猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

宗教や信仰は無前提に素晴らしいものではない、統一教会の居直った記者会見

2022-09-25 22:20:23 | 宗教

数日前、統一教会(世界平和統一家庭連合)が、「日本国政府、そして国会議員の皆様に、大変なご迷惑をおかけしましたことを心からお詫び申し上げます」と記者会見を開いた。

記者会見で、献金で生活苦に巻き込まれた家族に謝罪せず、「日本国」政府と国会議員に迷惑をかけたと謝罪することから、感覚がおかしい。

さらに、統一教会の改革本部長は言う。

「献金というものは、信徒さんが神様に出会って、そして神から愛されているという実感を通して、喜びと希望を持って、その感謝の表れとして捧げるものであります。」「宗教に対する献金は尊いものであり、聖なるものであります。」

疑問は、感謝である献金を誰にささげるのか、ということである。

「世界のためにという考え方をもっております」「私達は国際共産主義の脅威というものを、非常に深刻に考えております」「世界本部等にまず送って、世界本部から全世界の統一運動についてどのような予算をつけるか、ということをやっております。」「教理を広めるというのは宗教にとってはとっても大事な使命になります」

統一教会は宗教と名乗っているだけで、献金を集めて、勝共という名目で、世界で事業展開する団体のように見えてくる。献金というのは、普通、貧しい人々への施しに使われるはずのものだが、統一教会の場合は、ワシントン・タイムズ(ウィキペディア参照)など保守系言論の場をつくったり、世界の有名人、政治家と付き合いをもつために、使われている。それが、「教理を広める」に役立ち、献金する信徒を集めるに役立っている。本質的に、統一教会はお金を集めるための組織でないか。

「宗教団体が自分の政治信条を主張することは何ら問題ないはず」「霊感商法が今でも行われているかのような報道、そしてそれを主導していると思える左翼弁護士の方々、そういった方々の影響が多分にこの日本国民の皆様をミスリードしてるんじゃないか」

反共産主義を掲げることで、トランプ元米大統領に食い込んできたのではないか。岸信介や安倍晋太郎は統一教会を利用してきたが、安倍晋三は統一教会を利用したというより、統一教会の力を伸ばすのに、尽力していたのではないか、と思う。安倍晋三は、安倍派を形成するのに、統一教会の選挙支援を使ってきたが、それによって、議員と統一教会との関係を広げた。

私は宗教や信仰自体に敬意を払わない。「信仰」とは誰かを疑わずに忠誠を誓うことになる。ある人にとっては、自我を捨てて、自分の意見や意思を持たないことは、楽で平和を感ずるかもしれない。しかし、普通の脳をもっているにもかかわらず、自分で物事を考えず、神や教祖様にすがる人は はた迷惑である。

宗教を信じなくても他人に優しくできる。献金するくらいなら、直接、困ってっている人のために使うべきである。私は、宗教団体だけでなく、慈善団体も信頼しない。

私の高校時代の同級生に神の声を聴くことができると言うプロテスタントの女の子がいたが、子どもと大学の職をもったにもかかわらず、自殺した。神など、存在しない。組織は信用しない。


異質なものを排斥する社会と「宗教2世」問題

2022-09-14 23:48:41 | 宗教

きょうのTBS『報道1930』で、統一教会の2世問題を論じていた。もっと一般化させた形で、約3週間前、NHK『時事公論』で「旧統一教会と“宗教2世”問題」の解説をしていた。

「宗教2世」とは「特定の信仰・信念を持つ親・家族とその宗教的集団の元で、その教えの影響を受けて育った子ども世代」のことを言うらしい。

「宗教2世」の問題は、幼い時から親に繰り返し教え込まれ、学校でも孤立してしまう。親を信じる・あるいは信じるふりをしないと生きていけない。自治体の窓口に助けを求めても、「行政は宗教問題には介入できない」と言われたり、「家族のことはまず家族で話し合って」と言われたりする。そういう問題だという。

NHK解説委員は「親が自分の意志で特定の宗教を信じるのは自由だが、それは、子供を抑圧する理由にはなりません。信教の自由があるからこそ、『宗教2世』問題への支援が必要だ」と結論づけた。

この問題を、宗教に限定せずに考えてみたい。

私は若いとき妻子を連れて海を渡った。日本に研究の職がなかったからである。私には研究者としての誇りがある。ボスとなった教授にはずいぶん気を使ってもらった。いっぽう、妻にとっては、これまでの誇りを失う。周りの女の人はみんな自分より背が高い。日本にいたとき美人だとちやほやされていたが、周りの女の人のほうが美人に見えてしまう。4年して日本に戻ったとき、5歳になった息子は、アジア人がテレビでヒーロー役をやるとびっくりしてしていた。

個人にとって何を良しとするか、何を誇りとするかの価値観は、家族のあいだで異なるのだ。

そのとき知り合った日本人の大学教授の場合は、勤務先の大学内の争いに嫌気がさして海を渡ってきた。小学校高学年の男の子がいたが、こちらの学校では数学などが日本よりゆったりと教えられるので、天才児童と見なされた。しかし、その子は、どうも、ずっと天才でいることができず、本人にとって、周りと顔や姿が違うということのほうが、重く感ずるようになり、父親ともなじめず、金儲けを人生の目的としたが、それにも成功せず、カルフォニアのどこかで自殺してしまった。

子どもは、価値観の違う親に自分は振り回されたと感じるようだ。自分は普通で良い、みんなと同じでいたかったと思うようである。

さらに深刻なのは、親が社会活動に参加した場合である。親がみんなを幸せにしたいと願った場合、当然、権力者から弾圧される。たとえば、会社内の不正を見つけて告発しようものなら、即座に嫌がらせを受ける。給料が減る。首にされるか、やめたくなるようにいじめられる。一家は貧乏になる。バカな父親が社会に歯向かうからこんなことになる。クソ親父は死ねということになる。

人間は理想をもってはいけないのか。理想をもつと、家族がどうして物質的に不幸にならなければいけないのか。社会は理想をもつ人間を、本当は、必要としているのではないか。

最後に、もう一つ、事例を加えよう。ユダヤ人の男は、生後8日目まで、ペニスの包皮を切り落とすこと(割礼)になっている。包皮が切り落とされるのは本人の意思ではない。しかし、ナチスが男のズボンをずりさげ、割礼の痕を見つけたら、強制収容所にいれ、殺した。割礼を施した親が悪いのか、殺すナチスが悪いのか。私はナチスが悪いと考える。

社会活動家の子どもや移民の子どもや統一教会の子どもやエホバの会の子どもや創価学会の子どもをいじめる世間も悪いと、私は言いたい。

その上で、家族のあいだでは、価値観の違いについて理解し合い、互いに寛容であればよいと私は思う。

【補足】

私は安倍晋三を極悪人だと思っているから、「国葬」には反対である。


「信教の自由」は個人の権利であって団体の権利ではない

2022-09-01 23:48:06 | 宗教

私自身は宗教に特別の敬意を払わない。教養として宗教に興味をいだくことがあるだけである。現在、ヘブライ語聖書のために、その単語の辞書を作っている。自分が生きているうちに完成すると思わないが、悪くない趣味だと思っている。

私は、今回の統一教会事件を受けて、「宗教法人」について、その資格を規制する必要があると思うようになった。さもないと、詐欺集団が宗教法人を装って、犯罪行為をする可能性がでてくる。

じっさいに起きた宗教法人の名称変更の問題を取り上げてみよう。

統一教会は、霊感商法で社会から非難されたので、その名前を変えようとしていた。全国霊感商法対策弁護士連絡会は、統一教会が関係する霊感商法や献金の強要などのトラブルが相次いでいるとして、名称変更を認めないように文化庁に繰り返し求めていた。下村博文が文科省の大臣のときに問題が起きた。2015年3月にも連絡会は名称変更を認めないよう申し入れた。統一教会が2015年6月に名称変更を申請し、文化庁は8月に認証した。

「信教の自由」があるから、申請があれば認証するしかないというのが、下村の言い分である。

日本国憲法の「信教の自由」は個人について保証したものである。日本国憲法第20条は「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」とある。

「何人」は個人である。「宗教団体」には、政府が肩入れしてはいけないのである。法律学者は「宗教法人」は「法人」がつくから人格をもった個人として扱うのだと言い張るかもしれない。それなら、「宗教法人」の対象となるものを厳しく規制したら、いいのではないか。

「宗教法人」が認可されるには、団体の入会、脱会の自由が保障されていること、献金や奉仕活動が強要されないこと、団体の収支(入金・出費)が定期的に公開されることなどを条件とすべきである。これに違反した場合や他の刑法に違反し有罪になった場合は、「宗教法人」の認証を取り消す。また、脱会の実力阻止行為や、献金や奉仕の強要や、虚偽の収支報告に関しては、実行犯に刑罰を与えるべきである。

「信教の自由」はあくまで個人を基本にすべきである。


信教の自由を盾に統一教会との関係を居直る自民党議員

2022-08-03 22:53:25 | 宗教

自民党議員が「統一教会」との関係を問われると、やたらと「信教の自由」を盾に、関係をもっていけないという確定判例がない限り、悪くない、と居直るケースが、いま、多く見られる。あまりにもそれがひどいので、ここでは、「信教の自由」について私の考えを述べる。

日本国憲法 第20条 「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
○2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
○3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

憲法では、明らかに「信教の自由」は国家権力との関係において規定されている。自民党は政権与党であるから、政治上の権力を行使できる立場にあり、特定の宗教団体との関係には自己抑制が求められる。居直るより、「信教」とは何か、「宗教」とは何かについてまじめに考えるべきである。宗教団体を、利用できる組織という考えはやめてほしい。

「信教の自由」とは「信仰の自由」「宗教的行為の自由」「宗教上の結社の自由」のことをいう。

信仰の自由:個人が自分の心の中で、特定の宗教的信仰をもち、あるいは、いかなる信仰ももたない自由をいう。

宗教的行為の自由:礼拝・祈祷その他の宗教上の儀式や式典を行い、それに参加する自由、また、それに全く参加しない自由である。

宗教上の結社の自由:宗教団体を組織する権利。ここに信者を勧誘する権利が含まれていると思う。

「信教の自由」とは、たくさんある「自由」の1つだし、宗教団体もたくさんある。したがって、他のひとの自由を侵害する「信教の自由」は許されない。別の言葉で言えば、ひとに迷惑をかける「信教の自由」は許されない。

心のなかで思うだけなら、「信仰の自由」は人の勝手で済む。しかし、それでも、思っていることを人は口にしてしまうので、家族の中に亀裂を生む。また、生活態度が変わるので、まわりは心配になる。

「宗教的行為の自由」は、宗教団体と関係なく、個人的行為でひとに迷惑をかけないなら「奇行」で済む。

宗教団体が介入してくると、個人の勝手で済まなくなる。家族からみると、洗脳されたのではないか、マインドコントロールされたのか、心配になる。

「洗脳」や「マインドコントロール」は学習によって本人の元々の意思と異なる行為をとるようになることをいう。「洗脳」は団体の「暴力」によって学習をさせることをいい、「マインドコントロール」は不安や同調圧力によって学習させることをいう。この「暴力や不安や同調圧力による学習」とは、犬やサルに芸を仕込むの同じである。宗教に限らず学校教育や矯正施設でも起きることである。

宗教団体は、税金で優遇されているが、収入支出の透明性が求められる。また、団体から抜ける自由が保障されていないといけない。現状では、宗教団体の法的規制がゆるい。

フランスでは、反セクト法で、カルト団体の10の特徴を規定し、解散、活動停止、事業所停止などの処置ができる。

1.精神の不安定化 (洗脳、マインドコントロール)
2.法外な金銭的要求 (多額の寄付金要求)
3.住み慣れた生活環境からの隔離 (監禁、出家など)
4.肉体的保全の損傷 (暴力:精神的暴力も含む)
5.子供の囲い込み (子供の洗脳教育)
6.反社会的な言説
7.公秩序の攪乱
8.裁判沙汰の多さ
9.従来の経済回路からの逸脱
10.公権力への浸透の試み.

1番、3番、4番、5番は「暴力や不安や同調圧力による学習」を行うことをカルト行為とみなしている。2番、8番、10番も迷惑行為で、統一教会で顕著に見られた行為である。信者といえども、宗教団体が何でもやっていいわけではない。信者の人権、自由を脅かしてはいけない。

したがって、統一教会はフランスの「反セクト法」の観点からみてカルトである。統一教会が政府与党の自民党に浸透したということは問題であり、反省して改めるべきである。

それを居直るとは、「統一教会」だけでなく、他のいろいろな怪しげな宗教団体とも関係をもっているからでないかと、私は疑っている。神道関係が怪しい。

信仰をもつことはいまだに良いことのように考える人もいるが、「信仰」は「懐疑」と逆の態度で、人間の理性の放棄を招く。人間は弱く、不安に取りつかれるが、信仰によって、不安から逃れるという態度では、カルト団体に騙されやすくなる。

「先祖の霊」とか「神さま」とか「原罪」とかいうものは、存在しない。私の高校から大学院まで同級生の女の子は、神様の声が聞こえるプロテスタントだったが、離婚して自殺をした。私は彼女を守ってやれかったことを悔やむ。

信者と指導者とに分かれる宗教団体、教祖さまが取り仕切る宗教団体は、組織が民主主義的でなく、個人の人権、自由が抑圧されるから、関係を持たないほうが無難だと思う。


安倍晋三の死は川崎市の学校に半旗を掲揚するようなことか

2022-07-31 22:14:54 | 宗教

きょうの朝日新聞(神奈川版)によれば、川崎市教育委員会が、安倍晋三の死去を受け、市立学校に半旗の掲揚を依頼していたという。教育委員会は「哀悼の意を表するためだった」と説明したという。

「半旗」とは、国旗をポールの頂点ではなく、半分の高さにかかげることらしい。昭和天皇が死んだときに、政府より各官庁、学校、企業等に対し協力を求める通知が出されたらしい。しかし、市の教育委員会が学校に依頼するとは、聞いたことがない。

一般に、人の死に「哀悼」を感ずること自体は悪いことではない。しかし、毎日、何千人もの日本人が死んでいるわけであるから、人が死ぬたびに、川崎市立学校に半旗をかかげるなんて、普通に考えれば、ありえない。安倍が川崎市の学校の恩人でもないのだから、市の教育委員会の判断で半旗を依頼するようなことではない。

私からみれば、悪人の安倍のために、なぜ、子どもたちの教育の場で半旗をかかげるのか、納得できない。私は、内心、安倍が死んでくれれば、と望んでいた。

安倍は「左翼をぶっ潰す」ことだけのために政治活動をしていた「闘う政治家」である。自民党が政権の座を失って甘い汁を吸えなくなったとき、自民党をまとめて政権の座に戻った男である。日本経済を回復すると言いながら、日本の経済力を地に落とした男である。秘密保護とか、共同軍事行動のための安保法制とか左翼を未然に逮捕できる共謀罪とか、強権国家の礎を築いた男である。

安倍はメディアに脅しをかけ、いっぽうで、メディア各社のトップと会食をもって、日本のメディアの右傾化を図ってきた。安倍の死でほころびが出てわかったことの1つは、安倍と統一教会の関係である。自民党議員と統一教会との関係である。安倍が死んだこの機会に、日本の政治のウミを吐き出すべきである。

統一教会では、韓国がアダム国家で日本がエバ国家で、悪魔と通じたエバはアダムに奉仕尽くさないといけないという異常な教義をもっている。統一教会が反共産主義だという一点で、笹川良一、岸信介が統一教会と結びついた。安倍が政権に返り咲いたとき、2014年、NHKはある宗教団体が安倍の心の支えとなったと特集で報じた。統一教会が霊感商法で悪評がたって新たな信徒獲得が難しくなったとき、2015年、安倍政権のもとで、統一教会は宗教法人の名称変更の認可を文科省から受けた。反共だからといって、安倍と統一教会の結びつきを正当化できるわけではない。

安倍の死で、教育の場に半旗を掲げるなんてもってのほかだ。

宇野重規は、安倍殺害を「民主主義への挑戦」だと言うが、そのまえに日本の民主主義は腐っていて、安倍が死なないと暴かれない闇の世界があったのだ。