この女性の言う教育とは?とか学校とは?と考えることの大切さを痛感している私には、この仁禮彩香さんの考えに感じる処があります。
でも、少しです!今のところは少しです!
確かに日本の教育は教育ではなく、飼育です。自分や自分達に都合の良い人間という生き物を飼育することが教育とされています。
権力者や支配者が自分達の安泰を図る為の道具としての教育です。現在では、民主主義でさえ、不埒者の人心操作の道具に成っています。
結局、人間の存在する所以が、生き物の中で唯一・心を有する特殊な存在であることに、人間が気付いていないことから来る永遠の悩みなのでしょう!
私は教育が人間の存在価値を高める為に役立つことが大切だと考えています。仁禮さんの言う、日本の教育と真の教育の違いと私が考える教育とも少し違うと感じます。
人間は成長すると共に、自らを成長させる能力を有するか?どうかで大きく違った人生を送ることに成ります。
この違いは本来、生まれながらにして持ち合わせた知力の違いから来ます。解らない人には永遠に解りません!
幼い頃から、自ら学び絶えず新しい自分を見出だして行く人は、この脱皮を繰り返して生き続けるのです。この2種類の人間は互いに噛み合うことが出来ないのです。
多くの人間は早い段階で、この自己脱皮が出来なく成ってしまいます。自ら学び日々、新しい自分を作り上げて行く人との違いです。
仁禮さんが考える人間の教育については、この2種類の人間について殆ど、加味されていないように感じます!
既に人間は、この2種類に分離されています。ところが見えないところですので、人間には今のところ互いに違いが理解出来ないのです。
三つ子の魂、百までと言われますが殆どの人間は生まれながらにして、分離されてしまっているのでしょう!
日本だけではありません。多くの人間が、教えられることが教育と思っています。自ら学ぶことの難しさと自ら学ぶ為の人間の努力を避けてしまいます。
日本の教育の大半が教えること、教わることに成っているのは、この難しさの為です。多く人は楽を好むからです。
十代の前半で、自ら学ぶことが出来なく成っています。集団や組織の安泰の為には、自ら学ぶ人より何の不満も感じずに従う人間の方が必要なのです。
大半の学校が、この種の教わることの為の学校と成っているのは、国や社会にとって必要な人間を確保する為に在るからです。
しかし国や社会の為には必ず、自ら学び自ら考える人材が必要と成ります。日本のように自ら学ばず、自ら考えない馬鹿国民ばかりでは国は成長しないのです。日本の要人達に、この感覚が有るのでしょうか?
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