最近読んでいた本の中で、こんな言葉に出会った。
「唯一の客観的な歴史(the story)は存在しない。歴史とは常に私からみた歴史であり、数ある可能な歴史の中の一つ(a story)以外ではあり得ない。<ハンス=ハインリッヒ・エッゲブレヒト/Hans Heinrich Eggebrecht(1919–1999)German musicologist>
然り。私なりに敷衍するならば、これは歴史においてのみ云えることではなく、この地球上で人の行いによって起き得るあらゆる事象(その多くがトラブル)においても当てはまる。
例えば戦争(現在進行中のもの)。A国(と価値観を同じくする諸国)からすれば、まったく不当な侵略戦争であっても、B国からすれば、自国の正義と領土を取り戻すための聖戦、と云う事もあるだろう。
例えば写真。あるミュージシャンのライブの様子も、(熟達した写真家であるならば)そのミュージシャンを支持するか否かによって、多くのファンによる熱狂的なライブであったようにでも、オーディエンスも少なくまったく盛り上がらないライブであったかのようにでも撮ることができる。
エッゲブレヒトが「歴史とは常に私からみた歴史」でしかないと云うように、人がなすあらゆる事象(出来事)は、「私」からみた事象でしかない。つまり、私がA国側にいるのかB国側にいるのか、あるいは私がそのミュージシャン側にいるのか、いないのか、そのことを意識することでこの世界で人が引き起こしているあらゆる事象が違って見えてくると云うことなのである。
と云うわけで今日の一枚は、記事本文とは何の関係もない乙女椿。いつもなら樹木全体に花をつけるのですが、今年はなぜか元気がないので心配な乙女椿の木。もっとも、この木が無くなれば我が家のリビングの日当たりが良くなるのにと考えている人がいたとすれば、それは良い兆候なのかも知れませんが・・・
横浜の住宅地の中に残された小さな里山の四季移ろいを毎週撮影しているblog「恩田の森Now」に、ただいまは1月6日に撮影した写真を6点掲載しております。冬日和となった森の様子をご覧いただけたら嬉しいです。
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