唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
脱ハンコ、そんなに簡単に?
某大臣の一声で、少なくとも明治以降150年は続いて来たと思われる、ハンコがなければ動かなかった行政手続きが、ハンコなしでも動くようになりそうな気配である。
これまで政治家やお役人などが「本件につきましてはスピード感を持って対応し」などと、「スピード感を持って」をまるで枕詞のように使いながら、全く迅速ではない対応をするのが通例であった政治・行政が、今回はどうやらホントに「スピード感を持って」改革されそうな勢いではあるけれど、果たしてそれで良いのか、問題はないのか。
例えば結婚届や離婚届け。本人及び保証人の印がなくても受理される方向らしい。もっとも(幸か不幸か離婚届は書いたことがないので確信はないが)これらの届け出の際に押す印が実印で、印鑑登録証明書を添付しなければならないと云う事ではなかったと思う。
つまりだ、これまでも、行政手続きで捺印を求められた際も100円ショップで、誰でも(その苗字の人でなくても)買える印鑑でもOKであったわけで、今更印鑑なしでと云うまでもなく捺印は全く形式的、形骸化された手続きであったと云う事なんだな。だからハンコなしでも実態としては何の代わりもないと云う事になるだろう。
会社等の民間企業体における押印にはもう少し意味があるだろうか。つまり「本件について私は同意し、実施することを承認する」と云う意思表示であるから。つまり、承認し・捺印した者には、その件が頓挫・不出来であった場合にはその責任を問われる事になる。
ただし、よくある稟議書のように起案者、係長、課長補佐、課長、次長、部長、担当役員等々とたくさんの人がハンコを押しているとなると、一体全体誰が責任を取るのか、その責任の所在は曖昧になる。共同責任と云う名の元に、誰も責任を取らないのだとすれば、それはいかにも日本的で大変よろしい制度にも思われる。
と云うわけで今日の一枚は、行政的にも社会的にもほとんど何の意味も持たない(持てない)印章の例、蔵書印。
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