絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

初秋の月

2006年11月30日 13時45分30秒 | 一絃琴
「初秋の月」に入りました。
「漁火」の間奏部分、なんとか弾けるようになりましたが
これを作曲した人の気持ちにまではとてもとても辿りつけない・・・

「手事」というのか「合いの手」というのか、一絃琴のみの演奏部分が
邦楽の基礎的なもの?というのか、その素地が自分にないため
曲のリズムや雰囲気がいまいちわからない。。。
わからなくても悩まず弾いてればいいんだか、、、

一絃琴が流行った頃、曲作りに影響を及ぼした音楽はなんだったのでしょう?
三味線や筝ですよね。どんなジャンルのものでしょうか?
幕末の京阪神が中心ですから、上方の邦楽ですね。
三味線ならば、地唄でしょうか?

一絃琴の曲で、ここは三味線ならすらすら弾けるだろう、とか
筝でなら美しい旋律になるだろう、とか予測はしても確信がない。
筝や三味線を本格的には知らないから。
邦楽の基礎的なものをなにか習えば、また一絃琴についても
新しい発見があるかもしれません。
小唄や長唄習ったら、その唄い方になってしまい
一絃琴らしさが損なわれる、と先生から言われていますが
いま自分はそんなふうには考えられない、むしろ、知ったほうが
この琴の流行した頃の有り様に近づくように思うのでした。

小学校・学年集会

2006年11月30日 08時54分20秒 | 子ども
昨日は子どもの学校で1年と5年の学習発表会がありました。
毎年、2年5年だったような記憶がありますが
今年は1年と5年で、さすがに1年の親御さんがたくさん!

毎年これにいってますが、今年ほど人が多いのは記憶にない。
あ、そうか、1年は3クラスあるから余計人数が多く感じられるんだ。
(他学年は2クラス)

いつも親たちは体育館の後ろのほうでこそっと見ているんですが
今年は違いました。
1年の親御さんたち、ずっと前に行き
児童の脇のほうに詰めて、ビデオだかカメラだか撮りやすいとところに
陣取っていました。(ほとんどの1年の親)
子どもたち、物語の暗唱(相当長い)とミッキーの歌の合奏、
すごく上手でした!よく練習してあり、もっと聞きたかったくらい。
(それで親も真剣に記録に残さねばって、前のほうへ・・・)

うちの学校で最近問題になってきているのが
授業参観や昨日のような発表会・運動会での
親御さんたちの撮影マナーの悪さです。
本来の発表を損なうか!?くらいの自己中心な撮影ありで
自粛してほしい、という親御さんの意見が出てきました。
極端な人というのはそんなにいないのですが
そこはそれ、赤信号、みんなで渡れば。。。みたいに
集団化してくるんです。
授業中なのに「ハイ、○ちゃ~~ん、こっちむいて~」と
ここは遊園地か!?みたいな親が出現したらしく
いよいよそこまで来たか、と驚きましたが・・・

昨日、この発表会で(もちろん5限目、正真正銘授業中です)
まだ集会のさなか、教頭先生が説明したりしているときに
全学年児童が体操座りしているその中に向かって
(立ったまま)「○○ちゃ~ん、ちょっとちょっと!」と
手をふって招きよせようとする母親がいました。
(ごく普通の感じのお母さんですよ)
その横には担任の先生が同じく体操座りしていて
その視線に気がついたのか、やっと先生を通じて
子どもを呼び寄せてもらっていました。。。


後ろのほうに座っていた親たちがカノジョに注目したのに
気づいたのか「すみませ~~ん」といいながら帰って行ったけど
いまがどんな場面なのかわからないのだか、
『ここはあんたのうちのなかじゃないよ』と
言ってあげなくちゃいけない時代なんだ。
(言ってもわからんかも、もともとそういう気がないんだから)

ファッション誌などを熱心に見て「ファッションのTPO」は
考えていても、この場面がどんな場面なのか考えて振舞うという
当たり前の行動ができない人の出現。
これって、その人だけの問題ではなくて
きっと社会全体に及んでいる現象なんでしょうね。

そして、当の本人は「え?何かわたし悪かったかしら?」くらいにしか
思っていないのは、結局はそういう教育が施されずに大きくなった
ということらしく、当の本人だけの罪ともいえないような気もします。