hisakunnのブログ

日米の民主主義崩壊

レベルの低い有識者

2010-07-31 23:16:27 | 日記
 メディアは有識者と言えば、視聴者を言い含めるために利用価値でもあると思っているのだろうか? 視聴者や世論を馬鹿にするのも程ほどにして欲しいものです。
 今の政財界、知識人、何処を見ても人間としてのレベルが高いと認めるような人材は居ません。 人間としてだけでなく、専門職としての知識レベルさえ疑いたくなるような輩ばかりです。 メディアが彼らを知識人という言い方で差別的な表現する本音は何なのですか?
 一般人とは違っていると、民衆を見下したいのですか? 
 こういった歪んだ情報ばかり流す限り、相撲協会なんて体質はかわりません。 結局、公益法人という特異な体質で、恩恵を其の儘、残す為に幾つもの調査会や審議会、独立委員会の茶番でパフォーマンスしているだけ。 
 司法も医療も政治も、垣根を取っ払って無くしたものは、権威と品格です。 必死になってより楽な道を選択し、胡坐を掻いて儲かる仕組に変えて来たツケがここに来て大きく露出しているのです。
 有識者と思われたいなら、有識者らしく努力しなさい。 努力もせずに小手先や、口先で世論を手懐けようなんて、世の中そんなに甘くありませんよ。
 何処を見ても、レベルが落ち過ぎています。
 どうして、公益法人をバッサリ切れないんですか?

人間の罪

2010-07-30 20:47:36 | 日記
 法を犯すという積極的な罪は当然、定められた法によって罰せられる。 憲法、民法、刑法という基本的な法律以外にも法令、条例、法規というような決め事がある。 こういった法律は条文で表記されているのが一般ですが、これ以外にも慣習に基づいて、慣例となっている決まりも法律に準ずる決め事として認められています。
 しかし、条文で表された法律も、習慣としての決め事も、人間が決めた事ですから完全なものではないのです。 つまり、時代と共に変遷されるものであり、法律も進化しなければならないものです。
 それ以外に、人間社会にとって重要な部分があります。 それは、社会正義に反する無意識な行為です。 社会で共同生活を営む人間には、社会から守られる権利と相反して社会に対して果たすべき責任があるのです。 現代の日本社会では、権利ばかりが注目されて、社会に対する責任は、蔑ろにされている傾向が大変強いように感じます。
 この責任は、言い方を代えれば、消極的な責任です。 国民は、知る権利の裏に、追求する義務も負うのです。 自分の事だけで精一杯で、社会的な面は政治任せ、お役所任せで何かあれば、そんな事は知らなかった。 自分の責任ではないという。
 極端に言えば、宝くじを買って、その収益が何に使われようと、一部の特権階級がクスネようと、そんな事は自分には関係ない。 当たれば、懸賞金が貰えるからそれで良いというのが日本国民の常識です。 宝くじを買うと言う行為の先に、不法な行為が為されているという事には目を瞑って、見てみぬ振りで過ぎて行く。
 私は、この見て見ぬ振りをする行為こそ、消極的な犯罪だと言いたいのです。 人間は自分も含めて、人に対しても、社会に於いても最大限厳しくあるべきです。 日本にある、庇い合いや、見て見ぬ振りや、臭い物に蓋をするという風潮こそ、消極的犯罪です。
 犯罪を見過ごす罪を犯しているという自覚を持つことこそ、日本社会の成長の為に最も必要な要素であると思うのです。

戦後の教育

2010-07-29 15:48:11 | 日記
 自分の考えを持つと言う事。 自分の過去から学んで、新しい何かを見つけ出す事。 
教育の基本は何処までいっても、周囲にある情報から学ぶことである。 この学ぶという努力は、真似るという事ではありません。 教えられた事を真似るという動作は動物でさえする行動です。 周囲から得た情報に自らの努力を重ねて、新しい発想を生み出す事が重要です。 そこに成長と進化は生まれるのです。
 現在、高学歴として、高等教育を受けた人達が沢山居ます。 問題は、この人達が新しい何かを生み出す能力を有しているかということです。
 最近の、テレビ等の画像に出て来る人達のコメントを聞いていて、その傾向が全く無いという現実に、絶望するのです。 彼らの主張には、何処にも自分で考慮し、分析して出された結論だと言うコメントがありません。 これは受けた教育が、教えられた情報を記憶だけに頼って、いかに多くの点数を取るかと言う方法を身に付け、それが勉強であり、学ぶという事であるという勘違いをさせられて来た象徴であるのです。
 結局、メディアや報道で伝えられた情報を繋いで、それが自分の思考であり、下した判断で、間違いではないという主張です。 情報を分析し、本当に正しいものが何であるのかを自ら考え判断して下したという様な結論は皆無といって良いほど、無いのです。 点の取り方、評価のされ方ばかりを教えられ、その競争で勝った人間が成功者として評価されるという日本の現状です。 多数が正義、多数を作り上げた者が勝ち組。
 そんな人間の姿は、虚像でしかありません。 一時的な現象に過ぎない事に早く気付かなければ、日本に未来は無いのです。 よく考えてみて下さい。
 自分だけで! 自分の力で!
 

本当に必要なもの

2010-07-29 07:29:33 | 日記
 政治の世界でも、経済の社会でも、効率とか、合理化とかが言われてみたり、その反面で生産量を重視するような考え方が在ったりします。
 勉強が足りないのか、能力の問題か解りませんが考え方に矛盾だらけで、偉そうな事を仰る人達の人間性を疑います。
 例えば、小さな政府を言いながら、公共事業に期待してみたり、競争原理を優先させる市場に期待しながら、デフレは困るという発想をする。 完全に自己矛盾です。
 公務員の数を減らすとか国会議員の数を減らし、給与等も見直すと言いながら、天下りを無くす為に、定年までの雇用確保に努めるという。
 無駄を省くという事は総枠は縮小すると言う事になると思うのですが、経済や雇用は拡大させて行きたい。 矛盾していて成立たない思考で突き進んでいるから、景気が良くなるはずはないのです。 
 農家で生産された農産物を消費者が店頭で買うまでに、生産者側の市場があり仲買いがあって、消費者側の市場があって問屋があって店頭に並べられて消費者が買うという図式ですが、この中間では運送業や広告、宣伝といった仕事も絡んでいる訳です。
 この中間を無くしたとします。多分価額は5分の1くらいになるでしょう。農家の人が直接作物を町に行って販売すればの話です。 安ければ良いと言うのなら消費者には都合の良い話です。 問題は、この結果仕事の量は3分の1か5分の1になる事です。 つまり、国内総生産の額は大幅に減少し、雇用の場も大きく失われます。
 このように、小さな政府の発想と、戦後の拡大経済の考えとは相反するものなのです。一時的に、不況になり失業者が増え、企業が海外流出する事さえ覚悟が必要です。
 仕事の場が増えれば、生産性に結び付き、景気が良くなるからそれで良いのだと考えて来たのです。 その上に、企業は利益の為には、人件費を下げるのが一番としか考えなかったのです。 本当に必要なもの。 大切にしなければならないもの。 こういったものを経営者や指導的な立場に在る人達が見極める力が無かったから、無駄ばかりが増えてしまったのです。
 特に、日本、アメリカは経済額の拡大しか考えて来なかったために、実質的にはバブルのままなのです。 ヨーロッパに比べれば、実質の3倍の経財規模になっています。 それは金融の市場にもいえるのです。 マネーゲーム化した投資、投機金融も膨らんだままです。 本当のバブルが弾けるのはまだ、これからです。 
 日本で言えば、生産者と消費者の中間で働く人達の仕事も多過ぎます。 民間か、公共か見えない、得体の知れない団体も多過ぎます。 全てがバランスの問題なのです。
 こう言った不労所得者が多過ぎる社会が栄えた歴史はありません。だぶ付いた体で長距離のマラソンを走っているようなものです。 今の日本は、先頭集団から遅れた走者ではなく、走ることを放棄して歩き始めた、妄想走者です。 解っているのでしょうか?

刑罰の重み

2010-07-28 22:42:28 | 日記
 犯罪というものについて、国によって大きな違いが存在している事は言うまでも無い。
北朝鮮は別としても、中国、韓国とも相当に認識を異にしています。ヨーロッパともかなり異なっています。 その原因としては、歴史的な認識と宗教観の違いでしょう。
 しかし、それだけでは片付けられない問題点も多い。 この度の相撲協会、政治と金、公益法人の特殊性を見ても言えます。 戦後の経財偏重の社会構成から来る、罪悪感の無さによる刑罰の軽さもあります。
 他にも、権利ばかりが重視され、報道やメディアの情報提供の自由と言った偏りが、人間社会の秩序や規律を阻害している問題等が混在しています。
 確かに、個人の人権や自由は大切であろう。 だが、社会においては個人の権利が無制限に守られ、個人の自由が優先されるのは不可能である。
 社会においては、自由や権利は相対的かつ相互に認め合うべきもので、一方の個人が優先されてはならないのであります。
 日本においては、改めて法を見直す時期に来ています。 色々な面でバランスの取れた社会に立て直す必要があります。 根本的に見直さなければならない時期です。経済も大切ですが、人間も大切です。 経済が豊かになっても、人間の質が悪くなれば、国は栄えません。

社民党のあり方

2010-07-27 07:20:56 | 日記
 辻元議員の離党発言からも解るように、野党政党としての役割も使命感も薄れ、場当たりの政策で、党全体が疲弊を続けて来ている現状では、国政での存在感が示せず、離れたい気持ちに成るのも無理は無いでしょう。 
 沖縄に関しても、如何にも沖縄県民を思っての政権離脱に聞こえる主張に見せかけていますが、国民から見れば、口だけで何も出来ない、何も変えれないのが解っていての対応でしたから参院選挙対策でしかなかったと見透かされたのです。
 沖縄の県民を煽って、普天間から出て行け、辺野古の移設は認めないと叫ぶだけなら、そんな政党は要らないのです。 具体的に、どうするという方向性も示せず野次馬を演ずるだけで、参院選に勝てると考えたのなら素人以下です。 結局、騙せたのは少数の沖縄県民で、益々衰勢の傾向を強めただけです。 
 日本の政治全体がレベルを下げている中でも、極めてその傾向が強い社民党は既に、政党の体を為していません。 沖縄で、政治ごっこをしていれば、満足かも知れませんが、杉本議員には、とても耐えられない状況でしょう。 
 辻元議員だけではなく、社民党から出ないと政治家になった意義も薄れてしまうのですから離党すべきです。 社民党は完全に政党としての役目を終えました。 立ち直るのは無理でしょう。 多くの少数政党が生まれ、少々混乱した状態が続いていますから、その中に塗れていつかは、消えていく運命のように思います。 こんな社民党にすがり付いていた組合も居たでしょうが、ほとんど見捨てられる状況になっています。 
 当然の結果です。

どうする国技、公益法人

2010-07-26 17:07:00 | 日記
 白鵬の全勝優勝で終わった名古屋場所。 尻尾切りだけで、お仕舞いにしたい協会。 公益法人や、国技の美味しいところは残して、胡坐を掻いて良い思いがしたい面々の周囲の取り巻きは、落とし所を探しながら、時の経つのを待っているのだろうか?
 所詮、喉元過ぎれば忘れる風潮の国だから、ここは辛抱するしかないと思っているのだろう。 まるで、政治の世界の丸写しではないか? 
 日本は、すでに手遅れの状態なのです。 教育から、政治、経済、あらゆる分野で進歩、発展が不可能な状態に陥っているのです。 変えなければ、変わらなければと口で言うだけで、変わるという事の意味合いも理解出来ていない日本人。 一から出直すには、過去からの脱却だ必要です。 
 例えば、相撲協会で言えば、公益法人の資格を放棄し、相撲協会に新しい風を導入して、現状の理事は一旦、退くというような措置こそ、改革なのです。国技として国民から再認職してもらえる時まで、特別な扱いを一切受けない覚悟をする。
 こういった努力を覚悟を持って示してこそ、改革が出来るのです。 今の状態では、自民党の改革と全く同じで、口先だけ、目先だけの子供騙しで終わってしまいます。
 本当に、何処まで変われるか、見ものですね?

政官財とメディア

2010-07-25 06:35:52 | 日記
 戦後、目覚しい経済成長を遂げたとされた日本社会がなぜ、ここまで堕ちてしまったのか? 原因と責任は何処にあるのか? 
 まず、言える事は、日本の発展が一時的な現象に過ぎなかった事。 日本が、日本人が特別に優れていた訳でもなく、戦後の日本には必要かつ、必然な発展であった事。 現実に、中国、インド、ブラジルといった国々が、戦争が基ではないが、同種の根拠で日本以上に発展しようとしています。
 世界経済の拡大に先駆けて、インフレ、為替、貿易といった経済の成長に必要な要素が整い過ぎるくらい揃っていて、結果的に運良く発展したに過ぎなかったのです。
 この結果に対する判断を、日本人の実力だと過信してしまって、従来通り過去の動きを真似ていれば、成長、発展が続くという勘違いをして来たのが現実です。 
 あらゆる面で、的確な分析と評価が出来ず、ある意味監視する立場に在るべき、世論、メディアが、この幻想の先端を切って、暴走に加担してしまった為に、国民が迷走し、自ら思考し、行動する能力を失ってしまいました。
 失われた10年と言われた時期も過ぎて来ましたが、今は後退している10年以上です。もう、堕ちるところまで堕ちてしまったのか? まだまだ堕ちていくのか? 国家としても国民としても、何処まで堕ちて行くのだろうか? 
 イギリスが隆盛を極めた中世から、現代の地位に留まって、国として生き延びているように、日本も一定の水準を保って、生き残っていけるのだろうか?
 一流国家として威厳を保ち、現状の規模を維持できるには何が必要であるのか? 大所、高所から国の将来を、考えていけるような人材が日本に居ないのが、大きな問題です。
 この人間としての、品格が堕ちて来てしまった事が、日本衰退の一番の原因なのです。 特に、指導的な立場にある人たちの質の低下が極端です。 政、財、官の軽薄さには目を覆うばかりです。 メディアの質の悪さ。
 どうなってしまうのでしょうか、日本は?

朝なまへ

2010-07-24 19:02:47 | 日記
 昨夜の朝日テレビで、珍しく教育問題を語っていたようでした。 最近は、田原の独り善がりの番組で、殆ど興味は無かったのですが、暑くて寝苦しく目が覚めてちらっと見ました。
 哲学、思考と言った問題は、現代の日本人には全く無駄な堂々巡りです。 何故かと言うのは、説明が難しいのです。 こういった観念に関する言葉のやり取りは、互いに通ずるものがあってこそ価値があるもので、無いものを伝えたいと思っても結局、残るのは虚しさであり、互いの自己満足しか得られません。
 人の観念の中に、心が存在しているかどうかの違いです。 目に見えないものだから、皆同じように在ると思っていますが、現代人の多くの人に、この心と言うものが培われず、存在していないのです。 自分に心が備わっているか、否かは本人には解りません。
 人間が交わす会話には、本来心に在るものを、相手に伝える為に言葉が存在しています。
ところが、言葉に心を乗せて相手に伝えているはずの想いが、伝わらない事が多いのです。それは、伝わるべき相手に心が育っていない為に、伝わっていると錯覚しているに過ぎないからです。 受け止めるべき心が、相手に無いのです。
 遠い将来においては、この心の問題も解決出来るときが来るでしょう。 人の中に、心が育っているか、否かが分析出来る時代がきます。
 その意味で、朝まで生テレビのような番組で、心が無い人が哲学や倫理を語っても無駄であると思うのです。 何故なら、登場している人達は田原も含めて、頭で考えてしか結論を出せない人が大半です。 考える事とそれ以上に大切な感じる想いとしての感性が存在しないのです。 最近、言葉ばかりが、煩雑になって、言い逃れ、詭弁ばかりが達者な日本人。 無口で、素朴で、口数は少なくても心は伝わるものなのです。
 人の心は、無限大で普遍的なものです。 言葉で表そうとすればするほど、本意は霞んで真実が見えなくなるものです。 心を語るなら、先ず自分の中に心を育てる必要があるのが日本人なのです。 貴方はどうですか? 私はどうでしょう?

機密費

2010-07-24 10:47:40 | 日記
 金賢姫に対する扱いについて、いろいろ言われていますが、政府の一番の目的は機密費対策なのです。 自民時代から問題とされてきた機密費を、一度は公開すると言って見たものの、やはり秘密裏に使えるお金が必要だと解って公表をやめました。いつか使い道を追求された時に、この度のようなケースに使いましたと申し開きが出来るように、拉致被害者へのパフォーマンスも含めて判断したのが、特例措置だったのです。
 選挙で支持率を落とし、政局が捩じれて不安定な現状を打開する方策として取った苦肉の策です。 機密費も半分くらいは、使い道を公表できる状態にしておく必要もあるし、国会開催前で、時間的に余裕があるのでこの時期を選んだのでしょう。 結果、拉致問題が進展しようと、全く無駄に終わろうと、政府には問題ではない、これも茶番です。
 拉致関係者も議連も多少の顔が立って、被害者家族にも頑張っているのだという格好も付いて、ガス抜きにはちょうど良かったと自己満足できる、パフォーマンスでした。
 何事においても、実効性ある政策には努力と苦労が付き物です。 しかし、今の日本人誰も、苦労も努力もしたくないのです。 頑張った振りだけで、より大きな対価がある事ばかりに夢中で、結局、何も変わらず元の木阿弥で終わっています。 
 本当は、こんな茶番で気休めをしてる時ではないんですが、政府も財界も国民も何となく安堵を覚えて時が流れていっているのです。