昭和28年6月26日 白川大水害が起こった日です。
熊本市を流れる白川が氾濫し、多くの犠牲者が出ました。
女房は覚えていると言いますが、私は全く記憶にありません。
熊本市を流れる白川が氾濫し、多くの犠牲者が出ました。
女房は覚えていると言いますが、私は全く記憶にありません。
子飼橋にある白川大水害記録碑
記録碑の部分拡大
昭和28年6月26日水害とは。
昭和28年は雨の多い年で、6月上旬頃から阿蘇地方で、
度々強い雨が降っていました。
この長雨によって阿蘇地方の地盤は高い湿潤状態になり、
そこへ活発化した梅雨前線による未曾有の大雨が
降ったため、白川はまたたく間に増水して
大水害となって沿川一帯に氾濫したのです。
6月26日、11時40分頃より市内低地で浸水がはじまり、
15時5分に国鉄が運行を停止し、17時過ぎに安巳橋及び、
小碩橋が流失、18時過ぎに蓮台寺橋上流及び
薄場橋上流両岸などの堤防は次々に決壊しました。
その後、21時40分に代継橋が流失し、同50分には、
子飼橋左岸が溢れて大江町の130戸が流失し、
200余名が濁流にのみ込まれました。
また豪雨により阿蘇地方各所で山崩れが起き、
火山基層を覆う「ヨナ」が洪水で流されてきて氾濫し、
堆積したため、熊本市内は泥土で埋もれてしまいました。
熊本市をはじめとする白川水系では、この洪水によって、
死者行方不明422名、負傷者1,077名、
流失家屋2,585戸、浸水家屋31,145戸、橋梁流失85橋
などとい大被害を蒙りました。
6月13日(月)の白川 : 大甲橋(電車通り)からの画像です。
少し水が引いていましたね。普段は川底の砂が見えています。
少し水が引いていましたね。普段は川底の砂が見えています。
屋根の上に避難した人々が、そのまま流されて行方不明。
対岸からその光景を目撃した人々がTVで話されていました。
東北地方大震災のTV映像と同じ光景だったそうです。
対岸からその光景を目撃した人々がTVで話されていました。
東北地方大震災のTV映像と同じ光景だったそうです。