絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

琴の音が出るまで

2006年05月27日 12時48分05秒 | 一絃琴
うちの会に、新しく二人の方が入られて3ヶ月くらい経つのでしょうか?
そのお一人の方と少し話す機会がありました。
琴の練習はしないといけないか、どうか、という話になり
「ひとり楽しむものだから、べつに特別上手にならなくてもいいよね」と
いうようなことをおっしゃるので、
はじめの頃、私のお琴は全然いい音がでなかったので、半年くらいは
毎日3時間くらい練習しました、と言うとびっくりしていました。

琴の質もあるでしょうが、私のところに来た琴はあまりよくなかったのかも。
普通のものはそんなにやらなくても、響く音が出るように思います。
この新しい方の考えというのは、いま一絃琴を習っているほとんどの人の
考え方と同じように思います。
つまり、その雰囲気を楽しんでいればいい、ということですね。

また、もう一人の「録音」させてほしいと先生にお願いしている方は
わたしと同じく、ちょっとでも上手に弾けるようになりたい、
いい音を出したい、と考えておられるのでしょう。
練習しない生徒はうまくはなりませんが、先生からしてみれば
扱いやすい人であります。
一方、真剣に取り組んでくる生徒というのは、
やがてその先生のあり方そのものを問うてくる存在になりえるので
よほど度量のある先生でない限り、
そんな生徒は、普通の先生にとっては「かわいくない」のです。
いろいろと、考えさせられることが多いです。



「教える」側と「教わる」側

2006年05月27日 12時14分17秒 | Weblog
対面朗読のスキルアップ講座で、二人の先生に教わりましたが
このお二方が全く違うタイプだったので、
なかなか、興味深いものがありました。

技術的なことはともかく、誰かに何かを「教える」とき
どういうことを念頭においているかということですが
大抵の先生は「教わる」側の気持ちには立てず
「教える」ことばかりに気がいっているのではないでしょうか。

具体的にいうと、何か実習したときの指導で
「こういうところが良かった」とまず認め
受講者が安心して注意を受け入れる気持ちになったところで
「でも、こことここに気をつけていくともっと良い」
というような方法を意識する先生は少ないのではないでしょうか。
どちらかというと、悪いところだけ指摘して、ここを直しましょう!
という指導法が多いように思います。
(べつに受講者に媚びることはありませんが)

いろいろ自分の子育ては反省することばかりですが
(ときに懺悔もあり
子どもは常にこの「教わる」立場にいるのだと思うと
もっともっと良いところを見つけて、口に出して褒め、
充分に認められていることが
子ども自身にわかるようにしてあげないとなぁ
などと、思ったのでした。