買ってくれるのは。

今の基準からすれば決してキレイで滑らかな立ち回りとは言えないオレの演奏を高く評価してくれるのは、あの人たちがそもそもにしてそーいう道を作り通ってきた世代であるが故に、魂的に近いものを感じ取ってくれているんだろうと思う。

ホント、年輩ハード/ヘヴィロッカーどもと付き合う事が多くなったよ(笑)。
それもここまでキャリアを重ねてきたからこそ、なんだろうな。


・・・ついさっき、REVENGERやE.O.D.などで一緒にやってきているベースのHIDE氏の家とも言える、SCARIFEEDというバンドのギタリストが亡くなったという報せが舞い込んできた。

去年に大病を患って闘病中と聞いていたが、打ち勝つ事叶わなかった。

SCARIFEEDとはHIDE氏との関係もありメンバーの方々とは何度も会っているし、バンド結成30周年イヴェントの際には、オレもE.O.D.として対バンもさせてもらった。

その際、ギタリストのTAKA氏には「また一緒に対バンしよう」と何度も言ってもらっていたが、結局5年前のあの時が、最後の対バンとなってしまった。

志半ばで悔しかったのは、他でもない当人だった筈。

ご冥福をお祈りします。



身近で、こーいう訃報が最近出てくるようになってきた。
2020年は何つー年だ。令和は暗い影を落とす時代になっちまうのか?という考えを抱いちまう。

だからこそ、
今オレを頼ってくれる人間達に対して、ドラムで出来るのであればその期待に応えてあげれるようにしたい。

「お前と一緒にやれて良かった」と思ってもらえるように。
そこは、オレも同じ思いでもあるからさ。

年月を重ねる毎に、今やっている事に対して一発の説得力を持たせていきたいと感じるね。