寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

思い出話「エアロフロト機に乗って11」(20140901)

2014年09月01日 11時56分10秒 | 日記・エッセイ・コラム

 明日から、ここミュンヘンでオクトーバーフェステバル(ビール祭りが行われる。バイエルン州最大のお祭りだ。が、私はK氏と一緒にインスブルックへ向かう。ミュンヘンからU-バーンに乗ってトンネルの中を走ったが、ウトウトしたと思ったら明るい郊外を走っていた。途中シュタルンベルク湖(周囲約50km)の畔の小さなホテルに泊まった。K氏は絵を画きに出かけた。私は一人でカメラを持って湖へ行った。湖はそれ程大きくない。久しぶりにノンビリした。

 翌日再び電車に乗ってガルミッシュへ向かった。ガルミッシュは小さな都市であった。町並みは古い建物ものと新しい建物が幾分別れて建っていた。落ち着いた町並みを見せていた。3時間ほどを過ごしてミッテンワルドへ向かった。この町は山間にある小さな町で南西方向に大きな岩山があるというのでケーブルカーに乗って出かけた。頂上へ着くと観光客が沢山いた。チョットした町並みを歩くとバイオリンを並べた店があった。中へ入ると「あなたは日本人か」と問われた。そうだというと「チョット聞いてくれ」というので何か特別なことがあったのかと思い聞くことにした。

 話はこうこうである。といって店主が話し出した。最近日本人のバイヤーがやってきた。彼はバイオリンのことを全く知らないようで音も試さずにここに置いてあるものを全部買いたいという。店主にしてみれば全部売れるのは誠に嬉しいことであるが、職人が精魂込めて作った作品を弾いて見もしないで買いたいというのは納得が出来なかった。それでなぜそのような買い方をするのかと問うと、バイヤーは日本人の若いバイオリニストがどこかの国際コンクールで優勝した。その人が入っているバイオリン教室に大勢の入学者が来ると予想されるのでたくさん必要になるからだ、といった。この店ではそういう売り方はしないと断ると、バイヤーは作ってくれればもっともっと買う約束をすると言った。結局店主は折角の話だがと丁重に断ったという。

「日本人は音楽や楽器についてまだあまり深い理解を持っていないようですね。バイオリンに限らず楽器は個々にいろんな特色を持つものだから自分に合ったものを買うように希望したい」

 私は文化程度の低さを思わず詫びてしまった。そう言えばウィーンでもこんな話を聞いたことがあった。日本人の音楽留学生は授業料が無料だという。なぜかというと発展途上国からの留学生に対して音楽をりかいしてほしいので無料にしているという。ヨーロッパ人から見ると残念なことではあるが、経済大国と言っても文化的にはまだ幼児期だと思われているらしい。

 明日はいよいよインスブルックへ入る。何が待っているのだろうか。


思い出話「エアロフロ-ト機に乗って10」(20140901)

2014年09月01日 09時47分05秒 | 日記・エッセイ・コラム

 学会が始まった。全員が口頭発表するには時間が足りないので70%くらいはパネル展示を利用する。私もその中に入っていた。一日中展示パネルの近くにいて質問者が来るのを待つという方式である。初めての外国での発表なのでかなり緊張していたが、近くにK教授もいたので少し落ち着いた。展示が終わり、まとめを5分ほどで口頭発表することになった。このときまで私は学位を持っていなかった。むしろそんなものは必要ないとも考えていた。それで壇上に上がり司会者がMr. M.と紹介すると会場がざわついた。初め何のことか解らなかったが、後でプロフェッサーでもなくましてDr.でもないのが何を話すのかという意味だと感じた。この時初めて学問・研究の世界では学位が必要なのだと思った。私はとんだ「井の中の蛙」だったのである。(余談になるが、9月末に日本へ帰ってから学位論文をまとめる作業に入り12月に最終公開審査に通った。そして1月の教授会で遅まきながら理学博士の学位を授与された)

 この口頭発表の時にも自分のことはさておいて、恥ずかしいことを見てしまった。日本人のあるM教授が発表した。しかし所定の時間が過ぎても終わらず、会場はわざとらしい咳払いが起こり、司会者が再三注意しに演壇まで足を運んだにもかかわらず4倍ほどの時間を使ってしまった。その間、映写されていた画面を一度も見ないで下を向いて原稿を小さな声で読み続けていた。これで会場の予定が大幅に狂ってしまった。

 K教授は、ペンションに部屋を取っていた。是非寄って行けというのでついて行った。ミュンヘンの町中にもこういうのがあるんだと感心してしまった。K教授はインスタント麺をたくさんもってきていた。ペンションのフロウラインにそれを食べるので熱い水を欲しいと言ったら、バケツにいっぱい持ってきてくれたという。翌日は、ツアーでニンヘンブルグ宮殿へ行った。ここは1675年に完成した宮殿だという。庭は初めイタリア式に造られ、その後フランス式に代えられ現在残っているのはイギリス式庭園に作り替えられたものである。ミュンヘン市の西側にイザール川に沿うようにイギリス庭園があるがここも広々としたところである。

 翌日はナイトツアーがイザール川の中州にあるドイツ博物館で行われた。館内はどこでも飲み物を持って見て回ることが出来、私はメッサーシュミット戦闘機の現物に感動した。第2次大戦終局近く最新式のエンジンを積んだこの戦闘機は数機でドイツの空を守ろうとして活躍した話は有名である。ほかに子供用に作られた化学実験施設は斬新なデザインで作られていた。

 次の日の夜、オペラに招待された。内容はあまり理解できなかったが、初めて見たものでアクターたちの動きと歌に感動した。

 学会4日目夜8時頃からにバンケットが開かれた。ここでもまた驚いたことがあった。会場は大きな声で話をし、よく飲みよく食べる人たちで溢れていた。ここで豚の丸焼きをナイフで切り取ってくれたものを初めて食べた。そして延々午前3時頃まで続いたという。私は12時頃には失礼した。しかし、翌日定時に会場に行くと昨夜のことは嘘のように普通に振る舞っていた。そのタフさというか遊びと仕事のけじめをはっきり付けるところは私に最も深い印象として残った。この旅行の最大の収穫となった。

 学会最後の日が終わり、夜マックスプランク研究所に留学していた日本女子大学の某女性の方が、ホッホブロイハウスに連れて行ってくれるというので日本人数人が同行した。最初の夜に来たときはドイツになれていなかったのでビールを飲んで直ぐに帰ったが、ここはそういうところでないことが解った。

 今思い出したが、理化学研究所の野崎氏が宿を出なければならなくなったといって私の部屋へ来た。私の部屋は家族用で別のベットがありOKした。氏ははっきりした物言いで話が面白かった。

 明日はK教授とドイツを後にしてUバーンで南に向かう。