猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

権威に逆らうことはとっても楽しいだゲームだ

2022-01-12 22:11:45 | 愛すべき子どもたち

先日、九州にいる息子が、あかんべーをしている孫の動画を送ってきた。3歳を過ぎたばかりであるが、親に逆らって、わざと変な顔をする楽しさに、孫は気づいたのだろう。

逆らうことは楽しい。妻といっしょに笑いながらその動画を見ていた。

この9年間、NPOで、知的に発語が難しい子ども(22歳)の言語指導を私は行っている。自分の思いを言えないとストレスが溜まるだろうし、外で虐待されても話せなければ訴えることができない。会話の練習をしているのだが、その子は、ときどきストレスが溜まって、私に逆らいたくなるように見える。そんなときは、わざわざ、逆らうように私は仕掛ける。

「リンゴが好き?」と私は問う。その子は「好きじゃない!」と返す。本当はリンゴが好きなことを私は知っている。「バナナが好き?」と私は問う。その子は「好きじゃない!」と返す。これも、好きなのである。私はつぎつぎと果物の名前をあげていき、その子はすべて「好きじゃない!」と答える。つぎに「ケーキが好き?」とお菓子や飲み物に移る。それも終わると、料理に移る。「好きじゃない!」というゲームを終えたいときには、「お母さんが好き?」と言えばよい。すると、その子は「好き!」と答える。

それでゲームはおしまいになって、その子は上機嫌になる。

逆らうことは本当に楽しい。

私も、中学生や高校生のとき、先生をからかったり、逆らったりした。その楽しさが、わかる先生は、みんなの前で、そのゲームに参加してくれた。ところが、たまに、それがわからないで、みんなの前で、「そんなことをしていると、ろくな人間にならない」と真顔でお説教する先生がいた。権威に逆らうことの楽しさを理解できない先生がいた。


愛すべき子どもたち、新型コロナ後の世界がいま始まる

2021-11-21 21:51:41 | 愛すべき子どもたち

いま、不思議なほど、新型コロナが なりをひそめている。海外では新型コロナの感染がぶり返しているのに、日本では静かになっている。

理由がわからないが、子どもを相手にしている私たちにとって、これは、ありがたいことである。私のいる放課後デーサービスでも、子ども同士が接触しない対面指導に加えて、子ども同士が遊んだり、食べたりすることを、先週から解禁した。教室が、急に にぎやかになった。華やいだ。まだマスク着用が原則だが、うれしい限りである。

うれしいことはそればかりでない。

胆管を手術した子どもがようやく退院できた。炎症を起こして手術の予後が悪く、とても心配だったが、あすからリモート学習に復帰できる。母子家庭の子である。

彼は、物理や数学が好きな工業高校の電気科2年生だ。障害をもった人の義手・義足を開発したいという。人に負けたくないという性格があるので、点数をとることより、好奇心と考える能力を育てたいと思い、高校の範囲を超えた話をしてきた。一般相対論や量子論の話もしてきた。よく、私の話に食らいついてきた子だった。

また、今年の4月から担当した子どもが高校に受かった、と木曜日に連絡があった。この子は会ったときからずっとマスクをしていたので、素顔をしらない。

勉強がまったく嫌いだし、じっさいに、できない。勉強になると全くいじけてしまう。好きなことはゲームである。パソコンゲームやアーケドゲームをしまくっている。中学でパソコン部にはいっているので、プログラミングが好きかと思ってC言語を教えようとしたが、成功しなかった。私の教え方は難しすぎると言う。

彼もユニークな子である。キーボードからだとどんどん文章が書ける。勤め人ではなく自営業になりたいと言う。どんなことをしたいかと問うと、VRカフェを開きたいと言う。安い値段で仮想現実の世界をみんなに楽しんでもらいたいと言う。

彼の受ける高校の入試に面接と作文があった。面接は大丈夫だと本人は言う。親は作文が心配だと言う。キーボードからだと どんどんと書けるから大丈夫だと思ったが、紙と鉛筆をもたすと全然書きだせない。本人は手が自然に震えると言う。書けた文章も、小学校低学年の漢字も書けていず、平仮名ばかりで、読みにくい。せっかくの個性あふれる文章が紙だと展開できない。

こんなユニークな子を見捨てよいものか。

作文の課題を予測して、練習することにした。キーボードから入力した自分の文章を鉛筆を使って紙に写す。筆圧が弱いので、芯のやわらい鉛筆を使う。小学校低学年レベルの漢字は できたら 覚える。句点と読点の使い方をまちがわない。平仮名が多くなって読みずらいときは、1字コマをあけるか、句点をいれる。漢字使用の反対論者の私が、とにかく、読める文章を作成するよう、指導した。

いまは、子どもの自尊心を傷つけにすんだので、ほっとしている。本当は、マス目の原稿用紙に文章を起こすのは、作文という観点からは間違っているのだが。


気持ちが落ち込んだとき何か気楽にできることがあるとよい

2021-06-01 22:54:51 | 愛すべき子どもたち


今年も大変な子どもをNPOで何人か引き受けた。心が傷ついている子が特に大変である。閉じた家族の空間でぐるぐる回って親子が傷つけあっている。私のところに通ってくれるだけでうれしい。通ってくれれば何とかできるかもしれない。心の重荷がいまより少しでも軽くなってもらえるかもしれない。

このまえの梅雨で落ち込んでいた若者は、また、元気をとり戻しつつある。先週、会ったときは、昔は自分だけでなく母親も弟も、家族みんながおかしくなっていた、と自己診断している。大学受験のためもあるが、生まれてはじめて英語の勉強するのが楽しくなったと言っていた。強くなっているし、もっと強くなれる。

その彼から、突然、金曜日の夜遅くに、「孤独すぎて頭がおかしくなりそうです。なにも楽しいことがありません。」とメールが来た。

もしかしたら、メンタルヘルスケアで出会った女の子への失恋が尾を引いているのかもしれない。先週の彼との会話を思い出すと、中国の話したこともないYou Tubeの女の子と話すために中国語を勉強したい、と言っていた。

その若者は、強迫症と絡まって、うつがもっとひどいときだが、アイドルに熱を上げる理由を教えてくれた。アイドルとは偶像(アイコン)なのだと言う。実在しているが、自分とはつながることない切り離された対象なのだ。だから、安全なのだ。

その若者が実在の生きている女の子に恋をしたというのは、うつが治りつつある証拠だ。あの世からこの世に関心が移ったのだ。あの世からこの世に生を移せば、気落ちすることはいっぱいある。気落ちしてもまた元気になればよい。また元気になれるなら、どんなに落ち込んでも、うつとはいわない。

それに、その女の子に本当に嫌われているのか、彼の話を聞いても判然としない。まだ、女の子にアタックする勇気がないだけかもしれない。まだまだ、成長する余地がある。まだまだ強くなれる。

とりあえず、私は、先々週受けと取った彼のエッセイ『病気』をほめて、以前の未完の音楽論、『作曲家ラモーリス・ラヴェル』を書き上げるよう、メールを送った。

それでも、不安なので、私のお気にいりのマリナ・デビャトワ(Марина Девятова)が歌う"А он мне нравится"をYou Tubeで聞いてみるように、メールをもう1度送った。さらに、この曲の歌詞を、わざわざ、ロシア語のままつけ、「翻訳ソフトで訳しみてごらん」とメールした。

気持ちが落ち込んだときには何か気楽にできることがあるとよい。そう思ったのである。

1日して、彼からメールが来た。「さっきまでラヴェルの文章を半年ぶりに書き加えてました。気分が良いものです。」

さらに1日遅れて、「歌詞、翻訳して書き出しました。歌詞の意味を知って、深く共感しました。正に今の僕の境遇を表したような曲だと思いました」とメールが来た。

送った歌曲は、ウラジミール・シャインスキー (Владимир Шаинский)が若いとき、トップ人気歌手アンナ・ゲルマンに捧げたコミカルな曲で、大ヒットしたものだ。というのは、ウラジミールはとても小さいユダヤ人で、アンナは大きなドイツ系の女性だからだ。

曲のタイトル"А он мне нравится"は、「それでも彼は私が好き」という意味である。ネット上では「彼が好き」というタイトルで広まっているが、それは間違い。

その歌詞は、彼は小さくて不似合いだとみんながいうが、彼は私のことを大好きだ、という女の「好かれるのがうれしい」という微妙な気持ちをコミカルに歌い上げたものである。アンナが歌うとコミカルの中にシニカルさを感じてしまうが、民謡歌手のマリナが歌うと、明るいコミカルな曲になる。そして、送ったマリナのYou Tubeでは、老人になった小さいウラジミールがマリナの歌声に伴奏している貴重なものである。

興味を持たれた方のために、歌詞の一番のみをかかげるから、翻訳ソフトをためしてみてください。

 А он мне нравится

Мне говорят: «он маленького роста»
Мне говорят: «одет он слишком просто»
Мне говорят: «поверь что этот парень
Тебе не пара совсем не пара. »
А он мне нравится, нравится, нравится!
И для меня на свете друга лучше нет
А он мне нравится, нравится, нравится
И это всё, что я могу сказать в ответ

愛すべき子供たち、白いマスクの彼

2021-05-29 21:26:23 | 愛すべき子どもたち


昨年から、新型コロナ対策で、NPOの対面指導は、ともにマスクをつけて行うことになっている。といっても、二十歳過ぎのひとりは、目を離すとマスクがあごにある。お願いするとマスクを また あげてくれる。彼の場合はひとりで外に出かけることはないので、感染しているリスクは低いと思っている。

私自身は、去年より、マスクが苦痛でなくなっている。それでも、マスクをはずすとホッとする。

私のところにずっと通ってくれる子に、ずっと、白いマスクをつけていた子がいた。8年前にはじめて会ったときから、彼はマスクをつけっぱなしだった。こんな窮屈なマスクをしないと、彼が外にでることができないとは、私は、新型コロナのまん延でまで気づいていなかった。外の人びとの目が彼をひどく苦しめていたのだ。

下記は、2年前に、彼がマスクをはずしてNPOに通うことができるようになって、私がうれしくなって書いたブログである。

   ☆    ☆     ☆

私が指導を頼まれたときは、彼はもう25歳をすぎていた。いまは31歳のはずである。

彼の父親がアドビ社のイラストレーター(グラフィックス作成ソフトの一種)を教えるよう、私のNPOに頼んできた。
が、誰も引き受けない、それで、私がIT会社にいたということだけで、私に話しが来た。もちろん、私も使ったことのないソフトだが、断り切れず、引き受けた。

その子は、白いマスクをして、両親とともに来た。父親はニコニコした気さくな人で、イラストレーターの導入DVDを持ってきた。
私は会話のないまま、パソコンの指導を始めた。

彼は、それまで、私のNPOで、ピクシブ(pixiv)を使ってアニメの絵をかいていた。その日も、以前と同じくピクシブで描き始めた。騎士の格好をした少女たちのイラストを、上手に描き始めるのでビックリした。少女たちの顔が、どこか、彼の母親の面影に似ていた。

心から絵が上手であると思ったことが良かったようだ。会話のないまま、私と彼の間に居心地の良い空間が生まれた。

DSM-IVの「自閉症」の診断では、会話が重視される。この定義では、彼は「自閉症」となる。DSM-5では、「対人的情緒的相関係の欠如」と「限定された関心とか奇妙な行動」が重視される。初めて出会った私と、会話のないが居心地の良い人間関係が生まれたということは、DSM-5の「自閉スぺクトラム症」にあてはまらないのでは、思った。

彼が白いマスクをはずさないということのほうが私には気になった。
社交不安症か強迫症があるのではないかと疑った。そのため、彼が嫌がる行為をしないように気をつけた。とにかく、物事を教えるというような、上から目線の態度を取らない、すなわち、指導しないことにした。
相手が困ったときにだけ、少し助けることにした。

ピクシブとは、画面を画素の集まりとして画素を塗りつぶしていくソフトである。これに対し、イラストレーターは、線や図形の集まりで絵を作る。線や図形は、削除はもちろん、位置、大きさ、形、色の修正や、重ねる順序の変更ができる。全く、異なるタイプのソフトである。

どうして、ピクシブからイラストレーターに切り替えできたのか、私は全く覚えていない。
あるときから、突然、切り替わった。
それまでは、彼は、毎回、ピクシブで母親そっくりの少女たちの群像を描き、残りの時間に、私は、イラストレーターの機能を少しずつ使ってみせた。

イラストレーターに切り替わると同時に、描く内容も、まるっきり変わった。花や草や虫や小鳥や動物や魚や蟹を描くようになった。私を感動させるために描いているようだった。

2 年ほどして、彼の母親から感謝された。家では暴れなくなったという。私としては指導なんて何もしていないのに。

父親から、今度は、英語の指導をも頼まれた。同僚が引き受けてくれた。英会話の練習教材、ステップアップ・イングリッシュを使った。DVDを聞いて英語を話すので、白マスクをはずさざるを得ない。しかも、それ以上に同僚の教材選択が良かった。
教材は、DVDで、短い会話を聞いた後に、質問への最適の答えを選ぶようになっているのだが、正解以外は、会話に出てきた単語を使っていても、質問とは脈絡がないようになっている。
会話とは脈絡があるやりとりである。教材は会話の練習になっている。

今は、英語の指導も私が引きつぎ、イラストレーターと英語とを交互に週一回やっている。
気づいたら、彼は白マスクをもうしていない。

この前、私が教室のカギを忘れ、入れない事態が生じた。妻にカギを届けてもらったのだが、そのとき、私と彼とで、駅の改札口で妻を待った。
パニくっているのは私だけである。

カギを届けてもらった後、彼は私にこう言った。
「先生、今度から鍵を忘れないようにしてください。」

白マスクがとれただけでなく、いつのまにか、二人の間に会話が成立していた。

私の愛すべき子供たち、女の子になりたい男の子

2021-05-25 09:35:10 | 愛すべき子どもたち

私がNPOで担当した子どもに、生まれ変わって女の子になりたい男の子がいた。男の子と言っても、母親に連れられて来たときには、もう、養護学校高等部を卒業し、18歳は過ぎていた。「この子の知能は小学校1年生レベルです」と、母親がわたしに言った。

小学校1年生レベルなら、自分の考えをもつに十分に賢い、と私は思う。
その男の子は、「いつ地球が爆発し、死んで生まれ変われるの」と、私に、いつも、たずねてきた。私は、「いつ爆発するか わからない、しかし、人間が生まれて死ぬまでより、ずっとずっと長く、地球が爆発せずにあるのだよ」といつも答えていた。

その男の子には妹がいた。その男の子は、妹や母親のように、女の子になれば、チャラチャラと着飾って、みんなからチヤホヤされると思い込んでいた。たぶん、その子は、男の子だから母親にバカにされるのだ、と思ったのだろう。

そう、本当は、その男の子は、死んで女の子に生まれ変わりたかったのだ。私に、その気持ちに同意して ほしかったのだ。

女が得か損かは簡単に言えない。
女の子のだれもが、その男の子の思うような人生を歩めるのではない。
自立せずに、だいじに保護されながら、バカにされず、自由に生きていくのは、男でも、女でもむずかしい。

しかし、男らしく生きることが、争って他の人から何かを奪い取ることなら、男らしく生きることもない、と思う。

私は、子どもときから、乱暴な子は嫌いだ。小学校にはいったとき、乱暴な男の子が、ハタキやホウキをもって教室で暴れているのに、びっくりした。それから、女の子が私の遊び友達になった。

争わず、穏やかに生きることが女らしいなら、生まれ変わらなくても、男も女も、女らしく生きれば良い。