こんな形で、また耳にするとは思いもよらなかったな。
LUNA SEAのオリジナルスタジオアルバムは現在10枚がカタログとして存在している。
その中には、個人的にお気に入りとなるアルバムが存在していると思う。
だが、バンドの存在を世に大々的に知らしめ、更には現在に至るまでのバンドの形を成し得た時期と言えば、間違いなくこの『MOTHER』と『STYLE』となる。
バンドの代表作であり、日本のロック史上に燦然と輝く名盤。
俗に言う❝ヴィジュアル系バンド❞の礎となったのは、実はX JAPANというよりもLUNA SEAであり、決定的としたのもこの2枚のアルバムと言える。
オリジナル盤『MOTHER』リリースから29年。『STYLE』は27年が経過している事になる。
こんな状況誰も予測してなかったろうな。
セルフカヴァー。しかもよりによってこの2枚。
いや、考えてみればこの2枚をセルフカヴァーする事に照準を合わせるのは順当だと言えるのだが、だからこそ個人的に「よりによって」という思いが過ったんだよな。
上述した様に、この2枚はLUNA SEAの代表作であり、今日までのバンドとしての在り方を生成するに至った重要作。
オリジナル盤を聴いていた時でも、手直しをする必要性など感じさせないほどの比類なき完成度だと感じていた。
自身を形成することに成功したというのを、本人たちも自覚があるんだろう。
この年月を経て、この2枚を敢えて選んだというのは。
セルフカヴァーアルバムってのは、実に繊細な取り組みだと思う。
当時の代表作とするものを現在のバンドが再表現するっていうのは、自他共に感情移入度合がかなり異なるんだよね。
メンバーが変わってしまえば、それだけで当時のやつとニュアンス違うとなるし、当時のサウンドプロダクションと演奏に満足していなかったという観点で、最早別物に聴こえてしまうことなんてのはザラにある。
特にリアルタイムで愛聴してきた者たちにこの拒絶感はよく起こり得るものであるが、その人達にとっては音の良し悪しじゃないんだよね。
その当時の緊張感やらの、その時の空気が封入されている事が重要なんだよ。
アナログであればある程、それが傑作と名高いアルバムであればある程、セルフカヴァーは余計なメス入れとなりかねない。
LUNA SEAはデビューからメンバーチェンジしていないし、2枚のアルバムでの雰囲気も、現在ライヴで演奏している分に当たってはそこまで変化をしているとも思えない。
勿論年月が経っている故の手癖的な部分変化などもあったりするが、オリジナルで創り上げたものより大幅なズレは感じない。
そう、
セルフカヴァーで特に危険なのは、年月を経た解釈を取り入れるかどうか。
曲内のエッセンスをちょっとした表現から感じ取る向きからしたら、そこを変えられたりした時点で「聴く価値なし」という烙印を押されてしまうだろう。
まァ、ある意味、この2枚を選ぶという挑戦をしたのも、LUNA SEAらしい感覚とも言える。
中でもJは「そのバンドを知るなら、アルバムはその時一番新しいアルバムから聴いてみる」と言っていたりもするので、「輝かしい過去があるのは名誉な事だが、一番大事なのはそのバンドが今現在も輝いてなければいけない」という理念をメンバー全員も持っているんだろう。
特にプライドの高いSUGIZOに関しては、その理念がなければ、この案に賛を唱えたりしていなかったんじゃないかと思う。
ダラダラと前置き長くなってしまったが、
じゃあその内容は?と言われれば、「見事なセルフカヴァーアルバム」と、個人的には感じた。
好みで言えば、オレは『MOTHER』の仕上がりは素晴らしいと思った。
ミックスを手掛けたのは、目下最新作である『CROSS』でも手掛けたスティーヴ・リリーホワイト。海外の名だたるロックレジェンドと仕事をしてきたサウンドエンジニアの巨匠のひとりだ。
このミックス度合い、言ってみればスティーヴの耳による感度がセルフカヴァーとしての聴きどころであるのは明白。
「海外のリスナーには、LUNA SEAの音楽はこう聴こえている」という感覚でのミックスと言えば解りやすいかもしれない。
大枠では、バンドの演奏や音は殆ど変わっていない。ただ、ギターソロにあたるフレーズでの強調度合いなど、見せ場となる部分での音の上がり方や、大きな旋律/グルーヴを捉える事が重要という観点なのか、場合によってはオリジナル盤よりも引っ込んでいる様にも聴こえる演奏箇所もあったりするんだが、概ねサウンドのクリアさというのが耳を突く。
太さと言っても良いのかもしれないが、独特の冷たい鋭さを増幅させていると感じさせる点から、よりクリアになったと個人的には捉えられる。
曲によっては、当時収録されていた装飾音が使われていなかったりするので、その点をどう捉えるかによるだろうが、オレとしては残念な感覚は、少なくとも『MOTHER』に於ける曲には無かった。
これらセルフカヴァーは要約すると、「現在ライヴで聴かせる演奏クオリティに、当時の感触を今一度導入してみせる」というのが、オレの見解である。
ライヴで今演奏している解釈ではなく、当時レコーディングされていたものと同じ様に演奏する、いわば見つめ直す手法を重んじた感じだ。
過去にオリジナルを聴いてきた万人を満足させられるかと言えば、そりゃあ無いだろうよ。
その中で鍵となるのは、RYUICHIの歌唱だろうな。
ヴォーカルという特性上、バンドのキャリアを通して最も変化が著しいと思えるのは彼である。
特にこの数年の内に、癌を患うという深刻な問題にも直面していた事により、歌唱法も更に変化させたというのを聞いている。
いや、スゲェと思った。
当時をそのまま真似しているワケではない。
だが、あの時声に纏っていたナルシストを感じさせるニヒリズムな雰囲気を低域に滲ませ、当時よりも圧倒的にレヴェルアップした声量/歌唱力で曲の中心に存在している。
河村隆一というソロ期を通じて、以後色々とファンをやきもきさせてきた(あ、言っておくがオレは彼のソロの時も好きでした:笑)が、良くも悪くもその存在感は唯一無二であるのは間違いない。
特に、「GENESIS OF MIND』と「MOTHER」に於ける歌唱は、その雰囲気と歌詞の内容が合わさり突き刺さる。
今の歳月を経たからこそ色々な解釈と現実味を重ね合わせる事ができるようになったのと、単純に年取った所為で涙腺が緩くなってきてるのもあるだろうが(笑)、バンド屈指のバラードナンバーはここにきて途轍もない破壊力を秘めていた事を実感させられた。
『STYLE』に関しても、同様のクオリティである。
このアルバムは、『MOTHER』で確定されたLUNA SEAというバンドの音楽形態に、よりバチバチ感を剥き出しにした内容。
延長線にあるが、似て非なるアルバムとして、『MOTHER』と双璧を成す名盤である。
LUNA SEAというバンドの持つ冷ややかで鋭い感触を特に重く先鋭化させようとしたアルバムと言え、「WITH LOVE」、「END OF SORROW」や「IN SILENCE」といった曲があるにも関わらず、全体が重く冷えた感覚が支配する。
セルフカヴァーでは、全体的なサウンドのクリアさによって、その冷たさは幾分減退した感じは受けるが、より重量感を感じさせる立体感が魅力だ。
このアルバムに関してはホント、メンバーが自分の楽器で各々巧みに牽制しているとつくづく感じるよ。
「あーアイツこう演奏してくるか。追従するやりかたは癪だな。この演奏で入り込んでいこう」っていう感じで、全員が関与していると思えてしまう。
それでも曲として最終的に成立するのは、音楽的感性の鋭さも当然ながら、やはりメンバーを信頼しているからこそ出来る業であるだろうね。
曲としてのゴールは見えている。ただ、メンバーはそれぞれ異なった道のりを、お互いを横目に見ながら進んで行っている。
鎬を削りながら融和していく。
言い方を変えれば、メンバー同士音の殺し合いをしている、といったところだ。
この言葉は良い表現とは言い難いが、オレとしては解りやすい、バンドで音楽を創り上げる為に大事な姿勢だと思っている。
LUNA SEAというバンドがヴィジュアル系バンドの先駆となり得ながらも、後にも先にも誰も真似できない音楽を奏で続けているのは、その姿勢を掲げながらも大事なのは曲である、という理念を持ち合わせているからだろう。
「この5人だからこそ、出来る」という信頼関係が、バンドとしての理想形を暗黙に示しているように、オレは感じる。
10年近く前にも、LUNA SEAに関してつらつらと書いていた記憶があるが、唯々言えるのはオレにとってLUNA SEAというバンドは特別であるという事。
しかしながら、そこもやはり過去10年以上前までのアルバムに対して抱いている感情なのも否めない。
もう一度、近年のアルバムに向き直ってみようかな。
今の彼らを真っ向から非難したくない自分も、何処かにあるんだよね。