今日はマルちゃんのワンタン3パターンです。



こないだ10~20年ぶりくらいに買ったんですけど、種類が増えててどれがスタンダードなやつなのかわかんなくなってました。しょうゆ味がそうですよね?「もうひとしな」として、あるいは汁物として食卓にあればうれしい一品。
少し前に、タイでココナッツの収穫をさせられてる猿が虐待を受けていると、欧米の動物愛護団体が訴えている、というニュースを観ました。猿を使ったココナッツの収穫というのは、ようするに鵜飼いみたいなもんで、猿に木の上になってるココナッツを取りに行かせる、という収穫法です。人間の体格だと枝が折れて転落してしまうおそれがあるし、猿のほうがはるかに木登り上手なため、人の代わりにココナッツの実を取ってもらってるのだそうです。
愛護団体は、この猿が劣悪な環境のもとにあると指摘しているそうですが、猿を飼ってるタイ人によると、それは事実とかけ離れており、愛護団体側の捏造だとのこと。「自分たちはちゃんと猿を可愛がって世話してる」とタイ人のおじさんは語ってました。
どこまでが本当のことなのか、僕にはわかりません。しかし、日本の猿回しの虐待の様子を見たことはあります。
子供のころ、たまたま観ていたテレビに猿回しの練習風景が流れてました。お猿さんの可愛い映像かと思いきや、さにあらず。猿が技を失敗したとき、猿回しのおじさんが「何やっとんじゃオラー」って叫びながら猿をぶっ叩いていたのです。いや、おじさんのセリフを正確には覚えていないのですが、とにかく相当な剣幕で怒鳴って暴力をふるっていたのです。
僕はお猿さんが可哀想で、まあまあのショックを受け(だからこそ記憶に残っているのです)、呆然としながら観ていたわけですが、こんな光景が平然と放送されていたということは、昔はこれが虐待だなどとは思われていなかった、ということですよ。
記憶が確かなら、この映像が流れていたのは80年代後半から90年代前半。そのころまで日本は、動物虐待という観念がなかったか、あっても薄っぺらなものだった、ということです。
それとは別に、実際猿回しを見物したときのことなんですけど、わざと猿が失敗するくだりがありまして、そこで猿回しのおじさんが猿の耳を掴んで「ちゃんとやれよー!」ってすごい大声で怒鳴ったんですね。そのあと猿は大技決めてフィニッシュとなったのですが、怒鳴りつけたことに悲鳴が上がってて、大技に対する拍手も起きたのですが、それよりも悲鳴のほうが後を引いていて、「あんなことする?」「猿が可哀想」という空気がしばらく漂っていました。これはテレビで観たのの少し後のことだったと思いますが、たぶんそのころから虐待に関する意識が芽生え始めたんでしょうね。(そのころは児童虐待って言葉もありませんでしたよね?)
今の猿回しはどうなのでしょう。僕は今でも猿回しを見ると「この猿はちゃんと可愛がられているだろうか」って心配しちゃいます。「伝統だから」云々と強弁して意地でも存続させようとする勢力もありますが、場合によっては廃止も検討すべきではないでしょうか。別に猿回しなんかなくなってもいいしね。ゆりありくっていう芸人もいたなー。
今当たり前のものとして共有されている常識が、ほんのちょっと前までは存在していなかった。あらためて考えるとなんかすごいですよね。
それで言うと、さだまさしの「にゃんぱく宣言」ってのがACジャパンのCMで流れてたじゃないですか。あの中に「外に出してはいけない」って歌詞があったのに驚きましたね。「今はそれが常識なの?」って。
昔は飼い猫でも散歩に出るのが当たり前でしたよ。家の窓が閉まってたら「出してくれ」とばかりにニャーニャー鳴いて、スルッと表に出て、2,3時間好き勝手放浪して戻ってくる、っていうね。
今の飼い猫は家の中にずっといてストレスにならないんでしょうかね。ストレスがあっても交通事故に遭わせないほうが大事だということでしょうか。
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、および雑感。
JR博多駅では毎年冬の期間に「光の街・博多」と称して、イルミネーションを点灯します。今年はさすがにないかな、って思ってましたけど、昨日から点灯式なしでの開催となりました。
駅前広場はそこそこの敷地があるのですが、それでも人々がイルミネーションに足を止めて見学してたらけっこうな密が生まれるはずで、過剰な自粛に反対してる僕としては望ましい判断ですけど、まだ自粛を強く求める空気が世間には強く残っていることを考えたら大丈夫なのかな、という気がしなくもないです。
イルミネーション自体は凄くきれいですよ。わざわざ博多駅まで行きたくねーっていうキミや、イルミ見たいけど人ごみ怖いっていうそこのキミは、「博多駅 イルミネーション」、もしくは「光の街 博多」で画像検索してみよう!



こないだ10~20年ぶりくらいに買ったんですけど、種類が増えててどれがスタンダードなやつなのかわかんなくなってました。しょうゆ味がそうですよね?「もうひとしな」として、あるいは汁物として食卓にあればうれしい一品。
少し前に、タイでココナッツの収穫をさせられてる猿が虐待を受けていると、欧米の動物愛護団体が訴えている、というニュースを観ました。猿を使ったココナッツの収穫というのは、ようするに鵜飼いみたいなもんで、猿に木の上になってるココナッツを取りに行かせる、という収穫法です。人間の体格だと枝が折れて転落してしまうおそれがあるし、猿のほうがはるかに木登り上手なため、人の代わりにココナッツの実を取ってもらってるのだそうです。
愛護団体は、この猿が劣悪な環境のもとにあると指摘しているそうですが、猿を飼ってるタイ人によると、それは事実とかけ離れており、愛護団体側の捏造だとのこと。「自分たちはちゃんと猿を可愛がって世話してる」とタイ人のおじさんは語ってました。
どこまでが本当のことなのか、僕にはわかりません。しかし、日本の猿回しの虐待の様子を見たことはあります。
子供のころ、たまたま観ていたテレビに猿回しの練習風景が流れてました。お猿さんの可愛い映像かと思いきや、さにあらず。猿が技を失敗したとき、猿回しのおじさんが「何やっとんじゃオラー」って叫びながら猿をぶっ叩いていたのです。いや、おじさんのセリフを正確には覚えていないのですが、とにかく相当な剣幕で怒鳴って暴力をふるっていたのです。
僕はお猿さんが可哀想で、まあまあのショックを受け(だからこそ記憶に残っているのです)、呆然としながら観ていたわけですが、こんな光景が平然と放送されていたということは、昔はこれが虐待だなどとは思われていなかった、ということですよ。
記憶が確かなら、この映像が流れていたのは80年代後半から90年代前半。そのころまで日本は、動物虐待という観念がなかったか、あっても薄っぺらなものだった、ということです。
それとは別に、実際猿回しを見物したときのことなんですけど、わざと猿が失敗するくだりがありまして、そこで猿回しのおじさんが猿の耳を掴んで「ちゃんとやれよー!」ってすごい大声で怒鳴ったんですね。そのあと猿は大技決めてフィニッシュとなったのですが、怒鳴りつけたことに悲鳴が上がってて、大技に対する拍手も起きたのですが、それよりも悲鳴のほうが後を引いていて、「あんなことする?」「猿が可哀想」という空気がしばらく漂っていました。これはテレビで観たのの少し後のことだったと思いますが、たぶんそのころから虐待に関する意識が芽生え始めたんでしょうね。(そのころは児童虐待って言葉もありませんでしたよね?)
今の猿回しはどうなのでしょう。僕は今でも猿回しを見ると「この猿はちゃんと可愛がられているだろうか」って心配しちゃいます。「伝統だから」云々と強弁して意地でも存続させようとする勢力もありますが、場合によっては廃止も検討すべきではないでしょうか。別に猿回しなんかなくなってもいいしね。ゆりありくっていう芸人もいたなー。
今当たり前のものとして共有されている常識が、ほんのちょっと前までは存在していなかった。あらためて考えるとなんかすごいですよね。
それで言うと、さだまさしの「にゃんぱく宣言」ってのがACジャパンのCMで流れてたじゃないですか。あの中に「外に出してはいけない」って歌詞があったのに驚きましたね。「今はそれが常識なの?」って。
昔は飼い猫でも散歩に出るのが当たり前でしたよ。家の窓が閉まってたら「出してくれ」とばかりにニャーニャー鳴いて、スルッと表に出て、2,3時間好き勝手放浪して戻ってくる、っていうね。
今の飼い猫は家の中にずっといてストレスにならないんでしょうかね。ストレスがあっても交通事故に遭わせないほうが大事だということでしょうか。
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、および雑感。
JR博多駅では毎年冬の期間に「光の街・博多」と称して、イルミネーションを点灯します。今年はさすがにないかな、って思ってましたけど、昨日から点灯式なしでの開催となりました。
駅前広場はそこそこの敷地があるのですが、それでも人々がイルミネーションに足を止めて見学してたらけっこうな密が生まれるはずで、過剰な自粛に反対してる僕としては望ましい判断ですけど、まだ自粛を強く求める空気が世間には強く残っていることを考えたら大丈夫なのかな、という気がしなくもないです。
イルミネーション自体は凄くきれいですよ。わざわざ博多駅まで行きたくねーっていうキミや、イルミ見たいけど人ごみ怖いっていうそこのキミは、「博多駅 イルミネーション」、もしくは「光の街 博多」で画像検索してみよう!