この秋は、一弦琴の発表会には予定があって出られないことに
なりました。冬の初めのそれもたぶん出られないでしょう。
いままで極力琴優先でやっていましたが(といってもここ3年だけですが)
家庭内の都合もあり、そんなふうになってます。
発表会の日時は、大抵かなり前から知らされますが
曲が決まるのは1ヶ月前になってから、というのが多いですね。
つまり、どれでも弾けるよう心の準備だけは必要ということでしょうか。
(うまく弾けるかどうかは別の話ですが)
これまで、他の社中の方と合同というのが結構ありました。
そういうとき、最後に「須賀」を合奏するのが常でしたが
これがまた、先生によって多少『間』が違ったりして
非常にあわせづらく、ほとんど真剣には弾けませんでした。
あと、音が全然違うんですね。
「音」というのは、正確には「音質」ということです。
自分が自分の音を弾けば、確実に足並みを乱し
「合奏」にはなりません。ですので、結局当日は弦を呂管で
撫でるだけの演奏になります。
そうすればめだちませんし、ひとつのまとまりのある演奏になるのです。
(つまりか細い音の集合体のまとまった音)
稽古のとき、先生と『須賀』を合奏すると
まるで一本の琴の音のように聞こえるので(自分には)
先生の言われる「音が立つ、演奏」に少しは近づいているのかもと
思ったりします。(誰も褒めてくれないので自画自賛)
なりました。冬の初めのそれもたぶん出られないでしょう。
いままで極力琴優先でやっていましたが(といってもここ3年だけですが)
家庭内の都合もあり、そんなふうになってます。
発表会の日時は、大抵かなり前から知らされますが
曲が決まるのは1ヶ月前になってから、というのが多いですね。
つまり、どれでも弾けるよう心の準備だけは必要ということでしょうか。
(うまく弾けるかどうかは別の話ですが)
これまで、他の社中の方と合同というのが結構ありました。
そういうとき、最後に「須賀」を合奏するのが常でしたが
これがまた、先生によって多少『間』が違ったりして
非常にあわせづらく、ほとんど真剣には弾けませんでした。
あと、音が全然違うんですね。
「音」というのは、正確には「音質」ということです。
自分が自分の音を弾けば、確実に足並みを乱し
「合奏」にはなりません。ですので、結局当日は弦を呂管で
撫でるだけの演奏になります。
そうすればめだちませんし、ひとつのまとまりのある演奏になるのです。
(つまりか細い音の集合体のまとまった音)
稽古のとき、先生と『須賀』を合奏すると
まるで一本の琴の音のように聞こえるので(自分には)
先生の言われる「音が立つ、演奏」に少しは近づいているのかもと
思ったりします。(誰も褒めてくれないので自画自賛)