あらゆる方面で、面倒な手続きが必要とされる日本です。
裁判や役所の手続きを一部で簡素化と言いながら実は益々、手間や暇が掛かるように制度が複雑化しています。
例えば相続の手続きでも、相続の関係図を貼付すれば戸籍の謄本類の原本は手続き完了後に、還付されると言います。
では、これで申請者の手間が省けるかと言えば、担当官が戸籍の謄本から詳しく調べる手間が省けるだけで、申請者側は余分な書面が増えるだけです。
取り敢えず、担当官は見易いから楽になる訳です。申請者側の手間や負担が減る訳ではありません。
この手間や暇が掛かる手続きは誰の為に必要なのでしょうか?
簡素化して、一般人が代書屋や弁護士を必要としなくなることなど、持っての外と言うのが資格社会の本音です。
日本の官庁や裁判所が土曜日や日曜、祭日に窓口を開かないのも、資格者達の仕事の機会を減らさないのが目的です。
手続きの複雑さや、手間、暇を掛けさせる社会構造の大きな要素が、ここにあります。
この考えの根底に有るのが、複雑な経済構造が、より大きな仕事の量を作り出しGDPを大きくするという数字のカラクリがあるからです。
戦後の日本は、大きいことこそ最善と思い込んで来ました。働き蜂が増えて一人当たりから吸い上げる税や富が多いことが最優先されて来たのです。
今、世界は身軽に成って素早く走ることが重要と考えられています。この早さや素早さに着いて行けていないのが、日本です!
果たして日本の要人達は、何処まで理解しているのでしょうか?