徳丸無明のブログ

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中華思想で中国を論じるということ・前編

2016-05-09 20:50:06 | 雑文
中国は年々海洋進出の度合いを強めており、周辺諸国との対立を深めている。
南シナ海では西沙諸島と南沙諸島でそれぞれベトナム・フィリピンと、東シナ海では、主に尖閣諸島を巡って日本と衝突している。これらは、専ら中国側が、国連海洋法条約で制定されているところの排他的経済水域(EEZ)を侵犯することで生じており(国連海洋法条約には、中国も1996年に批准)、目下、解決の見通しが立たない国際問題となっている。
これら中国の、国際秩序を踏みにじる言動は、よく「中華思想」で説明される。
中華思想とは、中国が世界の中心であり、その中心から離れれば離れるほど野蛮な土地になっていく、という考え方である。世界の中心からは、天子(王者)の王化の光が放たれており、現在野蛮な異人種にも、いずれその徳が及べば、中華の秩序の中に取り込まれるとされる。この世界感において、確たる境域を定めることは、王化の拡大する可能性の否定を意味する。なので、中華思想のもとでは、国境は存在し得ない。
だから中国は、国際的に定められた海域を侵犯するのだ、と。
しかし、小生はこれを疑問に感じる。
元々中国に中華思想があった、というのは事実だろう(それを否定する意見もあるようだが)。だがそれは、現代においても機能しているのだろうか。21世紀の今日においてもなお、中国人はウェストファリア条約を知らず、国民国家、及び国境概念を理解できず、世界地図を見たこともないのだろうか。まさかだろう。
僻地に住む一部の少数民族であればそういうこともあるだろう。だが、いくら情報統制のなされている国とはいえ、その程度の国際的常識が行き渡っていないなどとは考えられない。
中国人であっても、国境概念、領地・領海・領空という国際的区分を常識として知っているはずだ。中華思想など、過去のものでしかない。
そして、中華思想で中国を論じるのは、誤りであるだけでなく、ひとつの危険性を孕んでいる。中国側に、傍若無人に振る舞うことの大義名分を与えてしまうおそれがあるのだ。
中国の立場に立って考えてみよう。
もし、周囲の国々が、中国の言動を中華思想に基づいて理解していたら、中国側はどう思うだろうか。
「周辺諸国は、我々を中華思想で捉えているらしい。そんな訳はない。いくらなんでも、世界に明確な国境線がないなんて、この時代にそんな考え方をする訳がない。中華思想など大昔のものだ。今の中国人で、そんな世界観を抱いている者などいない。でも、周辺諸国が、中国は中華思想に基づいて行動している、と認識しているのなら、そういうことにしておこう。あえてそれを訂正する必要はない。なぜなら、中華思想がまだ生きているのであれば、『中国は中華思想なんだから仕方ないよね』と思ってもらえるからだ。我々の強権的な振る舞いを、目こぼししてもらえる。中華思想は、我々にとって実に都合がいい。だから、実際はないんだけど“ある”ということにしておこう」
中国側(の、おもに上層部)が、このように考えたとしても不思議ではない。
これが、中国の言動を中華思想で捉えることの危険性である。それは、中国の傍若無人な振る舞いを容認することに繋がってしまうのだ。
なので小生は、中国を中華思想で捉えるのはやめたほうがいいと思う。中国の、国際秩序無視の振る舞いに、免罪符を与えてはいけない。常識的に考えれば、中国の言動に何らかの歯止めをかけねばならないのに、中華思想を持ち出すことで、むしろ後押ししてしまっているのだ。これはよくない。(嫌韓に次いで嫌中が多い現状にこのような意見を述べれば、彼等に格好の攻撃材料を与えてしまうことになるので、あまり強調するべきではないかもしれないが)

(後編に続く)


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