酒呑んじゃぁ微睡み、雑煮食っちゃぁゴロゴロし、いつもと変わらない正月生活送ってます。
初詣は近所の神社に行く。今までは平安神宮や下鴨神社、八坂や地主神社、松尾大社と行ってたのだが、人ごみとマナーの悪人たちに辟易してここ数年は地元のちっちゃな神社で済ましている。
神社の参拝の仕方も知らない人がどんどん増えてるのはどうなのかね。
学校で宗教がらみのことは教えられないというのはわかるが、家庭でも教えられないってのはどこの氏子にも檀家にもなっていない家が増えたってことだろうな。
ニュースは箱根駅伝とUターンラッシュと、各地のちょこちょこした事件を流してる。
昨年末に宮司の座を巡っての刃傷沙汰のあった富岡八幡宮は、今年が人出が少ないらしい。
おかしいね、もともと神社や寺社なんて神や仏の怒りを鎮めるためにとかで建てられたところも多いのにね。天満宮なんて菅原道眞の怨念を鎮めるための神社だろ?
なのに、宮司のトラブルで縁起がとかご利益がって考える方が不思議。まぁ、いいけどね。
その点近所の地元住人に愛されてるような神社は違うなぁ。
一応お参りするところに人数が多いときのために臨時に 4本も鈴が付けられた紐が垂らされてるんだけど、一人がお参り終わるまでずっと後ろで待ってるの。他の三本使えばどんどん進むんだろうけど、邪魔しちゃいけないって感じかな。もちろん俺もその列に並ぶ。
お参りなのお祈りなのか、各自1分くらいだからスムーズだ。ちゃんと手水で清め、マスクや手袋を外し、柏手を打って礼をして拝をする。
それだけのことなんだけど、これって前述の人気のある神社大型の神社ではもうできないよね。
押すな!まだか、ようやくちょっと動いた、斜めになったがようやく最前列だ、エエィここからお賽銭、神様どうかよろしく・・・。
これはこれで正月の風物詩だからいいけどさ。ご利益はなさそうだ。
さらにおみくじを引く。
いかにもバイトのような巫女さんが渡してくれる。
厄年の時は見事に凶を引いた。
前厄の時は平安神宮で凶、下鴨神社でも凶だった。翻訳の時は平安神宮で凶、北野天満宮で凶。生まれてこのかた凶を引いたのも初めてなら、ここまで続いたのも初めてだ。恐るべし厄年。
後厄のときはようやく吉と末吉。なんとか脱出か。
おみくじは良ければ持ち帰り、あまり良くなければ神木にくくりつけて帰る。
この行為も木に結ばれると枝が痛むからって、ポールに縄を張り巡らしたようなもののところにくくれと用意されてる。
お神酒をいた開くときも「車で来られてはないですね」と念押しされる。どんどん世知辛くなってくる。
どこかの神社ではドライブスルーでお参りができるようにしたらしい。
そのうちVRで初詣とか、3Dでご焼香とかの時代が来るかもしれない。
便利でスマートな時代になっていくのはいい。
一昔前は正月なんてどこの店も空いてなかったし、商店街は閑散としてて、やることなかった。
だから凧揚げとか独楽回しとかすごろくとか羽子板とかしてたんだろうけど、今はデジタル機器ゲーム。
大人も酒飲む暮らしかやることないから、おせちなどをつまみつつ、近所の子や親戚の子らが遊びに来たらお年玉をあげたり、一緒に遊んだり。それが今じゃぁ2日からスーパーは開いてるし、コンビニやファストフードは1日から空いている。
年賀状はメールやLINEでの挨拶になった。年賀状が減ったのは個人情報保護法を勘違いしたせいで、職場の仲間や学校の友達の住所を知らない人が増えたせいでもある。
、お歳暮やお中元みたいな負担になる習慣はやめよう!なんて企業が打ち出したもんだから、お年賀なんて皆無じゃないかな。
飲み会に誘われること=アルコールハラスメントなんて言われるから、忘年会も新年会も誘えないし、誘われても参加しないしさ。
で、上司や同僚とコミニュケーションが取れなくて、孤立感感じたりを勝手にしてる。
これを自業自得という。
まぁ、自分らしくとか、無理をしない、頑張りすぎない、そんな風潮で育ってきた人はこれからも変わらないだろうし、俺も変えようとする気もない。
日本の四季を感じず、風習や伝統や文化を感じず、新しいものばかりを取り入れて、この先に何があるのかはその人たちの目線と俺の目線は違うだろうしね。
NHK紅白歌合戦の後半視聴率が40%をちょっと切って「史上3位のワースト記録」なんて言って騒いでる馬鹿もいる。
昔みたいに帰郷した家族で年越しとか、実家に戻った家族でわいわい年越しなんていう光景は減っていってる。みんなでなんとなく紅白を見てたい、それを楽しみにしてる老人や中高年も減っただろう。
出れるだけで一流歌手の仲間入りと言われた紅白も、桑田やアムロが出るだけで特別扱いされる時代だ。もはや歌合戦でもなんでもない。
さらに裏ではガキの使いスペシャルや、孤独のグルメなんかががやっている。
カウントダウンイベントに出かけてる人もいるだろうし、初詣に出かけてる人も、まだ帰郷の高速道路の上の人も、旅館やホテルでゆっくりしてる人も、恋人と二人厳かに新年を迎えたカップルもいるだろう。
テレビがない家は固定電話がない家と同じく多い。若い世代はスマホやタブレットで十分だし。
それで40%弱の視聴率。
これが低いのか高いのか。
テレビ局や制作、スポンサー関連、広告代理店(これはNHKには関係ないが)以外には全く関係ない視聴率を、さも重大事件のように流すマスコミ。
不倫や熱愛のように、当事者同士や関係者、ファン以外は全く関係ないことを、根掘り葉掘り勝手に暴いて、個人情報もへったくれもなく勝手に騒ぎ、自分達も被害者のように騒ぎ立てるマスコミ&マスメディア。
そうして、奴らはそのうちこじんまりとした、八方美人で隙のない奴らばかりにさせておいて言う。
「最近の芸人(他は歌手とか番組)は昔と違って羽目を外さない、型にハマったような奴ばかりで面白くない。昔は・・・」と。
マッチポンプとはこのことだ。
今を嘆く前に伝統とか風潮とか、文化をもう一度見直した方がいいかもしれない。
新元号はもうスグだ。
初詣は近所の神社に行く。今までは平安神宮や下鴨神社、八坂や地主神社、松尾大社と行ってたのだが、人ごみとマナーの悪人たちに辟易してここ数年は地元のちっちゃな神社で済ましている。
神社の参拝の仕方も知らない人がどんどん増えてるのはどうなのかね。
学校で宗教がらみのことは教えられないというのはわかるが、家庭でも教えられないってのはどこの氏子にも檀家にもなっていない家が増えたってことだろうな。
ニュースは箱根駅伝とUターンラッシュと、各地のちょこちょこした事件を流してる。
昨年末に宮司の座を巡っての刃傷沙汰のあった富岡八幡宮は、今年が人出が少ないらしい。
おかしいね、もともと神社や寺社なんて神や仏の怒りを鎮めるためにとかで建てられたところも多いのにね。天満宮なんて菅原道眞の怨念を鎮めるための神社だろ?
なのに、宮司のトラブルで縁起がとかご利益がって考える方が不思議。まぁ、いいけどね。
その点近所の地元住人に愛されてるような神社は違うなぁ。
一応お参りするところに人数が多いときのために臨時に 4本も鈴が付けられた紐が垂らされてるんだけど、一人がお参り終わるまでずっと後ろで待ってるの。他の三本使えばどんどん進むんだろうけど、邪魔しちゃいけないって感じかな。もちろん俺もその列に並ぶ。
お参りなのお祈りなのか、各自1分くらいだからスムーズだ。ちゃんと手水で清め、マスクや手袋を外し、柏手を打って礼をして拝をする。
それだけのことなんだけど、これって前述の人気のある神社大型の神社ではもうできないよね。
押すな!まだか、ようやくちょっと動いた、斜めになったがようやく最前列だ、エエィここからお賽銭、神様どうかよろしく・・・。
これはこれで正月の風物詩だからいいけどさ。ご利益はなさそうだ。
さらにおみくじを引く。
いかにもバイトのような巫女さんが渡してくれる。
厄年の時は見事に凶を引いた。
前厄の時は平安神宮で凶、下鴨神社でも凶だった。翻訳の時は平安神宮で凶、北野天満宮で凶。生まれてこのかた凶を引いたのも初めてなら、ここまで続いたのも初めてだ。恐るべし厄年。
後厄のときはようやく吉と末吉。なんとか脱出か。
おみくじは良ければ持ち帰り、あまり良くなければ神木にくくりつけて帰る。
この行為も木に結ばれると枝が痛むからって、ポールに縄を張り巡らしたようなもののところにくくれと用意されてる。
お神酒をいた開くときも「車で来られてはないですね」と念押しされる。どんどん世知辛くなってくる。
どこかの神社ではドライブスルーでお参りができるようにしたらしい。
そのうちVRで初詣とか、3Dでご焼香とかの時代が来るかもしれない。
便利でスマートな時代になっていくのはいい。
一昔前は正月なんてどこの店も空いてなかったし、商店街は閑散としてて、やることなかった。
だから凧揚げとか独楽回しとかすごろくとか羽子板とかしてたんだろうけど、今はデジタル機器ゲーム。
大人も酒飲む暮らしかやることないから、おせちなどをつまみつつ、近所の子や親戚の子らが遊びに来たらお年玉をあげたり、一緒に遊んだり。それが今じゃぁ2日からスーパーは開いてるし、コンビニやファストフードは1日から空いている。
年賀状はメールやLINEでの挨拶になった。年賀状が減ったのは個人情報保護法を勘違いしたせいで、職場の仲間や学校の友達の住所を知らない人が増えたせいでもある。
、お歳暮やお中元みたいな負担になる習慣はやめよう!なんて企業が打ち出したもんだから、お年賀なんて皆無じゃないかな。
飲み会に誘われること=アルコールハラスメントなんて言われるから、忘年会も新年会も誘えないし、誘われても参加しないしさ。
で、上司や同僚とコミニュケーションが取れなくて、孤立感感じたりを勝手にしてる。
これを自業自得という。
まぁ、自分らしくとか、無理をしない、頑張りすぎない、そんな風潮で育ってきた人はこれからも変わらないだろうし、俺も変えようとする気もない。
日本の四季を感じず、風習や伝統や文化を感じず、新しいものばかりを取り入れて、この先に何があるのかはその人たちの目線と俺の目線は違うだろうしね。
NHK紅白歌合戦の後半視聴率が40%をちょっと切って「史上3位のワースト記録」なんて言って騒いでる馬鹿もいる。
昔みたいに帰郷した家族で年越しとか、実家に戻った家族でわいわい年越しなんていう光景は減っていってる。みんなでなんとなく紅白を見てたい、それを楽しみにしてる老人や中高年も減っただろう。
出れるだけで一流歌手の仲間入りと言われた紅白も、桑田やアムロが出るだけで特別扱いされる時代だ。もはや歌合戦でもなんでもない。
さらに裏ではガキの使いスペシャルや、孤独のグルメなんかががやっている。
カウントダウンイベントに出かけてる人もいるだろうし、初詣に出かけてる人も、まだ帰郷の高速道路の上の人も、旅館やホテルでゆっくりしてる人も、恋人と二人厳かに新年を迎えたカップルもいるだろう。
テレビがない家は固定電話がない家と同じく多い。若い世代はスマホやタブレットで十分だし。
それで40%弱の視聴率。
これが低いのか高いのか。
テレビ局や制作、スポンサー関連、広告代理店(これはNHKには関係ないが)以外には全く関係ない視聴率を、さも重大事件のように流すマスコミ。
不倫や熱愛のように、当事者同士や関係者、ファン以外は全く関係ないことを、根掘り葉掘り勝手に暴いて、個人情報もへったくれもなく勝手に騒ぎ、自分達も被害者のように騒ぎ立てるマスコミ&マスメディア。
そうして、奴らはそのうちこじんまりとした、八方美人で隙のない奴らばかりにさせておいて言う。
「最近の芸人(他は歌手とか番組)は昔と違って羽目を外さない、型にハマったような奴ばかりで面白くない。昔は・・・」と。
マッチポンプとはこのことだ。
今を嘆く前に伝統とか風潮とか、文化をもう一度見直した方がいいかもしれない。
新元号はもうスグだ。