時々「一絃琴」で検索して新しい記事をチェックすることがあるのですが
もうずいぶん前の記事ですが、とあるサイトで一絃琴を習っているかたが
「鴛鴦」の曲のことを書いていらっしゃいました。
そこではその方はこの曲のことを「テンポの良い軽快な曲」というふうに
書いておられました。(年配の男性の方です)
今自分はそういうふうには思ってはいませんが、
明るい曲と感じ、そのように解釈して演奏しているお弟子さんも
いるのだと思うと、人の感じ方は千差万別、不思議な気がしました。
どちらが正しいとかいうことではないので、
その人には明るく聞こえ、私には暗く聞こえただけのことなのでしょう。
それはある意味、弾き手のこころの内である、ともいえるような気がします。
実際、わたしは先生にこの曲はどのように理解して弾けばいいですか?
などとお聞きしたこともないし、先生も、このような感情を込めて
などとおっしゃったこともありません。(どの曲もそうです)
ですから、自分がいまどのように思念して弾いているかは
全く自分の感じたまま弾いているに過ぎないです。
(なんか、こんなのでいいのかなあ・・・とよく思います)
もうずいぶん前の記事ですが、とあるサイトで一絃琴を習っているかたが
「鴛鴦」の曲のことを書いていらっしゃいました。
そこではその方はこの曲のことを「テンポの良い軽快な曲」というふうに
書いておられました。(年配の男性の方です)
今自分はそういうふうには思ってはいませんが、
明るい曲と感じ、そのように解釈して演奏しているお弟子さんも
いるのだと思うと、人の感じ方は千差万別、不思議な気がしました。
どちらが正しいとかいうことではないので、
その人には明るく聞こえ、私には暗く聞こえただけのことなのでしょう。
それはある意味、弾き手のこころの内である、ともいえるような気がします。
実際、わたしは先生にこの曲はどのように理解して弾けばいいですか?
などとお聞きしたこともないし、先生も、このような感情を込めて
などとおっしゃったこともありません。(どの曲もそうです)
ですから、自分がいまどのように思念して弾いているかは
全く自分の感じたまま弾いているに過ぎないです。
(なんか、こんなのでいいのかなあ・・・とよく思います)