江戸時代の後期に、仙厓なる禅僧がいた。
1750年(寛延三年)、美濃国(岐阜県)の農家に生まれ、11歳で得度。39歳の時に博多の聖福寺に呼ばれて当地に移り住み、以後没するまで、「博多仙厓さん」の名で親しまれた。
この仙厓、多くの書画を残しており、その評価も高いのだが、中でも代表作とされるのが「〇△□画」である。
これは、〇と△と□の図形が描いてあるだけ、という、極めてシンプルな絵である。横並びに描かれており、右から〇、△、□の順で、それぞれ少しずつ重なり合っている。そして、墨の濃度が、左に行くほど薄くなっている。
実に不思議な絵だ。
小生などは、初めて見た時に、「なにこれ、ダダイズム?」などと思ったものだ。
これには、如何な意味が込められているのか。仙厓自身は、この絵に何の解説も行っておらず、これまでに様々な評論がなされてきた。中でも一番多いのが、仏教、特に真言密教の観点からの解釈で、〇というのが、人の心の理想の有り様で、△と□は、それに至る以前の段階を表している、というものだ。
〇、すなわち円というのは、多くの宗教において、完全性の象徴とされており、特に重要な概念と見られがちであるらしいのだが、仏教においても、真理や、宇宙を表すものとして、「円相図」の名で、古くは室町時代から描かれてきたそうだ。
ところで、円といえば、現在の日本の通貨の単位である。
経済学の教科書的説明では、貨幣の誕生のいきさつを、次のように述べている。
昔々、人々は欲しい物を手に入れるために、物々交換を行っていました。しかしそれだと、自分の持っている物と、相手の持っている物が、お互い欲しい物でなければ、交換が成立せず、なかなかそのような一致は見られない。
そこで、貨幣という、他のどんな物とでも交換できる物が発明された。
これなら、物同士ではなく、物と貨幣を交換すればいい。しかも貨幣は食べ物などと違って、腐ったりしないので、いつでも自分の欲しい物と交換することができる。
これにて人類は利便性を手に入れました。めでたしめでたし……。
ということなのだが、文芸評論家の三浦雅士によれば、これは事実とは違い、もともと貨幣というのは、呪術の道具として用いられており、それが後に、交換に使ったら便利なんじゃねえの、って発想で、経済に取り入れられたのだという。
呪術、つまり宗教に起源を持つ物が、宗教上の概念として深い意味を持つ「円」の名で呼ばれている、というのは、成程、理の当然であろう。
話を戻す。
「〇△□画」は、他にも多様な解釈があるようだが、小生の見立ては、それらとは異なる。
小生は、仙厓自身は、この絵に何の意味も込めていないのではないか、と思う。
自分のような仏教者が、こういった思わせぶりな絵を書けば、周りがあれこれその意味を考えて騒ぐだろう。そんな騒ぎを、意図的に起こしてやろう。皆をちょっとからかってやろう。そう企んで、この絵を描いたのではないだろうか。
仙厓の絵は、当時から評判が高く、揮毫の依頼が引きも切らなかった。仙厓は、求められるまま絵を量産していたのだが、その度に「この絵にはどんな意味があるのか」と、尋ねられていたと推測する。多くの依頼に辟易した仙厓は、ついに「絶筆の碑」を建てるに至るのだが、絵を求められる鬱陶しさのみならず、その意味を尋ねられる鬱陶しさも感じていたのではないだろうか。(ちなみに、「絶筆の碑」を建てた後もなお、書き続けていたらしい)
現代においてなお、と言うより、現代の方がより強く、芸術におけるメッセージは重要視される。
絵画のみならず、小説、詩、音楽、映画、演劇、それからマンガにおいても「この作品を通じて訴えたいことは何か」という質問がなされる。これに対する答えとして、「言葉で説明できるのであれば、わざわざ作品を創ったりしない」という、肩透かしな典型があるが、いちいち「作品のメッセージ」を尋ねられる鬱陶しさを、多くの表現者は感じているのではないだろうか。もっとはっきりと「意味なんか何もない」と言い切る人もいるしね。
デザイナーとしても活躍している、芸術家のシェパード・フェアリーは、デザイン学校在学中の1989年に、プロレスラーのアンドレ・ザ・ジャイアントのイラストに「OBEY」(従え)という文字を添えた、ステッカーやポスターを、街中のいたる所に匿名で貼り出した。当時、路上におけるグラフィックアートといえば、スプレーを使って描かれるのが主流であったため、ステッカーは斬新な形式として映り、人々の注目を集めることになる。
「OBEY」とはどういうことか、なぜアンドレのイラストなのか。イラストと文字はどう結びつくのか。その解釈を巡って、喧々諤々の議論が交わされた。
だが、フェアリー自身は、この絵に何の意味も込めてはいなかった。
「OBEY」はイラストに添えられた単語に過ぎず(のちにフェアリーの活動名となる)、アンドレを起用したのも、ただ適当に選んだだけだった。
いかにもメッセージが込められていそうな物を目にすれば、人はそれを気にせずにはいられないだろう。その意味を、あれこれ解釈せずにはいられないだろう。そのような人の習性を見越して、フェアリーは、自身は何の意味も込めずに、確信犯的に作品を公開したのだ。
ねらいは見事的中し、このパフォーマンスを足がかりとして、フェアリーは芸術家としてのキャリアを築いてゆく。
仙厓は、「絵に込められた意味」を、いちいち尋ねられることに、ウンザリしていたのではないか。
「意味がどうとか、そんなめんどくさいこと考えないで、絵そのものを味わってよ」
そう言いたかったのではないだろうか。(「指月布袋画賛」なんか、理屈をつけるのが小賢しくなるくらい伸びやかだもんな)
すでに同じ主張をしている人がいるかもしれないが、小生の解釈は、仙厓は「〇△□画」に何の意味も込めていない、です。
オススメ関連本・酒井健『ゴシックとは何か――大聖堂の精神史』ちくま学芸文庫
1750年(寛延三年)、美濃国(岐阜県)の農家に生まれ、11歳で得度。39歳の時に博多の聖福寺に呼ばれて当地に移り住み、以後没するまで、「博多仙厓さん」の名で親しまれた。
この仙厓、多くの書画を残しており、その評価も高いのだが、中でも代表作とされるのが「〇△□画」である。
これは、〇と△と□の図形が描いてあるだけ、という、極めてシンプルな絵である。横並びに描かれており、右から〇、△、□の順で、それぞれ少しずつ重なり合っている。そして、墨の濃度が、左に行くほど薄くなっている。
実に不思議な絵だ。
小生などは、初めて見た時に、「なにこれ、ダダイズム?」などと思ったものだ。
これには、如何な意味が込められているのか。仙厓自身は、この絵に何の解説も行っておらず、これまでに様々な評論がなされてきた。中でも一番多いのが、仏教、特に真言密教の観点からの解釈で、〇というのが、人の心の理想の有り様で、△と□は、それに至る以前の段階を表している、というものだ。
〇、すなわち円というのは、多くの宗教において、完全性の象徴とされており、特に重要な概念と見られがちであるらしいのだが、仏教においても、真理や、宇宙を表すものとして、「円相図」の名で、古くは室町時代から描かれてきたそうだ。
ところで、円といえば、現在の日本の通貨の単位である。
経済学の教科書的説明では、貨幣の誕生のいきさつを、次のように述べている。
昔々、人々は欲しい物を手に入れるために、物々交換を行っていました。しかしそれだと、自分の持っている物と、相手の持っている物が、お互い欲しい物でなければ、交換が成立せず、なかなかそのような一致は見られない。
そこで、貨幣という、他のどんな物とでも交換できる物が発明された。
これなら、物同士ではなく、物と貨幣を交換すればいい。しかも貨幣は食べ物などと違って、腐ったりしないので、いつでも自分の欲しい物と交換することができる。
これにて人類は利便性を手に入れました。めでたしめでたし……。
ということなのだが、文芸評論家の三浦雅士によれば、これは事実とは違い、もともと貨幣というのは、呪術の道具として用いられており、それが後に、交換に使ったら便利なんじゃねえの、って発想で、経済に取り入れられたのだという。
呪術、つまり宗教に起源を持つ物が、宗教上の概念として深い意味を持つ「円」の名で呼ばれている、というのは、成程、理の当然であろう。
話を戻す。
「〇△□画」は、他にも多様な解釈があるようだが、小生の見立ては、それらとは異なる。
小生は、仙厓自身は、この絵に何の意味も込めていないのではないか、と思う。
自分のような仏教者が、こういった思わせぶりな絵を書けば、周りがあれこれその意味を考えて騒ぐだろう。そんな騒ぎを、意図的に起こしてやろう。皆をちょっとからかってやろう。そう企んで、この絵を描いたのではないだろうか。
仙厓の絵は、当時から評判が高く、揮毫の依頼が引きも切らなかった。仙厓は、求められるまま絵を量産していたのだが、その度に「この絵にはどんな意味があるのか」と、尋ねられていたと推測する。多くの依頼に辟易した仙厓は、ついに「絶筆の碑」を建てるに至るのだが、絵を求められる鬱陶しさのみならず、その意味を尋ねられる鬱陶しさも感じていたのではないだろうか。(ちなみに、「絶筆の碑」を建てた後もなお、書き続けていたらしい)
現代においてなお、と言うより、現代の方がより強く、芸術におけるメッセージは重要視される。
絵画のみならず、小説、詩、音楽、映画、演劇、それからマンガにおいても「この作品を通じて訴えたいことは何か」という質問がなされる。これに対する答えとして、「言葉で説明できるのであれば、わざわざ作品を創ったりしない」という、肩透かしな典型があるが、いちいち「作品のメッセージ」を尋ねられる鬱陶しさを、多くの表現者は感じているのではないだろうか。もっとはっきりと「意味なんか何もない」と言い切る人もいるしね。
デザイナーとしても活躍している、芸術家のシェパード・フェアリーは、デザイン学校在学中の1989年に、プロレスラーのアンドレ・ザ・ジャイアントのイラストに「OBEY」(従え)という文字を添えた、ステッカーやポスターを、街中のいたる所に匿名で貼り出した。当時、路上におけるグラフィックアートといえば、スプレーを使って描かれるのが主流であったため、ステッカーは斬新な形式として映り、人々の注目を集めることになる。
「OBEY」とはどういうことか、なぜアンドレのイラストなのか。イラストと文字はどう結びつくのか。その解釈を巡って、喧々諤々の議論が交わされた。
だが、フェアリー自身は、この絵に何の意味も込めてはいなかった。
「OBEY」はイラストに添えられた単語に過ぎず(のちにフェアリーの活動名となる)、アンドレを起用したのも、ただ適当に選んだだけだった。
いかにもメッセージが込められていそうな物を目にすれば、人はそれを気にせずにはいられないだろう。その意味を、あれこれ解釈せずにはいられないだろう。そのような人の習性を見越して、フェアリーは、自身は何の意味も込めずに、確信犯的に作品を公開したのだ。
ねらいは見事的中し、このパフォーマンスを足がかりとして、フェアリーは芸術家としてのキャリアを築いてゆく。
仙厓は、「絵に込められた意味」を、いちいち尋ねられることに、ウンザリしていたのではないか。
「意味がどうとか、そんなめんどくさいこと考えないで、絵そのものを味わってよ」
そう言いたかったのではないだろうか。(「指月布袋画賛」なんか、理屈をつけるのが小賢しくなるくらい伸びやかだもんな)
すでに同じ主張をしている人がいるかもしれないが、小生の解釈は、仙厓は「〇△□画」に何の意味も込めていない、です。
オススメ関連本・酒井健『ゴシックとは何か――大聖堂の精神史』ちくま学芸文庫
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