寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

とりとめの無い会話をしよう

2015年12月22日 15時36分06秒 | 日記・エッセイ・コラム

 先日、歩いて10分ほどのところに住んでいる私と同年齢ほ

どの方(Aさん)から私の書いた本を読んでお話をしたいとお

誘いを受けました。ありがたくその方のお宅へ出かけました。

Aさんは数年前夫を亡くされて今は結構な家にお一人で住ん

でいらっしゃるといっていました。お子さん達は町内と近くの

市に住んでいるお2人がいるということでした。

 初対面の挨拶が終わるとAさんは用意していたらしくお茶を

入れてくれました。それから私の本を読んだ感想を話してくれ

ました。Aさんは空襲当時久松町に住んでいらしたそうです。

久松町というのは私の住んでいた蛎殻町とはほんの少ししか

離れていない所です。

 東京大空襲のとき逃げ回った経験やその後転居先から福島

へ集団学童疎開、終戦後東京へ戻ってきたときの東京の様

子など共通の話題が次から次へと続き気が付いたときには

日が落ちて夕闇がせまっていました。1冊の書籍が見知らぬ

人と知り合いになれました。

 引き留めて下さったのですが、初対面の方ですからまた会

う機会を約束して辞去しました。

 今ひとり暮らしの高齢者が結構な数いるようですが、その

方達が話をする機会が無いと何日も会話なしの生活が続くこ

とがあるようですね。私は幸い妻と長男と一緒に住んでいる

のですが、時々長い時間話どころか顔を合わせないこともあ

ります。

 私は時間の許す範囲内で1人暮らしの方と世間話をするよ

うにしています。しかしその前に家族との会話をしなければ

いけませんね。

 

 

 

 


宗教の布教活動について

2015年12月22日 10時18分11秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今日はお穏やかで暖かい日になるというのでベランダで

寝具を干していると道路を歩いていた杖をついた方と40代

くらいの2人の女性が宇私の方を向いて話しかけてきた。

「先日お渡しした冊子を読んでいただけましたでしょうか。

本日はそのことについてお話をしたいのですが」

という。私は

「そのようなものをいただいていませんが」

というと

「それではこれを差し上げます。その上でお話ししたいの

ですが」

という。わたしはどこの誰だか大方知っていたのですが、

「あなたがたはどこのどなたですか」

「私どもは(ある宗教団体)の××というものです」

「ああ布教にいらしたのですね」

「そうです」

「私は宗教を特に信じたいと思っていませんし、あなた方が

信じている宗教は布教のためといって戦争や略奪の歴史を

歩いてきましたよね。そのようなものを信じる気にはなれま

せん」

「そうですね。たしかに○○教は戦争の歴史を歩いてきました」

 といって地図を見ながら去って行った。

 少し過激に過ぎたかも知れないと思ったが、毎年何回も

訪問されるのは面倒になってきたので過激な発言でもうき

ても無駄ですということを伝えたかった。

 私はここで特定の宗教についてなんだかんだというつもり

は毛頭ありません。私が歴史の教科書などで学んだことは、

今は事実であったと信じることにしているだけます。

 日本古来からの言い伝えに「困ったときの神頼み」というこ

とばがありますね。宗教というのはそんなものではないかと

思います。

 私の生き方については、傘寿を越えたいつか書くことがある

かも知れません。