山之口獏は、明治36年生まれ沖縄出身の詩人です。
沖縄県立第一中学校時代には、方言罰札に反発してウチナーグチを使い続け、方言札を独り占めしたそうです。19歳で東京に出てから、59歳で亡くなるまで詩を書き続けますが、これらはもちろんヤマトグチです。
この本には詩だけでなく、日記やエッセイも入っていて「青年時代」というエッセイで、沖縄に対する思いを語っています。
行きつけの喫茶店でコーヒーを飲んでいると、常連の一人が日焼けした顔で入ってきて「沖縄へ出張に行って来た」と言います。山之口が沖縄出身とも知らず「酋長の家に招待されて丼で泡盛を飲んだ」とか「土人がどうした」とかいうことを語ります。それを瞠目して聞いている喫茶店の娘に、結婚を申し込むつもりの山之口は、自分が沖縄人と知ったらどうなるだろうと、一抹の哀愁に襲われてしまいます。これは、昭和初期の頃の話です。
コンプレックスを抱えながらヤマトで生きた山之口は、戦後1958年に2ヶ月の間沖縄に帰郷しますが、大きなショックで茫然自失になり、しばらくは文章も書けなくなり、それからわずか4年後に59才で亡くなったそうです。下の「弾を浴びた島」は、一見あっさりとした印象を受けますが、その奥に深い悲しみがあります。
「弾を浴びた島」
島の土を踏んだとたんに
ガンジューイとあいさつしたところ
はいおかげさまで元気ですとか言って
島の人は日本語で来たのだ
郷愁はいささか戸惑いしてしまって
※ウチナーグチマディン ムル
イクサニ サッタルバスイ※ と言うと
島の人は苦笑したのだが
沖縄語は上手ですねと来たのだ
※沖縄言葉まで すべて 戦争でやられたのか※
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