野口悠紀雄の『仮想通貨革命――ビットコインは始まりにすぎない』(ダイヤモンド社)を読んでの気づき。
これは経済学者の野口が、仮想通貨とは何か、どのようなシステムで運営されているか、私たちの暮らしをどう変えるのか、今後はその形態をどう変容させていくのか、について解説した一冊である。野口はこの中で、2014年当時大きく報道された、マウントゴックスの取引停止事件を次のように説明している。
二〇一四年の二月末、ビットコインの私設両替所であるマウントゴックス(Mt. Gox)が取引を停止した。
多くのマスメディアは、これを、ビットコインの取引そのものが停止されたかのように報じた。「取引停止」「ビットコインの脆弱性露呈」等々の見出しが紙面に躍った。
人々は、ビットコインが崩壊したと誤解したことだろう。私の周りの、実にすべての人が、そのように誤解した。
多くの識者のコメントも、「中央銀行なしで通貨制度を維持できるはずがない」という趣旨のものだった。「似非電子マネー円天と同じだ」と誤解した人もいる。報道によれば、麻生太郎財務大臣は、「いつかは崩壊すると思っていた。あんなものが長続きするはずはないと思っていた」と語った。
しかし、崩壊したのは、ビットコインと通貨を交換する両替所の一つにすぎず、ビットコインそのものではなかった。(中略)麻生大臣の言う「あんなもの」が、ビットコインなのかマウントゴックスなのかは明らかでないが、文脈からすれば前者だ。つまり、「ひどい取り違え」である。日本のマスメディアは、ビットコインそのものと、その外にある両替所を混同させるような誤解を広げたのである。
たとえて言えば、つぎのようなことだ。アメリカ旅行から帰ってきて、ドルの使い残しがあった。成田空港の両替所で円にしようとしたら、事故で閉鎖されていた。このことをもって、「ドルは崩壊した」と言うようなものである。
重要なのは、「両替所は、ビットコインの維持システム(取引をブロックチェーンに記録し更新するシステム)の外にある」ということである。両替所はビットコインシステムの利用者であり、運営者ではない。だから、マウントゴックスが破綻しても、ビットコインの運営そのものには影響が及ばない。
システムの外で起きたことがシステムの運営に影響を与えないというのは、日本銀行券についてつぎの事例を考えれば、明らかだ。いま、銀行強盗があって日銀券が盗み出されたとしよう。この場合、「銀行は広い意味での通貨制度の一部だから、日銀券の脆弱性が明らかになった」と言うだろうか?
普通は、そうは言わない。ガードが甘かったのは、被害にあった銀行である。日銀はそこまでは責任を持てない(ましてや、個人が自宅で保管している日銀券の盗難までは、到底責任を持てない)。「これは、日銀券維持システムの外で起きた事件であり、日銀券の信用が失われたわけではない」と考えるのが普通だ。
うーん、実にわかりやすい。
世の中には、新しいものにひとくさり難癖をつけないと気がすまない人や、自分がよく理解できないものはすべて胡散臭いと考えがちな人がいる。そんな人たちにとって、このマウントゴックスの騒動は、「ほらみたことか」とか「ざまあみろ」などと口にしたくなる、留飲の下がる出来事だったんだろうね。
この騒ぎ以降、仮想通貨のこれといった事件は起きていないので、そのシステムはある程度安定しているとみていいだろう。
僕が過去に書いた論考「貨幣は仮想化する以前から仮想であるということ」(2017・10・4)もご一読くださいね。
これは経済学者の野口が、仮想通貨とは何か、どのようなシステムで運営されているか、私たちの暮らしをどう変えるのか、今後はその形態をどう変容させていくのか、について解説した一冊である。野口はこの中で、2014年当時大きく報道された、マウントゴックスの取引停止事件を次のように説明している。
二〇一四年の二月末、ビットコインの私設両替所であるマウントゴックス(Mt. Gox)が取引を停止した。
多くのマスメディアは、これを、ビットコインの取引そのものが停止されたかのように報じた。「取引停止」「ビットコインの脆弱性露呈」等々の見出しが紙面に躍った。
人々は、ビットコインが崩壊したと誤解したことだろう。私の周りの、実にすべての人が、そのように誤解した。
多くの識者のコメントも、「中央銀行なしで通貨制度を維持できるはずがない」という趣旨のものだった。「似非電子マネー円天と同じだ」と誤解した人もいる。報道によれば、麻生太郎財務大臣は、「いつかは崩壊すると思っていた。あんなものが長続きするはずはないと思っていた」と語った。
しかし、崩壊したのは、ビットコインと通貨を交換する両替所の一つにすぎず、ビットコインそのものではなかった。(中略)麻生大臣の言う「あんなもの」が、ビットコインなのかマウントゴックスなのかは明らかでないが、文脈からすれば前者だ。つまり、「ひどい取り違え」である。日本のマスメディアは、ビットコインそのものと、その外にある両替所を混同させるような誤解を広げたのである。
たとえて言えば、つぎのようなことだ。アメリカ旅行から帰ってきて、ドルの使い残しがあった。成田空港の両替所で円にしようとしたら、事故で閉鎖されていた。このことをもって、「ドルは崩壊した」と言うようなものである。
重要なのは、「両替所は、ビットコインの維持システム(取引をブロックチェーンに記録し更新するシステム)の外にある」ということである。両替所はビットコインシステムの利用者であり、運営者ではない。だから、マウントゴックスが破綻しても、ビットコインの運営そのものには影響が及ばない。
システムの外で起きたことがシステムの運営に影響を与えないというのは、日本銀行券についてつぎの事例を考えれば、明らかだ。いま、銀行強盗があって日銀券が盗み出されたとしよう。この場合、「銀行は広い意味での通貨制度の一部だから、日銀券の脆弱性が明らかになった」と言うだろうか?
普通は、そうは言わない。ガードが甘かったのは、被害にあった銀行である。日銀はそこまでは責任を持てない(ましてや、個人が自宅で保管している日銀券の盗難までは、到底責任を持てない)。「これは、日銀券維持システムの外で起きた事件であり、日銀券の信用が失われたわけではない」と考えるのが普通だ。
うーん、実にわかりやすい。
世の中には、新しいものにひとくさり難癖をつけないと気がすまない人や、自分がよく理解できないものはすべて胡散臭いと考えがちな人がいる。そんな人たちにとって、このマウントゴックスの騒動は、「ほらみたことか」とか「ざまあみろ」などと口にしたくなる、留飲の下がる出来事だったんだろうね。
この騒ぎ以降、仮想通貨のこれといった事件は起きていないので、そのシステムはある程度安定しているとみていいだろう。
僕が過去に書いた論考「貨幣は仮想化する以前から仮想であるということ」(2017・10・4)もご一読くださいね。