表通りの裏通り

~珈琲とロックと道楽の日々~
ブルース・スプリングスティーンとスティーブ・マックィーンと渥美清さんが人生の師匠です。

『ぼくが生きてる、ふたつの世界』

2024-09-16 10:56:23 | 映画

宮城県出身の原作者五十嵐大さんのエッセイを映画化。宮城県内各所(石巻、塩釜、利府とか)でロケを行った縁もあり、全国に先駆けて公開された『ぼくが生きてる、ふたつの世界』。

映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』本予告  9月20日(金) 全国順次公開!

今まで派手な役が多かった印象の吉沢亮くんの抑えに抑えた静かな演技が素晴らしい!

両親が耳が聞こえない家庭に生まれ育った吉沢くん演じる大の成長物語。所謂「コーダ」の物語。日本には大くんのような境遇の人たちが二万数千人もいるという事実にビックリです。

タイトルの示す通り「聞こえる世界」と「聞こえない世界」を行き来する”静”と”騒”の物語。

耳が聞こえない日常ってどういうものなんだろう?劇中でも描かれていたように、赤ちゃんが夜泣きしても気づけなかったり、何かに集中していてちょっと目を離した隙に小さい子がイタズラしていて危険な場面があったり、安直だけど「大変だなぁ」と思ってしまいました。

でもこの「大変だね」っていう第三者の考えって、僕が息子の闘病中に幾度となくかけられた言葉と同意なような気がします。

もちろん「大変だね」という言葉には、心からの同情や慰めの意味があるのは十分わかります。

ただ、当事者は「大変だ」という気持ちは微塵もないんです。僕の場合は必至だったからそんなこと考える余裕がなかったし、ろうの方々も分からない人に同情されるのはイヤなんじゃないでしょうか。

劇中、大が東京で知り合った智子さんとのやりとりに

「ろうだからって同情も心配もされたくない。これも人生なんだわ」

という、この物語の本質を端的に(手話で)語った印象的なシーンがあります。ホント、(立場は全くちがうけど)全く智子さんの言う通りなんです。

その前にも、ろうの仲間内の飲み会が行われている居酒屋のシーンで、大くんがみんなに代わって注文を伝えるシーンがあります。その次のシーンでお友だちの彩月さんに、感謝の言葉に続いて言われた

「でもね、取り上げないでほしいの。注文する時は手を挙げるし、料理の説明は紙に書いてもらうし、それくらいできるから」

このセリフも衝撃でした。多分自分も大くんの立場なら同じことしたと思うし、実はそれってお節介なんだなって。

僕ら健常者(便宜上こう呼びます)は日常生活において、障害のある方と出会うと無意識に「大変そう」とか、昔は「可哀そう」(今はそんなこと絶対に思いません!)と思ってしまうことがあるじゃないですか。

でもこの映画を観て、その考えって間違いなんだと改めて気づかされました。やっぱり「ちゃんと知ること」って全てにおいて大切なんですね。

障害や病気があっても特別扱いされない(もちろんそのためには思いやりは必要)優しい世の中になれば嬉しいですね。

 

映画の話に戻ります。

日本映画を観ていてこんなに”音”を意識したのは初めてかもしれません。音を意識させられる”静”と”騒”の対比が見事過ぎて、その世界に引き込まれてしまいます。

大くんのお母さんを演じた忍足亜希子さんの感情豊かな優しくも情熱的な熱演、お父さん役の今井彰人さんの静かだけど温かい包容力で”静”の世界を力強く表現してくれて、反対にリアルな東北の港町の老夫婦を演じた”蛇の目のヤス”ことでんでんさんと烏丸せつこさん、大くんを人として一気に成長させてくれた編集長役のユースケ・サンタマリアさんらが、”静”の五十嵐親子の対極で、色んな意味で生身の人間の”騒”の世界を繰り広げてみせてくれます。

ドラマティックな展開があるわけじゃないけど、淡々と静かに流れる物語の中に強烈なメッセージがいくつも描かれている作品です。

おススメですよ。



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