徳丸無明のブログ

雑文、マンガ、イラスト、その他

ギンビス たべっ子どうぶつ バター味

2021-03-19 22:08:29 | 
今回は子供から大人まで愛されるビスケットです。




バターの香りと、表面にまぶされた塩のほのかなしょっぱさがたまらない一品。動物の英語名は死ぬまで憶えないけど、一生食べられます。
本日は第26回私が好きなマンガの話。今回取り上げるのは水木しげるの『カランコロン漂泊記 ゲゲゲの先生大いに語る』(全1巻・小学館)です。最初は文庫で出版されたんですけど、今は新装版が出ています。
みんなご存じ妖怪博士、というよりご本人が妖怪そのものの水木しげる大先生。そんなしげーさん(by.のんのんばあ)の半生を描いたエッセイコミックです。マンガだけでなく、活字のエッセイも収録されています。
自身の戦争体験の話・これまでに関わってきた人々の面影・食べることが大好きな水木サンならではの食の話など。生前水木サンは何かのスピーチで「漫画家は徹夜を自慢する人がいるけどとんでもない。睡眠はとても大切なのです」といった意味の発言をなさったそうですが、眠ることの気持ちよさを描いた話もあります。漫画家ってよく「何日間徹夜した」って言うんですよね。無茶するのがカッコイイとか、過酷であればあるほどすごいみたいな思い込みがあって、徹夜したっていうのは自慢話になるんですね。水木サンはそんな風潮を批判しておられたのです。
でね、それらノンフィクションだけでも充分面白いんですけど、この本にはフィクションも含まれていまして、「死神教」って話なんですけど、これがもう白眉。ストーリーの説明はしません。とにかく読んでください。反社会的な内容で、「こんなの描いていいのか?」って思う人もいるでしょうけど、水木サンなら許されるのだと僕は思います。本作はこの「死神教」一編だけでも読む価値があります。
本書に収録されてる作品じゃありませんけど、「錬金術」っていう短編も、同じような趣のある傑作。収録されてる中で手に入れやすいのはどれかな・・・。全集には入ってるはずですが。
戦争体験の話はほかのマンガでも繰り返し描かれてて、水木作品の熱心な読者にはあまり真新しさを感じられないかもしれませんが、それでも水木漫画のエッセンスが濃縮されてるというか、上澄みのいいところだけ集めてまとめ上げた一作になっています。

僕は子供のころから『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメ観てて、妖怪図鑑みたいなの読んだり、おもちゃも買ってもらったり、水木しげるの妖怪ワールドに馴染んでたわけですが、『鬼太郎』って何気に「アニメ化された回数ナンバーワンのマンガ」じゃないですかね?
僕がリアルタイムで観ていたのは80年代後半ですけど、それ以前に作られたのもありますし、最近も絵柄を現代風にアレンジして、猫娘を萌えキャラにしたやつが放送されてたでしょ。それだけ普遍性が高い作品ということなのかもしれません。
今は水木しげるロードみたいな場所もあるし、水木ワールドは僕らの生活のいたるところに、それこそ妖怪のように潜んでいると言えるでしょう。
妖怪は死なない・・・。だからしげーさんも亡くなったけど生きてるんです。そうですよね!


ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、および雑感。
15日に博多どんたくのパレード中止が決定しました。どんたくは福岡の3大祭りのひとつで、去年は開催が中止になっています(3大祭りのあと2つ、山笠と放生会も去年は中止)。今年はパレードのみ中止。どんたくはパレードがメインのお祭りなのですが、町中のいたるところにステージが設営されて、ダンスやらコンサートやらも披露されるのです。
なので、いちおう祭りそのものは開催される、という方向で話が進んでいるのですが、どんたくってパレードが9割なんですよね。パレードがないとなると、見に行きたいって思う人ほとんどいないんじゃないかな、って気がします。また、状況の推移次第では祭りそのものの中止もあり得るとのこと。
去年の今頃にコロナが拡がり始め、様々なイベントが中止に追いやられていきましたが、2年連続中止になるのか、それとも今年は開催されるのかが、これから決まりだすでしょうね。センバツ高校野球は本日無事にプレイボール。

18日、1都3県の緊急事態宣言を再々延長(再々々だっけ?)はせず、予定通り21日までで解除と決定されました。東京に限って見てみると、2~3週間くらい前から1日あたりの感染者数が100~300人台で推移しており(17日に400を超えましたが)、「下げ止まっている」と言われています。「下げ止まり」という言葉は、基本的に「もっと下げることはできないのか」という訴えがなされる文脈で用いられており、「もっと規制を設けるべき」とか、「まだまだ緊急事態宣言を解除すべきでない」などといった意見表明とセットになっているのが常。
ですが、東京都の人口は約1395万人(日中は他県からの流入でもっと増える)。朝夕は殺人的に電車が満員になり、地方の人間の目にはお祭りやってるのかというくらい街路に人があふれるほどの過剰な人口密度を誇る東京で、1日の感染者が100~300人程度ですんでいるというのは、だいぶ上出来と言えるのではないでしょうか。
また、観光地や商業地に人がくり出しているさまを、「気の緩み」や「自粛慣れ」などと批判的に言上げする言説もありますが、お出かけしている人たちには、飲食店や観光業に携わる方々を支援したいという「惻隠の情」もあるはずです。ではなぜ一般の人たちがお金を落とす形の支援が必要なのかと言えば、自治体による補償が不充分だからで、結局は補償金・協力金などの手当てが足りないせいだ・・・という結論にたどり着きます。
同じ発言を何度も繰り返してますけど、事実だからしょうがありません。

最近コロナにかんして「サーキットブレーカー」という言葉が使われだしてます。分科会の尾身茂会長が発動の必要性を訴えているもので、もともとの用語の意味は「電気の使用量が増えたときにブレーカーが落ちて出火を抑える仕組み」のことだそうです。よーするに、感染者が増加したら、その都度適切な対策を、会議なんかの手続きをすっ飛ばして、ブレーカーがガチャンと落ちるように素早く実行しましょう、ということなのだそうです。
この言葉を聞いたとき、「そういやオーバーシュートって言葉もあったなぁ。コロナに関連して、クラスターとオーバーシュートって横文字が出てきたけど、定着したのはクラスターだけだったなぁ。サーキットブレーカーは残るのかなぁ」なんて考えちゃいました。