絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

小学校の図書

2006年05月30日 14時45分23秒 | 子ども
午前中、小学校のサポーターの仕事の、準備の仕事にいきました。
スケジュール表の印刷や連絡網の印刷、それを子どもさんを通して
保護者の方に配布します。
また、これから学級文庫に本を購入しますが、昨年の本が
現在どうなっているのか、その現状を聞いたり、
今年学校で買った図書のリストも貰います。
(重複を避けるため)

実際の作業は大勢の人で行いますが、それまでの準備は一部の人が
用意する必要があります。しかし、やがて自分の子も卒業していくので
現在何人かでやっているこのようなことを、
次の引き継いでくれる気持ちのある人へ
すこしずつ、バトンタッチしていかなければいけません。
一方、この活動を単に市教委主導に従ったものに終わらせないためには
トップ(校長、教頭先生)がわずかな期間で転任していっても
子どもの卒業の有無に関わらず、この小学校のことを考え
実行してくれるサポーターの人たちが大きな役割を果たすように思います。
本読みも大切ではありますが、わたしはむしろ、図書の充実・環境の方に
サポーターの存在の重要性があると考えています。
(本読みは先生方がすると、もっと子どもは喜びますね)

いままではなんにしろ、中央集権がずっとなされていたわけですが
これからは地方の自立という名目で、各自治体の責任は非常に大きくなり、
教育も住んでいるところで全く違うものになっていく可能性があります。
(何もかも、自治体の自己責任となる時代がやがてくる・・・)

これまで、そんなことまで保護者がするのかとか
それらはみな、先生のする仕事だとか言っていた人も
現状を本当にその目で見たならば、また、この自治体の経済状況を
知ったならば、そんな絵に描いたもちは何時まで経っても食べられない
ことがわかり、そんなこといっている間に、
子どもたちは大きくなってしまうのがわかるでしょう。
あれこれ、文句だけを言っていても、前には一歩も進まない。
まず、自分にできることからはじめようと、今は思っています。
(まあ、先の見えないことではありますが・・・)


習い始めの頃

2006年05月30日 08時51分01秒 | 一絃琴
新しく入門された方のお話を聞いていて
ああ、自分も全くそうだったと思うことも多いです。
と同時に、習い始めの頃には気づかなかったことや
思い込んでいたことが、実はそうではなかったということが
もろもろあります。

録音の話の中で、その男性の方は歌の謡い方がわからないので
録音させてもらうか、五線譜にしてほしいとおっしゃったそうでした。
実際の琴の音や歌を五線譜にはめ込む、というのはなかなか
難しいと思います。
当てはまる音もあれば、ないのもあるというか
三味線や、笛の類も同じだと思うのですが、中間の音と言うか
ぴったりとはいかないからです。

実際に一絃琴の曲を五線譜にあらわした方がいらっしゃいますが
やはり、ある程度習った上でそれも参考にすればよい、というお考えです。
(橋本遊弦先生)

うちの会では、先生がどのように歌を弟子に教授するかといいますと
まず、琴の弦の音があり、その音を頼りに歌を謡う、というやり方です。
つまり、まず弦の音ありき(それが前でも後でも)でそれに歌がついてくる
というスタイルといいますか・・・。

思うに、ある程度曲の感じや歌が謡えるようになったら
琴を弾かずに、歌だけである程度練習してみると良いかと思います。
その歌の持つ雰囲気というのがわかってくるというか
どこをのばして、どこで息継ぎがくるのか、とかがわかって
歌の持つイメージを抱きやすくなるのではないかと思ったりします。
つまり琴の演奏につられて、そこは伸ばさないだろうと思われるところまで
無理にのばしてしまったりするのを防げるかもしれないからです。
また、琴に合わせてだけやっていると平板になってしまうところも
歌を切り離して練習してみると、歌に込められた作者の想いが
「言葉」を通して伝わってくることもあると思います。
それは、言葉の持つ響きですから、「理屈」ではたぶんないと思います。
言葉が持っている「音」なのだと思います。

これも自分の勝手なやりかたなのでいいかどうかわかりませんが
もともと一絃琴の指導法などというものは、確立されているわけ
じゃありませんので、習う側が工夫して練習していくしかないと思います。