徳丸無明のブログ

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アイ・アム・ロボット

2019-06-28 22:10:15 | 雑考
宇野常寛の『静かなる革命へのブループリント――この国の未来をつくる7つの対話』(河出書房新社)を読んでの気付き。
これは評論家の宇野と、「産業の、研究の、そしてエンターテインメントの現場で」「これからの日本と社会を変えうる/既に変えている」「静かな革命」を進行させている7人のイノベーターとの対談集である。
この中の、NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹との対話で、日本の市民社会についての話題になった時、「西洋近代に範を置くリベラルな学者たち」がよく口にする一般論に反する形で、宇野が次のように述べている。


でも僕のような文化論の人間から言わせると、社会にコミットするときの主体のあり方は、西洋と日本とでは全然違う。たとえば、人が乗り込むロボットって日本にしかないんですよ。
(中略)
ロボットって、定義上は人工知能を持っていないといけないから、マジンガーZやガンガムは本来はロボットではないんです。あれは単に、人の乗り物に過ぎない。


そ、そうなんだ!
些細なことと言えば些細なことなのかもしれないが、これにはけっこう衝撃を受けた。ガンダムはロボットではない!
SF作家アイザック・アシモフが提唱した「ロボット3原則」っていうのがある。第一条が「ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない」、第二条が「ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、命令が第一条に反する場合はこの限りでない」、第三条が「ロボットは、第一条および第二条に反するおそれのない限り、自己を守らなければならない」。この原則をロボットが遵守しなければならないとされているのだが、そのためには、ロボットが主体的な判断を行えなければならないわけだから、たしかに前提として人工知能が不可欠だ。
前に高校生のロボットコンテスト、通称ロボコンをつかまえて、「こんなのはロボットではない」とぼやいている人がいた。「あれをロボットというのなら、トースターはパンを焼くロボットだし、掃除機はゴミを吸いこむロボットだ」・・・そんな意味のことを話していた。
それを聞いた時、僕は「確かにその通りかもしれないけど、そんな細かいことに目くじら立てなくてもいいじゃないか」と思ったんですけど、仮にその人に「ほんとそうですよね、ガンダムや鉄人28号みたいなのじゃないとロボットとはいえませんよね」って尋ねたら、「当然だろう」って答えてたんじゃないかな。
そうかー、「敵に渡してはいけない大事なリモコン」で動く鉄人28号はラジコンの同類で、ガンダムやマジンガーZは自動車や飛行機の同類なんだね。

ちなみに宇野は、上の引用箇所のあとで、「「自分ではない大きなものに一度同一化して、自分ではなくその依代がコミットする」という日本人の精神性をこれらのロボット・アニメは表しているわけだけど、それってつまりは天皇でしょう?世の中に直接コミットするのではなく、依代に同一化することで社会にコミットするという身体感覚が、日本人にはあるのではないか。」とも述べている。こちらもなかなか示唆深い。