国が、この問題の責任から回避していますが、このゴミを発祥させている側の責任は、誰に有るのでしょうか?
法律で決めたのは誰なのでしょうか?安全神話で覆い隠して、残された核の廃棄物の処理に対する責任は国民に有るのでしょうか?
粗大ゴミについても、このゴミを販売して利益で潤って来たのは消費者でしょう。このゴミの処理について責任は、国民に有ると言いますが果たして、そうなのでしょうか?
日本という国では、あらゆる責任の所在が曖昧で、何事もグレーな状態を法律と言う名の下に国民の頭を麻痺させられているのです!
粗大ゴミを投棄すれば、法で罰せられるから官公庁で決められた処分方法に従う?間違いではありませんが、こうした粗大ゴミを販売して大きな利益を上げて来た企業側に責任が無いのは変ではありませんか?
日本では法律を決めている側の一方的に権限が全て正義とされていますが、余りにも企業や法人の側の責任について真剣に考えられていないのではありませんか?
国民の義務や責任は、企業や団体にも有るというのが、通常の社会常識であるのですが、このバランスが余りにも偏っています。
ゴミの廃棄の仕方については法律で決められていますが、企業や団体の側の責任については殆ど責任が無い状態です。変だと考える国民も殆ど居ません。
アメリカ的な権利主義ばかりに国民の頭が麻痺させられているのです。人間の社会性とは国民だけに背負わせるものではないはずのものです!
大企業や経営者側が莫大な利益を蓄積している現在です!少しは企業や経営者側に責任を負わせる必要に迫られています。
東電の核のゴミについても、処分費については国民に負担をさせようとされています!本来は、この処分費まで製造側は予測して販売されるべきだったのです。
それでは、販売価格が高く成って売れなくなる?高く成って売れなく成るなら売らなければ良いのです!
金儲けする側の利益ばかりを考えるから、アメリカや日本のような国に成るのです!企業や販売する側に必要な義務と責任を負担させるべきだと考えることが正しいのではないでしょうか?
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