書棚が少し空いた

 今月6日に、40年来溜まる一方であった蔵書の一部を初めて処分したことを書いたが、今日はその第二弾。ありがちな紙の手さげ袋に4つなので量的には前回と同じ程度なのだが、今回は人文社会学系のちょっとした全集が3点程あったので、冊数としては100冊くら。書棚に並べたときの長さは同じ程度であったか。

 家人には「もったいないわね。売ればどうせ二束三文でしょうけど、買うときには結構高かったんでしょ」と云われた。いや、確かにその通り。研究費が使えるわけでもない郷秋<Gauche>には結構高価な本もあった。しかしだ、ここでこっそり反論するならばだ、買って30年間ただ意味もなく書棚に並べておいた訳ではない。

 郷秋<Gauche>の場合、購入した本の多くはちゃんと読んでいる。読んで自分なりに確かめつつ、ある部分は知識として蓄積し、ある部分は新たに接するであろう知見の真偽を自分なりに判定するための「試薬」となった。ごくわずかの本は、私の、良し悪しは別としても性格や人格形成のために費やされたかもしれない。

 考えてもみれば、蔵書の意味や価値などそれらを買い集めた本人にしかわからないのだ。だってそうだろう。多くの場合、それらの本に興味を示すのは買った本人だけなのだから。それでも資源ごみ収集日に捨ててしまうのではなく古書店に持っていくのは、1億2000万人の中には一人くらい郷秋<Gauche>の蔵書の中に価値ある一冊を見つけてくれる人がいるかもしれないと思うからなのである。


 というわけで、250冊程を処分したらようやく書棚に少し空きができた。写真では本が積んであるように見えるかもしれないけれど、その奥に多少空きスペースができている(ここともう一箇所に少々)。このスペースに、床に積み上げてある本を押し込み、これまで陰に隠れてしまっていたCDや資料にアクセスできるようにしよう。少なくとも持っているはず、買ったはずなのに見つからずもう一冊、もう一枚買ったりすることがないようにしたいが、そのためにはもう少し空きスペースが必要だなぁ・・・。

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