徳丸無明のブログ

雑文、マンガ、イラスト、その他

コカ・コーラ ドクターペッパー

2020-12-18 22:45:04 | 
タイトルまぎらわしいんですけど、コカ・コーラが製造者名でドクターペッパーが商品名です。




なんかクセになる味ドクターペッパー。よく薬っぽいって言われますけど、コーラも日本に入ってきたばかりのころは薬みたいって言われてましたし、たしか滋養強壮の飲み物という扱いじゃありませんでしたっけ。
本日は第20回私が好きなマンガの話。今回取り上げるのは三笠山出月の『蔵出しうめぼしの謎 完全版』(全1巻・大都社)です。
これは今は無き月刊少年ギャグ王で連載されていた4コマで・・・知ってます?ギャグ王。エニックスが出してたマンガ雑誌です。
三笠山さんは当時高校生。「夏休みがあまりにも暇だったから」という理由で描いたマンガを投稿したのをきっかけに連載を持つことになったのですが、学生生活と並行しての執筆が大変だったのか、それとも本人の性格のためか、つねに締め切りギリギリで原稿を仕上げていて、それを作品のネタにもしています。作者自身と担当編集者とのやり取りも描かれているのが見どころのひとつ。
TVゲームの「超兄貴」のファンだったようで、作中にはしょっちゅうマッチョマンが出てきます。また、欄外に近況報告やらエッセイ的な文章を綴っており、読者によってはそちらのほうが面白いという人もいました。作者の海外旅行記もマンガ化されています。
しかし何より注目すべきは、実験的なネタが数多く描かれているということ。ネタバレになるので説明はしませんが、思わず「そうきたか!」と膝を打つ秀逸な発想のネタが盛りだくさんなんですね。この点だけで本作を4コマ史に残る傑作と評することができます。
連載時に単行本が2巻まで出てましたが、そちらはもう絶版なうえ、連載2本分ほどが未収録になってたんですね。それが、連載終了後も根強い人気を保ち続け、再出版の要望が多く聞かれたらしく、大都社から完全版として復刻されるとこになったのです。『うめぼしの謎』、略して『うめ謎』は、僕を含めた一部の人たちに熱狂的に支持されていたのです。
この完全版は、単行本未収録ぶんと、本書のための描き下ろしを収録した、ファン待望のマスターピースになっています。
三笠山さんは本作のあとはマンガを発表しておらず、現時点では『うめ謎』一本の作家さんで、おそらく現在は普通に働いていらっしゃるはずです。もう描かれることはないのでしょうかね・・・。
しかし一作品だけにせよ及ぼしたインパクトは絶大で、それだけで凡百のマンガ家とは一線を画していると言えるでしょう。ウィキペディアにもけっこうな文章量の説明が載っているのですが、一作品しか描いてない作家にしては不釣り合いなボリュームがその影響力を示しています。


ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、および雑感。
福岡では12日に「福岡コロナ警報」が発動しました。10月8日に解除されて以降2度目の、県独自の警報です。ただ実感としては、マスク未着用者の割合は微増してるんですけどね。

すっかり定着した感のあるウーバーイーツ。ある程度人口の多い土地に住んでないと馴染みないかもしれませんけど、福岡市内ではもう風景の一部と化しています。
日本にウーバーが入ってきたのは、コロナが流行るちょっと前だったと思いますけど、コロナを追い風として大きく伸張しました。もしコロナがなかったら、ここまでメジャーにはなってなかったでしょうね。
最近では「ウーバー地蔵」という言葉があるそうです。ウーバーイーツの配達員が、頻繁に出前注文が発生する店の前に、注文が入るまで居座る行為を指すのだそうです。僕はウーバーのシステムよくわかんないんですけど、お店の近くにいるほど仕事取りやすくなるということらしいです。じっと座って動かないその様を「地蔵」と呼んでいるのですね。
近所のマクドナルドの隣にちょっとした広場があるんですけど、そこにウーバーの人たちがしょっちゅうたむろしてて、僕はてっきりちょうどいい休憩場所だからそこにいるのかなって思ってたんですけど、その人たちはマックの注文を狙っていたんですね。
皆さんもウーバー地蔵を探してみてください。地蔵のいる場所は出前注文の件数が多いお店だということがわかるはずです。

たまにコンビニの手動のドアが開きっぱなしになってることがありますよね。ちゃんと閉めずに出ていく人がいたりしてね。
そんな時には閉めてあげるんですよ。僕は親切ですからね、ええ。今は特に寒いし、店内が冷え込んじゃいますからね。
でもね、これコロナ対策として店員さんがわざと開けてる場合もあるみたいなんですよ。寒くても、換気が大事ということでね。
とあるコンビニでドアを閉めて入店したら、出ていくときにまた開いてたんです。その店はその後も、訪れるたびにドアが開いていたので、ああそうか、あえて開けてるのかと気づいたのです。親切も難しい時代ですよ。

リスカ スーパーBIGチョコ

2020-12-11 23:07:35 | 
今日はリスカのスーパーBIGチョコです。ほんとにビッグなので画像を2分割。






本日は第19回私が好きなマンガの話。今回取り上げるのは喜国雅彦の『傷だらけの天使たち』(全3巻・小学館)です。
今は無きヤングサンデーで連載されていた4コマ漫画。個人的には商業誌の4コマの中で一番面白いマンガだと思っています。喜国さん(「ヨシクニ」ではなく「キクニ」と読みます)は『月光の囁き』の評価のほうが高いのかもしれませんけど、僕はやっぱり『傷天』ですね。
基本的に1話(1本)完結だけどシリーズものもいくつかあって、貧しい親子、一見爽やかだけど実は変態の高校生カップル、砂漠をさまよう冒険家、007的な人たち、ホモっ気のある柔道部キャプテンなどが主要メンバーで、たまに作者自身も登場します。言葉で説明しても面白さは伝わらないだろうからとにかく読んでほしいんですけど、A5版のコミックスはとっくの昔に絶版のはずで、文庫版ならまだ入手しやすいかと思いますが、いずれにせよもう中古じゃないと買えないかも・・・。
いやね、すごいんですよこの作品は。言ってしまえばバカバカしいギャグ、くだらない下ネタのオンパレードなんですけど、人間の悲しさや世の理不尽さなんかも笑いに昇華されていて、手塚治虫の『火の鳥』にも通じる深遠な哲学が込められてるんです。いや、喜国さんが意図的にそういう作品に仕立てたわけではないんでしょうけど、読む人が読んだらいくらでも深い哲学をくみ取ることができるマンガなんですよ。少なくとも僕はそう感じました。
今はマンガの自主規制も厳しいからこういうギャグはもう出てこないでしょうね。なのでたぶん「日本一面白い4コマ」という自主評価は揺らぐことはないでしょう。たぶん。
喜国さんは古本とミステリーがお好きで、その嗜好をもとにしたエッセイ「本棚探偵」シリーズもありまして、近年ではマンガ以外の活動のほうに重点を置かれているようです。
あとこの記事を書くにあたって調べてみたんですけど、『日本一の男の魂』って19巻まで出ていたんですね。ヤングサンデーの休刊にともなって連載終了になった作品なので、ヤンサンがなくなってなければどこまで続いていたのか・・・。喜国さんのその後の作家人生も違ったものになっていたかもしれません。


ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、ではなく雑感。
8日からイギリスで一般のワクチン接種が始まりました。デイリーミラー紙には「今日から私たちの反撃が始まる」という、『進撃の巨人』みたいな見出しが躍っていました。日本にしたら、イギリスで副作用が起きるかどうか様子を見ることで、ファイザー社のワクチンが大丈夫か確認できる形になります。それがいいことなのかどうなのか・・・。

人類共通の危機と言われている新型コロナ。21世紀初のパンデミックは、グローバル化のために地球をくまなく覆いつくし、どの国も他人事ではなくなっています。
しかし、これは本当に危機なのでしょうか。視点を変えてみると、必ずしもそうとは言えないかもしれません。
現在、世界人口はかつてないほど増加しています。先進諸国をはじめとして、少子化の流れが生まれてはいますが、それでもしばらくの間は増加傾向が続くそうで、今世紀の中頃にピークを迎えると予測されています。一説によると97億人ほどになるとのこと。
その2050年ごろには、深刻な食糧不足が起きるという予測もあります。水資源も不足し、世界中で争奪戦が起きると見込まれているのです。「2050年問題」です。
このまま人類が繁栄を謳歌していけば(もちろん局所的には紛争やテロや災害などがあるわけですが)、飢饉やら、食料争奪をきっかけとした戦争やらが起きるかもしれないのです。しかし、コロナによって人口の増加が抑えられれば、2050年に訪れるであろう過剰人口による諸々の悲劇を回避できるかもしれない。完全な回避とまではいかなくても、いくらか緩和することはできるでしょう。
つまり視点を変えてみると、「コロナという悲劇」によって、「2050年の悲劇」を低減させている、というふうに考えられるのです。ひょっとしたら、「コロナの悲劇」よりも「2050年の悲劇」のほうがずっと大きいのかもしれない。だとすると、小さな悲劇によって大きな悲劇を打ち消してるということになる。
もし仮に「2050年の悲劇」が、人類に破局をもたらしかねないほど深刻なものだとすれば、コロナのお陰で破局を回避できるということになる。
断っておきますが、僕は「2050年問題を緩和させてくれるからコロナが発生してよかった」とか、「コロナなんて2050年問題に比べたら大したことない」などと言いたいのではありません。現在から2050年までの長期的な流れで見た場合、コロナのとらえ方も変わってくるのではないか、ということです。2050年の時点で現在を振り返ったら、コロナがあったから結果的に破局を回避できたね、と考えられるようになるかもしれない、という推測の話をしているのです。
ただ、塞翁が馬という言葉を安易に使うべきではないでしょう。現時点では、まだはっきりしたことは言えないのです。コロナの被害はどれほどのものになるのか。2050年ごろに起きる食料不足などの諸問題は、人類の努力によっては克服することができず、戦争を帰結してしまうのか。今の段階では、確定的なことは何も言えません。
ただ、あとになってコロナの評価が変わるかもしれない、ということは言えます。「あのときコロナが流行ってくれたお陰で食糧不足がほどほどで済んだ、今となってはコロナ様々だ」というふうに、人々が語り合う日がくるかもしれない。
そういうふうに、想像の未来から今この時を眺めてみるのも、知恵を働かせるためのトレーニングとして、悪くない試みではないでしょうか。

UHA味覚糖 コロッケのまんま

2020-12-05 21:49:01 | 
今日はUHA味覚糖のコロッケのまんまです。




ほんとにコロッケそのまんまってかんじ。甘めのコロッケですね。でもこれだけそのまんまだと、もはや普通にコロッケ食べればいいじゃん、って気がしなくもないです。
前回うどんの話をしたので今回はラーメンです。以前夏期限定の草刈りの仕事をしたことがありまして、そのときに同じバイトとして来ていたおじさんがいたんですね。仕事の合間にちょこちょこおしゃべりしてたんですけど、その人が「某有名店のラーメンを食べると、30分後に目がチカチカしてくる」って話をしてたんです。
そのお店は九州じゃ有名な、チェーン展開してるラーメン屋さんでして、僕はそんな症状が出るんなら食べなきゃいいんじゃねえかって思ったんですけど、現代日本の食文化ってのは、もうそういうふうになっちゃってるんじゃないでしょうか。
ラーメンと言えばほかにも、とあるラーメン屋で、客が「カチョウ抜きで」って注文したら、店員が「いいけど、美味しくないよ」と答えた、という話も聞いたことがあります。カチョウってのは化学調味料のことですね。ラーメンは化学調味料が大量に入っている食べ物だと言われています。
目がチカチカしてしまうのも、化学調味料の影響なのでしょう。ラーメンの味は、ダシでも麺でも具材でもなく、化学調味料で決まってくる。そして、おそらくそれはラーメンだけの問題ではない。多かれ少なかれほかの食べ物にも化学調味料は投入されており、それによって味が決定してくる。それが我々が日々享受している食文化なのです。
僕自身はラーメンあんまり好きじゃなくて、ラーメンの激戦区博多に住んでいながらラーメンを食べることはほとんどないのです。ある意味、ラーメン好きじゃなくてよかったな、って思うんですよ。それはもちろん化学調味料を体に取り込む機会が少なくて済んでいる、というのもありますし、名店のあそこに行きたいとか、新しくオープンしたあの店をチェックしてとか、ラーメンを考えることに忙殺されずに済んでいる、ということでもあります。

ちなみにその目がチカチカしてたおじさんですけど、以前このカテゴリーで猫の話したとき(「セブンプレミアム まるでキウイを冷凍したような食感のアイスバー・まるで完熟白桃を冷凍したような食感のアイスバー」2019・11・21)に、「車の中にいつの間にか蜂が入り込んでいて、驚いて交通事故を起こしそうになった」っていうエピソードを紹介したおじさんと同一人物なのです。当時69歳で、草刈りの仕事の前にはデリバリーヘルスのドライバーをやっていたそうです。
そのおじさんなのですが、途中で仕事に来なくなりました。ある日連絡なく仕事を休み、会社の人が電話しても出ず、そのまま来なくなったのです。働いてもらったぶんの給料の支払いがあるので、会社から何度も連絡入れたそうなんですけど、とうとう音沙汰なしだったそうです。
いい歳こいたおじさんが、まるで高校生バイトのように仕事すっぽかして連絡無視するとは・・・というややあきれてしまう話ですが、ひょっとしたら仕事が嫌で来なくなったのではなく、体調崩して倒れたとか、死んでしまったとかいうことなのかもしれませんけども。
その草刈りの仕事は、とにかくハードだったのです。クソ暑い真夏に、直射日光を遮るもののない平場で、草刈り機を振り回したり刈った草をかき集めたりの重労働。当時30くらいだった僕ですら相当しんどかったのですから、じき70になろうというおじさんの体がおかしくなってしまったとしても、不思議はありません。
そのおじさんは蛇が苦手だったんですけど、とある現場には蛇がけっこういて、何度も悲鳴を上げていました。蛇が嫌で来なくなった可能性もあります。
今もまだ生きていらっしゃるのか・・・。案外カチョウたっぷりのラーメン週1で食べながらピンピンしてらっしゃるかもしれません。


ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、ではなく雑感。
すっかりマスク着用が常識となった昨今。思い出すのが、3年くらい前にニッチェがやってたコント(もしかしたらおかずクラブだったかもしれません)。母親が娘から交際相手を紹介されるんですけど、相手は見た目もよく、立派な仕事に就いていて、性格も申し分ない。しかし黒マスクをしており、母親は「黒マスクしてるのはちょっとねえ」と、苦言を呈するのです。
まだ黒マスクが世に出回り始めたばかりで、着用してる人が珍しかった時期だからこそ成立してたネタなんですね。黒マスクは胡散臭い、と。今はもう黒マスク珍しくもなんともないから、このコントを面白いとは感じられないでしょう。黒マスクが人々になじむ前の、過渡期であることをアテにした、期間限定のネタだったわけですね。

今更の疑問なんですけど、コロナの終息ってどう判断するんでしょうね?状況がどうなれば終息と判断されるのか、何をもって終息とするのか、ってことですけど、この点については誰も何も言ってないんじゃないでしょうか。WHOや医師会は何か言ってましたっけ?聞いたことある人いましたら教えてください。
コロナウイルス自体はなくなることはないでしょうから、人間の側がどうするかの問題ですよね。
感染経験者以外の国民全員がワクチンを接種すれば終息なのでしょうか。でも抗体を獲得したとしても、時間が経てば抗体が減少することもあって、そうすっと感染する確率が高まるという話を聞きました。だとすると、ワクチン1回打ったらおしまいじゃなく、定期的に打ち続けなければならない、ということでしょうか。
コロナから回復した人の約98パーセントに、中和抗体が半年後も残っているとの発表が2日にありました。横浜市立大学などの研究チームによると、軽症・無症状の人は97パーセント、中等症・重症の人は100パーセントだとのこと。しかし1年後、2年後にはどうなるか・・・。
ウイルスが変容する可能性も大いにあって、実際すでにそれは起こっているらしいのですが、変容の程度が大きければそれに応じて新しいワクチン開発しなくちゃならなくなりますよね。
そうすっと、コロナとワクチンのいたちごっこが半永久的に続くのみで、明確な終息というのは来ないのではないかという気も・・・。
あるいは、感染とワクチン接種が行き渡ったら、強めのインフルエンザみたいな扱いになるのでしょうか。どう思います?