今日で平成が終わる。
いやぁ、うるさかったねぇ。「平成最後の」のオンパレード。「平成最後の」をつければどんな小さなことでも重大事件のようになってしまう魔法の言葉。「期間限定」とか「数量限定」と同じく、「今」を最大限にアピールする言葉、それが「平成最後の」。いいのかこんな使われ方で。
何でもかんでもこの枕詞をつければ成り立ってしまうのも今日まで。まぁ明日からはこれが「令和初の」に変わるだけだが。
平成を振り返る記事や番組が多々あったけど、たった29年を振り返られてもなぁ。現在30歳未満の人は最初の10年くらいはそんなに覚えちゃいないし、ましてや20歳前後の人は思い入れもクソもないだろう。騒いでるのは実は昭和生まれの人たちだけだったりしてね。
この便乗は「ミレニアム」の時にもあったなぁ。1999年から2000年になる時、世間では「コンピューターが狂う」などと俗に言われる「ミレニアム騒動」って賑わってた。実際たいしたことなかったけど。金城武と中山美穂主演で「2000年の恋」ってドラマもあったな。
たぶんこれって、昭和から平成に変わる時は天皇崩御だったからね。マスコミは「ミレニアムは売りにするぜ」って意気揚々だったことだろう。「昭和から平成」は天皇崩御で元号が変わったのだから、どうしても神妙に報道しなきゃいけない雰囲気だったからさ。小渕さんが「平成」を発表してしばらくしてからようやく「昭和」を振り返ったり、「平成はこうなる」なんてのが出てきたくらいだもの。
しかし残念ながら2000年のミレニアムはそれほど盛り上がらなかった。たぶんこれはノストラダムスの大予言のせいだとと思う。
「1999年7の月、恐怖の大王が空から降ってくる」という一大ブームを巻き起こした予言。見事に何もなかって外れてしまった。ノストラダムス本の作者・五島勉さんは辛かっただろうな。まさかこんなにおおごとになるとは執筆時は思ってなかっただろうし。
また1999年から2000年はミレニアムだが、世紀の変更は翌年2001年だ。ミレニアムがも一つ盛り上がらなかったから、今度は早めに「20世紀最後の」をやって、そして年が変わったら「21世紀初の」が世間を席巻してた。でもさ、今振り返ってみれば、それほどどちらも盛り上がらなかったな。
日本人はやっぱり西暦より元号なんだな。
でも不思議なことに昭和、大正、明治まではいいんだけど、その前の時代は江戸時代、安土桃山時代(戦国時代)ってひとくくり。さらに前に遡ると、室町、平安、鎌倉、大和(奈良)・飛鳥・・・。その時代を元号で表すのって稀ね。
神武天皇から今生天皇に至るまで125代天皇が変わってるんだけど、元号と在位が一致しない場合もあるからね。在位中でも元号が変更されたりしてるし、崩御されたり譲位されてても変わらない場合もある。さらに言えばまた復活即位してたりする。西暦もユリウス暦とグレゴリオ暦でちょっとズレがあるしね。
大化の改新は教科書にも載ってる大事件だ。語呂合わせでこの事件が起こった年(西暦645年)や登場人物(中大兄皇子、中臣(藤原)鎌足、蘇我入鹿)は知ってる人が多いと思うが「何のために」とか「なぜ起こった」まで答えられる人は少ない。ここら辺が日本の学校教育において歴史の授業が実にいい加減かって物語ってるが、実はこの「大化」が元号の最初だということも知ってる人も少ない。
天皇という言葉を最初に用いたのは天武天皇と言われる。(倭から日本に国号を変えたのも天武天皇だそうだ。一部の説には聖徳太子(厩戸皇子)/推古天皇だとも言われる。
日本最初の貨幣と言われる和同開珎。この「和同」も元号だ。
平氏を飛躍させた内乱、保元の乱(1156年)と平治の乱(1159年)の保元や平治も元号である。
「いいくに作ろう鎌倉幕府」の語呂合わせでもあ馴染みの鎌倉幕府。源頼朝が征夷大将軍になったのと幕府を開いたのは1192年ではないとか近年言われてるが、じゃぁこの時の元号は?正解は建久だが、答えられる人は歴史マニアくらいだろう。
他にも鎌倉時代に元号が出てくるのは
承久の乱(1221年/後鳥羽上皇が北条政子の甥・北条義時追放令を出し、鎌倉幕府と全面対決になった)や、御成敗式目(1232年/元号は貞永)くらい。建久から貞永までの間に14回も元号が変わってる。
さらにややこしいのは南北朝時代。
鎌倉幕府滅亡前後に即位した後醍醐天皇VS足利尊氏。吉野に追われた後醍醐天皇は大覚寺統(南朝)を開き、足利尊氏が擁立した光明天皇が持明院統(北朝)を開いた。その間に南朝は延元~元中まで8回、北朝は暦応〜名徳まで16回の元号を変えてる。
社会の教科書にはちょこっとしか載ってないこの南北朝時代をなぜ俺がこんなに詳しいかというと、前に住んでたところが楠木正成ゆかりの地だったから。太平記にも記されてる楠木正成親子の忠君ぶりは散々聞かされた。楠木&新田義貞軍700人VS足利軍数万の無謀な戦い&善戦は、のちの豊臣滅亡の際に尽くした真田幸村などにも通じる。大阪人ってこういうの好きなのよね。
元号で有名なのはやっぱり応仁の乱の「応仁」だな。戦国時代の始まりとも言われる応仁の乱。京都の人は未だに「前の大戦って太平洋戦争のことやありゃしません、応仁の乱のことですぇ」とネタのようにおっしゃられるくらいだ。
でも、これもなんで起こったのか、誰と誰が戦ったのか、そしていつから(応仁なのだが)なのかを答えられる人は少ない。
室町幕府8代将軍の足利義政(銀閣寺創設した人ね)が重用してた伊勢貞親が失脚し、日野富子(義政の妻)が政治に口を出し始め、細川勝元と山名持豊の対立、弟・義視と子・義尚の後継者問題、畠山氏や斯波氏の家督問題なんかがごっちゃになって1467年から11年にわたって繰り広げられた戦い。始まりは内輪揉めなのに、各地の諸勢力が東西に分かれて戦うという、時代の間に起きる不可思議な力。(源平合戦、関ヶ原、明治維新も同じだ)
この後、群雄割拠の戦国時代に突入するが、元号が登場するのは織田信長がゴリ押し制定した天正(1573年)くらいだ。
毛利元就VS陶晴賢の厳島の戦い(1555年)
今川義元VS織田信長の桶狭間の戦い(1560年)
織田・徳川連合VS朝倉・浅井連合の姉川の戦い(1570年)
織田・徳川連合VS武田勝頼の長篠の合戦(1575年)
本能寺の変、山崎の戦い(1582年)
羽柴(豊臣)秀吉関白就任(1585年)
小田原征伐(1590年)
関ヶ原の戦い(1600年)
まぁ5年単位でいろんな戦いがあるのだが、応仁の乱から江戸幕府設立まで、15回変わっている。徳川家康が征夷大将軍になった1603年は豊臣政権時代の慶長のままで、元和になったのは大阪冬の陣と夏の陣の後1615年だ。
家康から慶喜まで15代将軍が変わった江戸時代。元和から慶応まで実に34回改元されてる。
江戸時代の元号で有名なのは暴れん坊将軍で有名な8代将軍吉宗の時代に行われた享保の改革(1716年〜)だな。
大阪人なら誰でも知ってる海遊館のある天保山。でもこの日本一低い山ができたのは天保(1845年〜)11代家斉と12代家慶の時代だということはほとんどの大阪人は知らない。甲子園球場がなぜ甲子なのかは答えられるのにね。
江戸幕府崩壊の引き金となった安政の大獄があった安政(1860年〜)は13代家定、14代家茂の時代。安政元年にペリーが黒船で又来て、日米和親条約や日露和親条約を結ぶ。安政は大型地震が多発して内政は不安定、さらに天皇(孝明天皇)の勅書抜きで交わした日米通商条約などの5か国との調印により鎖国が崩壊。井伊直弼は反対分子の弾圧(これが安政の大獄)するも桜田門外の変で殺されるという激動の時代。
その江戸時代最後の将軍が慶喜だと答えられる人は多いが、じゃぁその時の天皇は?(明治天皇の前は誰?)って聞かれても答えられる人は少ないと思う。正解はまだ孝明天皇なんだね。
実はこの後(明治天皇)になってから、一世一元の詔(みことのり)が発布されたので、それまでは天皇が存命とか即位していても変わってるのよね。って言っても一世一元の
制は明治、大正、昭和だけで、平成から令和は譲位による改元だからね。今後どうなるかわからない。
日本では天皇陛下の存在は唯一無比なもの。
国旗を燃やされようが、現政権を非難されようが馬耳東風だが、韓国の議長が天皇を軽くみたような発言をしたら不快感を示す。
ましてや秋篠宮友人様の通う学校へ侵入し、机に刃物を置いた56歳の男なんて、問答無用で死刑にして欲しいと思ってしまうのは俺だけかね。まぁ早くに捕まってよかったよ。さすが日本の警察。本気を出せばこんな思想犯くらい簡単に捕まえられるのだろう。
あと数時間で平成が終わる。
これからは「令和初の」騒動が始まるのだろうね。
昨日スーパーで見つけたカップヌードルの令和パッケージ。中身は普通のカップヌードルと何も変わりがないのはわかってるのだが、つい買ってしまったよ。踊らされてるのだが、正月の演技もんみたいなものだ。
今夜、元号が変わるとともにこれを食す。年越しそばならぬ元号越しラーメン。
真夜中にこんなもの食べても太らない体質に感謝。
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