9月23日、国連気候行動サミットで演説したグレタさん。
このスピーチの映像及び音声を見たのだが、すごく違和感を感じる。
こういった大舞台で未成年の少女が地球の未来のことにスピーチする。学生だったり一般人だったり、毎回人は変わるのだがそれなりに「うーん、もっともだ」と思わさせられる。そして同時に「若いのによく考えてるなぁ」と普段環境のことなど何も考えていない自分を恥じたりする。
しかし、このグレタ・トゥーンベリさんのスピーチはちょっと違った。言ってることは正論だ。その内容が正しいのか科学的根拠はどうかはさておき、なんか喧嘩腰なの。感情もろ出しで「あなたたちは」と世の指導者や大企業の経営者を批判する。それが気になってしまってスピーチの内容が全然入らない。感動しない。なんか否定したくなってしまう。
どこかで同じようなものを見たなぁって思い出してみた。そうだ、東日本大震災後タケノコのように現れた国会前で原発反対デモしてたやつのスピーチ。いつまでも沖縄の辺野古基地移転で反対してるプロ市民のスピーチ。自国の首相を呼び捨てで騒ぎ立ててるあいつら。奴らの表情によく似てる。
なんでそんなに怒りをあらわにして感情むき出しでスピーチしたのかはわからない。会場に突然現れたトランプ大統領を見つめる目は明らかに憎悪が浮かんでた。
こういうことを書くと「彼女はアスペルガー症候群だから」とか言われるけど、だから何?差別や偏見も持たない代わりに特別市も擁護もしないよ。勘違いしないでおくれ。ジジイは嫌いだがヨボヨボの足元おぼつかない爺さんが電車に乗ってきたら席は譲るよ。ガキも嫌いだが子供を抱えてベビーカーをたたんで持ちながら階段上がってる人を見かけたら、ベビーカー持ってあげたりするよ。だからと言って、電車の中で騒ぐガキや、スーパーでごねてるジジイには「ウルサイ」って怒鳴る。色眼鏡では見ないが贔屓もしない。それが公平ってやつだろ。違うか。
基本的に環境問題とか騒いだりでもしたりする人た日は苦手だ。もちろんみんな一人一人が考えなきゃ、次世代にバトンを繋げなくてはってのもわかる。だけど、なんか攻撃的なのよ。たまたまかもしれないが、俺に関わってきた環境何ちゃらって人は攻撃的なのよ。ねなんで俺が責められなきゃいけないんだ?って思うのよ。みんなやってるやんって言い訳したいんじゃないよ、凝り固まって正論ぶつけるけど、視点変えたらお前らがやってることって何?究極論は人間がいる限り、発展や便利を求める限り避けられないことばかりだもの。原始的な生活しろと?自然と勘違いした不自然な生活をしろと?
グレタさんのスピーチはいきなりキツイ口調で始まった。普通は会場の皆さんに挨拶(感謝)などを述べてから自分の意見を述べるのだが、そんなセオリーはすっ飛ばしいきなり攻撃的。結婚式の祝辞や表彰式(今回別にグレタさんは表彰されたとかじゃないけど)では、そうじゃないかな。誰かに対してメッセージを送るにしても(結婚式なら新郎新婦及び親族、表彰式なら支えてくれたスタッフ)感謝は忘れない。まずはそれからだ。
さらにグレタさんのスピーチは「私たちは」ではなく「あなた方は」ばっかりだ。言ってる内容はもっともだし、そして会場はその趣旨の集まりできた人ばっかりなんだけど、各国から代表して集まってる人たちは、またはカメラを通してスピーチを聞いた人たちは、自分たちが責められてる気になったのではないかな。少なくとも俺はそうだ。言い方ではなく、俺の捉え方が問題だと言われたらそれまでだが、少なくともこういったスピーチでは俺は全く感動しないし共感はしない。
「アナタたちの空虚な言葉で私の夢や子供時代は奪われてしまった」
「あなたたちには失望した。若者たちはアナタたちの裏切りに気付き始めてる」
日本でもこの手の嫌悪感を抱くスピーチをする人がいる。辻元議員や小西議員などがそうだ。最近のNHKをどうちゃらっていう政党の立花議員もそうだ。早口で自分の意見ばっかり押し通す。自分の意見が正しいのだからそれに従うべきだ、違うか、反論あるなら言ってみろよ、どうだって矢継ぎ早に攻撃的にしゃべる。蓮舫議員や山本太郎元議員も内容は攻撃的だったが、この二人はちゃんと筋道を立てて(まぁ理解には苦しむ理屈の時もあったが)ゆっくりとインタビュー受けていた。決して憎悪や怒りだけではない。あくまでも国民市民の代弁者として語ってるってスタンスだ。
ダウンタウンの松本さんや明石家さんまさん、ビートたけしさんなんかが時事ネタできつい事言ったりするが、あくまでも最後はお笑いにしたり茶化したりする。一部では炎上したりするが(息を吐くように炎上させたがるマニアはどうしてもいる)大多数は「なるほどね、そういう考えもあるか」って納得したりする。彼らは自分の意見を押し付け「どうだ、これが正しいだろ、考えを改めよ」ってなことはまずしない。ホリエモンや坂上忍さんは、時に暴走してこれをやってしまうので嫌われるのではないかな。持論が正しいと言い張られても、物事はいろんな角度から見ないとねぇ。
お隣の国の議長、「天皇陛下が謝罪せよ」と暴言吐いた。日本が訂正及び移管を伝えたら「盗人猛々しい」とわめきたてた。あの彼が日本で嫌われるのはあの表情と語調のせいだろう。まぁ韓国語ってなんか早口で攻撃的に聞こえるけどね。北朝鮮の名物アナウンサーが日本批判をする時も、大したこと言ってないんだけど、やたらと反感を買うのはそのせいだ。
ノーベル平和賞を受賞したマララさんという女性がいる。以前彼女が授賞式でスピーチしたのを見たが、とても感動した。ゆっくり語りかけるように全世界の人に向けて、愛と平和の大事さをスピーチした。国家間の紛争、差別、政治問題をコンコンとゆっくりと間を取りながらスピーチした。ジョン・レノンの「イマジン」を聞いてるかのよう。確か受賞当時のマララさんは17歳だったはずだから、今のグレタさんとそう変わりはない。この違いはなんだろう。
地球温暖化、パリ協定、京都議定書、国家間の紛争、宗教による諍い、人種差別、移民や難民、貧富の差・・・。
地球上にはいろんな問題がある。国家レベルで取り組まなきゃいけないものから個人活動から発展するものもある。富裕国は途上国に支援をする。富裕層は貧民層にボランティアをする。捉え方によってはそれを搾取といい、望まない発展、環境破壊という。アマゾンや東南アジアで焼き畑農業のために森林を焼くと自然は破壊されCo2問題になる。石炭を使う火力発電は Co2を出すが原発は出さない。しかし一度惨事が起こると壊滅的被害が生じる。
何事もバランスで成り立ってる。環境のためにとヨットで会場にやっていたグレタさん。修理のためにスタッフは飛行機使って3回地元に帰ったらしい。本末転倒だがそこはどうでもいいのだね。何が正しくて何からやらなきゃいけないのか。どうあるべきなのか、どうなれば幸せなのか。
怒りにまみれたスピーチではそれは全くわからなかった。
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