猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

私の愛すべき子供たち、泣いていいんだよ

2021-05-25 09:33:59 | 愛すべき子どもたち

きのう、NPOで、私の教え子に泣かれた。
抱きしめてあげたかった。
涙と鼻水にぐちゃぐちゃになった顔をふいてあげたかった。

ばすのせいそうが大変なのです。あすは、せいそうの班のリーダにならないといけないのです。先生、泣いてもいいですか」

ばすのせいそう」は「風呂の掃除」のことか、と初め思ったが、乗り物のバスの内と外をマニュアルにしたがって班で清掃するのだという。ここ毎日、特別支援学校高等部で、1 限目から4 限目まで、ずっとバスを清掃しているらしい。

歌手の八代亜紀も最初に勤めたバスガイドの仕事で、毎日、バスの清掃をしていたという。しかし、時間はそんなに長くなかった。
学校で、どうして、毎日班で1台のバスを清掃していて、そんなに時間がかかるのだろうか。
時間がかかるようにマニュアルができているのではないだろうか。

しかられるのだろうかと聞くとそうでないと言う。しかし、泣いていけないと言われているという。耐えないといけないと言われているという。

泣くほどつらいのなら、「いじめ」の定義に該当し、横浜市の特別支援学校で公然と虐待が行われていることになる。

その女の子は、今年、中学を卒業し特別支援学校に入学してから、私がほめても「ありがとうございます」しか言わない子になった。私は、これは変だ、と思っていた。
学校は、雇用主に絶対服従しないと生きていけない、と教えているのだろうか。

横浜市の別の特別支援学校高等部の男の子も、入学してから「はいそうです」しか言わなくなった。「はいそうです」では会話にならない。

親から聞くと、職業訓練と称して、環境園芸では畑仕事、流通サービスでは清掃、情報文化ではパソコン入力か社内便の配送、人間福祉では介護労働を教えているらしい。

私は園芸が楽しいことと思っていたら、親から聞くと、子供たちは、みんな、つらい、いやだと思っているとのことだ。

労働がつらいこと、耐えることと教えて、何の意味があるのか。労働は生きることの一環で、楽しいことではないか。

ホームページを見ると、特別支援学校は軽度の知的障がいの子が行くこととなっている。しかし、なぜ、知的障がいの子は雇用主の奴隷にならないといけないのか。

しかも、「ありがとうございます」しか言わない子も、「はいそうです」しか言わない子も、私から見れば、知的障がいではない。
手間のかかる子として、いじめられっ子として、普通級から締め出されただけで、私が教えれば、普通に勉強でき、豊かな言葉と感性を持った子たちである。
パソコン検定や漢字検定にも、うかるのである。
そんな子たちが、なぜ、知的障がい者として、自分のプライドをぼろぼろにして、「ありがとうございます」「はいそうです」とだけ言って、生きていかなければ ならないのだろうか。

泣いていいんだよ、と私は女の子に言った。
嫌なことは、やらなくていいんだよ、と私は言いたい。
人間には基本的人権が生まれながらにしてあるんだ。
だれにも人間の心を破壊する権利はない。

私の愛すべき子供たち、右利きと左利き

2021-05-25 09:32:54 | 愛すべき子どもたち

私の、死んだ父は、子供のときに、左利きを右利きに矯正された、と同じく死んだ母が言っていた。父は確かに左手が右手と同じように使えた。母が、父の子供時代のことをわざわざ私に話ししたのは、子供を無理やり矯正すると心がいじけると、母が思い込んでいたからだ。

最近、NPOに、左手で字を書くが、右手の指で漢字をなぞって、書き順とかを覚える子がいる、のを目撃した。私がその子にパソコンを教えているのだが、キーボードを見ずに両手でタイピングができる。本当に左利きなのだろうか。それとも、そもそも、左利きとか右利きとか言うこと自体がウソで、社会習慣に従うか否かの問題なのだろうか。

そう思うのは、私自身が、右と左の区別がつきにくい子だったからである。今、思い返すと、対面した時、相手の左側は自分の右側であることが、理解できなかったからである。数学的にいえば、対面した時は、相手と自分は軸対象の関係にあり、鏡の自分を見たときは、映っている姿と自分は面対象の関係である。

これが理屈抜きで理解できないと、相手が右手をあげて、「右手をあげなさい」と言うと、左手をあげてしまう。「お箸を持つ手が右手だ」と言って、お箸を右手で持って見せても、左手でお箸をもってしまう。

学習障がい、発達障がいと言っても、本当のつまずきの原因が同定できないと問題が解決できない。また、問題自体は、どうでも良いことかもしれない。

左利き、右利きは、利き手にあった道具を使えば問題がない。

漢字の楷書体は右利きに書きやすい形になっていて、「漢検」では、漢字の筆跡が、正しく跳ねているか、止めているかが採点の対象になる。これは字を左手で書く者にとって不利である。しかし、ワープロを使えば、両手を自由自在に使える者のほうが有利である。

私の愛すべき子どもたち、梅雨かやってきて 「うつ」になる

2021-05-19 22:46:31 | 愛すべき子どもたち


今年は梅雨が早いらしい。先週の終わりから、雨が振ったりやんだりしている。NPOで子どもの指導をしていると、梅雨になると、体や心の不調を訴える子どもが多くなる。早く来た分、梅雨が早く終われば良い。

先週は元気で、勉強するのが面白くなったという21歳の男の子が、今週、気持ちがなえると言う。何をやってもだめな気がすると言う。悪いことが続く気がすると言う。

これは、「うつ」が始まったのだと思う。4月の中頃は万能感に満ち、動き回っていた。ゴールデンウィーク前には、メンタルヘルスケアで好きな女の子ができたとも言っていた。4月の終わりに、彼は、自分で、そううつ(双極性障害)なのかもしれない、自制しなければいけない、と言った。

彼は、薬による「うつ」の治療を、この6年間続けている。病院を変えて、昨年からの担当医が、彼の相談によくのってくれ、私は安心している。6年間続いた引きこもり状態から、大学に行きたいという気持ちが強くなり、4月から受験を目指した塾にも通い出した。

先週、彼に会ったときは、女の子がメンタルヘルスケアのほかの男の子たちと親しげに話をしているの見て、心が冷めたと言っていた。しかし、まだ、うつ状態ではなかった。私と一緒に英語の勉強ができた。

女の子の件が変化の兆しだったのかもしれない。

彼は、この日曜日にネットで人格障害の記事を読んだと言う。自分が人格障害という気がしてきたと言う。自分は病気だと思い出したら、気持ちが沈みだしたという。そして、悪いことばかりが起きるという。塾の先生も冷たくて自分のことを思ってくれないという。自分は自己愛が強すぎるのだと言う。

だれが、そんな記事をネットに載せたのだろう。うつ病の人はただでさえ心が沈み込みやすい。精神疾患(メンタル・ディスオーダー)というのは、症候群で診断基準はあいまいである。たぶん、自己愛性パーソナリティ障害の記事を読んだのだろうが、パーソナリティ障害群はとくにあいまいで、素人判断して悩むべきでない。薬物治療が効かず、精神動力学など精神分析医が活躍する領域だが、面白おかしく書いた通俗本が多い困った領域でもある。

私は記事そのものを見てないが、自己愛は生きていくに必要なもので、悪いものではないと、彼に話しした。好きな人ができたら、自己愛と他者への愛とがバランスをとれて、生きていくことが楽しくなると話した。それでも気になるなら、担当医に相談しなさいと言った。

そして、二人で、つぎの結論に至った。早くやってきた梅雨が悪い。梅雨が悪い。

ウーウーという うなり声が聞こえてきた暖かい春の日

2021-03-27 22:25:00 | 愛すべき子どもたち


きょう、暖かい日和にさそわれて散歩していたら、ウーウーという大きなうなり声が聞こえた。
あたりを見回したら、釣りの老人がひっくり返って池に頭を突っ込んでいた。みんなが来て引き揚げた。居眠りをしたらしい。しかし、声のくる方向と違う。
池から離れてなだらかな坂道を上りはじめても、また、ウーウーという大きなうなり声がついてきた。後ろを振り返ると、おばあさんが杖を突きながら、ついてきている。おばあさんが、こんな大きなうなり声を出せるのだろうか。
坂道を登りきると、あたりが開けて、子どもたちが水場で遊んでいる。うなり声は近づいてきた。車いすの若者だった。数人でかわるがわるに押していた。ときどき、ウーウーがウッウッに変わった。喜んでいるのだろう。

言葉がでないというのは、本人にとって とても もどかしいだろう。虐待されても訴えることができない。5年近く前の相模原のやまゆり園殺傷事件では、言葉が話せないという理由でだけで、元職員の一人によって、殺された。そうでなくても、知らない人に、自分の気持ちをわかってもらえない。

なぜ、言葉を発せられないかが、私には不思議である。

言葉が発生られないのには、肉体的な欠陥によるものがある。NPOで私の担当したダウン症の子に、何を話しているのがわからない男の子がいた。はじめ、発音の矯正しようとムキになったが、ジェスチャーで意思を表現ができるし、人の言うことは理解できる。矯正をやめた。「かわいい」という言葉だけはハッキリと言えるので、子どもたちのなかでは人気があった。

ジェスチャーは立派な言語である。話すべき事柄が頭の中で作り上げられているのだ。

つぎに言葉が発せられない子には知らない人への警戒心からくるものがある。これは色々な程度に差がある。警戒心を解いてあげれば、話すようになる。

音声器官や聴覚に問題もなく、誰とも話せない子どもに、心理的な問題でなく、知的な問題の場合がある。ジェスチャーもないから知的な問題であることがわかる。ソーシャルワーカーの人によれば、30歳までが勝負となる。言葉が話せないとグループホームに入るのが難しくなる。

私の担当の子どもに言葉が出ない子がいた。はじめて会ったのは、中学1年に上がる前の春先であった。前任者の手首をつかんで離さないので、私が引き受ける羽目になった。女のスタッフだったので、大きくなった男の子がつかんで離さないのが、気持ち悪いという。その前任者に指導をみせてもらうと、その子の手首をつかんで指導するから、その子も彼女の手首をつかむのだと思った。

前任者は、彼が字を読めないし書けないことにムキになっていた。しかし、その前に言葉を発せられないのが問題だと私は思った。いまでも、字を形として認識できるが、音声や意味を伴う記号として、理解できない。

その男の子はいま22歳になっている。毎週金曜日の夕方には親に送られて私に会いにくる。1時間近く会話の練習をする。といっても、同じ簡単な会話のパターンを、動詞を中心に私が繰り返し、ときどき、彼に質問をする。彼がすきなのは、私が「やきいもー♪、やきいもー♪、ホカホカの焼き芋いりませんか」というと「大きい焼き芋ください」と答えるパターンである。練習の最後は、きょう1日に起きたことや、これから起きること、家で何を食べるのか、お父さんやお母さんといつも何をしているかなどを聞き取り、口頭日記として書き取り、親に渡すのである。答えは、毎回同じようでも、少しずつ変化している。

とにかく、とても苦労したが、その子は、話せるようになった。ところが、私のまわりのスタッフが彼の話せることに気づいていない、ということに、最近、私は気づいた。大きくなった彼は、いまだに、飛びはねるし、ウーウーとうなるからだ。それが、彼にとって、とても楽しいことなのだが。

きょう会った車いすの若者にも、もしかしたら、話せる誰かがいるのかもしれない。

出さなかった手紙、悩む愛すべき君へ

2021-01-30 16:04:37 | 愛すべき子どもたち


つぎは、昔、書いたが出さなかった手紙である。
もしかしたら、いま同じように悩んでいる人がいたら、なんらかの役にたつかもしれないと思い、公開する。
   ☆      ☆      ☆
君は「統合失調症」ではない。たとえ、「統合失調症」であっても心配することではないし、それが君と私の関係を変えるわけでもないが、とにかく「統合失調症」ではない。

「統合失調症」が疑われるには、(1)妄想、(2)幻覚、(3)混乱した発語、(4)不可思議な動作、(5)情動や意欲の喪失、などの持続的症状からである。米国精神医学会の診断マニュアルDMS-5によれば、「統合失調症」はこのうち少なくとも2つの症状があり、そのうちの1つは(1)か(2)か(3)である。

決して、一時的なもの、感情の爆発や我を失ったような怒りの表情などで判断されるものではない。

だから、私は、「統合失調症」ではないと君に言う。君に「統合失調症」と言った人も本当はそう思っていなくて、単なる無意味な軽口だと思う。

今回のことは、人に言われたことを気にする君の性格に一因があるかもしれない。これまでも「自己愛型人格障害」「アスペルガー」「心臓病」と君は色々と心配してきた。
心配するのは君の個性かも知れない。無理して治そうとする必要はない。実際、君のようなタイプの人間は世の中にいっぱいいて、とにかくみんな生きている。関心を楽しいことに向けよう。

私は、人格などはその人の記憶によるものだと思っている。「こころ」は脳の記憶と脳の活動によって生まれると思っている。

最近読んだ『つながる脳科学 「心の仕組み」に迫る脳研究の最前線』(ブルーバックス)によると、ネズミも「うつ」になるそうだ。正確に言うと、この本の著者たち(理化学研究所脳科学総合研究センター)は、「うつ」が発症する脳の仕組みを研究するため、「うつ」のマウスを人為的に作っている。脳科学は非常に興味深い分野だが、人間中心の残酷な世界でもある。

どうやって「うつ」のマウスを作るかというと、そのマウスに嫌なことをいっぱいする。しっぽを縛って吊るすとか、水責めにするとか、電気ショックを与えるとか、するわけだ。そうすると、マウスは「恐怖学習」をする。例えば、一定の場所で電気ショックを与えると、その場所に置くだけでマウスは動けなくなる。学習したのである。いやなことをいっぱいされたマウスは「うつ」になる。

「学習」とは脳に神経回路して記憶されたことである。「記憶」が「うつ」を作ったのである。

マウスが「うつ」であるかは、「食欲」「睡眠」「緩慢な動作」「疲れやすい」「集中力の低下」「興味の喪失」「子育て放棄」で定量的に判定できる、という。
もちろん、著者たちは「うつ」を治す実験もしている。「楽しい」体験をさせることである。彼らが選んだ「楽しい体験」はセックスである。少なくてもマウスは一時的には「うつ」でなくなる。

著者たちは科学者である。楽しい記憶で不快な記憶が消えたかどうかも、実験した。マウスの脳に光ファイバを突っ込み、不快な体験が記憶されている部分に光で刺激信号を送る。すると、マウスはまた動けなくなった。

嫌な体験の記憶は消去されてない。ただ、「楽しい」体験の記憶と「嫌な」体験の記憶が争っていて、どちらが想起されるかであったわけだ。

君は楽しい体験をいっぱいして、何か嫌なことがあっても、それらの楽しかった体験を思い浮かべ、早く立ち直られるようになればよい。

この科学者の発見は、9年もかけて多数のマウスに苦痛を与えて得た教訓であるから、マウスたちに感謝しながら、役立てていこう。記憶から自由になろう。