2週間前の朝日新聞の『悩みのるつぼ』に、「両親を施設へ 一生後悔しそう」との50代の女性の相談があった。回答者は姜尚中であった。私も後期高齢者のひとりになったので、一言いいたい。
相談の要旨は、入所したくない90代の両親を「特別養護老人ホーム」に入れたのだが、父は怒っており、母は泣いているので、罪悪感にさいなまれる、この罪悪感を消したいというものだった。姜尚中は、老人の介護は社会の責任と考えることで、心の重荷を軽くしましょう、と答える。
私は、姜尚中と違って、相談者が「罪悪感」を持つことは別に悪いこととは思わない。姜尚中も、彼女が「罪悪感」を感じたことを、まず、ほめてあげて良いのではないか、と思う。
つぎに、この相談に具体的に答えるには、いくつもわからないことがある。
1つは、両親と相談者の関係がわからない。90代の両親と50代の女性の間に歳の開きが40歳もある。90代の両親の子どもは相談者だけなのか。あるいは、自分の親でなく、夫の親だろうか。なぜ、相談の中に、夫がでてこないのだろうか。
1つは、特別養護老人ホームの入所まで「両親とは2世帯同居で、私は介護でクタクタ」とあるが、どうして「2世帯同居」したのか、なぜ「クタクタ」になるまで介護したのか、ということである。
私の母は子ども夫婦と同居したくないと言い続けていたが、母の意思に反して弟は両親と同居した。弟は世間体を気にしてと、父の資産を管理するためである。
現在、自宅介護の制度があるのに、なぜ「クタクタ」になるほどの介護をしたのか、との疑問も生じる。制度を利用して「クタクタ」になるのを避けるべきである。
また、特別養護老人ホームに入所できるためには、要介護3以上の認定を受ける必要がある。本当に自宅介護ができないほど認知症が進んでいたのだろうか。
また、特別養護老人ホームで、両親は一緒に暮らすことができたのだろうか、という疑問もある。特別養護老人ホームは費用の安い公共施設であるから、ホテルと違い、人としてのリスペクトを払われていないケースが多い。
相談者は母とだけ面会して、父との面会を避けているから、別々に老人ホームで暮らしている可能性が高い。
わかっていることは、両親は「施設には絶対入らない。親の面倒は子どもが最後まで見るのが当たり前だ」と言ってたことだ。入所が2人の意思ではない。
「親の面倒は子どもが最後まで見るのが当たり前」は間違っている。子どもが親の面倒を見るか否かは、あくまで子どもの意思による選択である。
リベラル思想の元祖、ジョン・ロックは、私的所有を肯定していて、子どもが親の面倒を見るのは遺産を引き継ぎたいからだと言っている。相談者が「2世帯同居」したことに、親の土地、家屋を相続したいという気持ちがあったのではないだろうか。それとも、自分の力で獲得した土地と家屋に、可哀そうな両親を引き取ったのだろうか。
私の母は同居したくないと言っていたのに、弟夫婦が転がり込んで、母は隅で小さくなっていた。言いたいことも言えずに小さくなっていた。死ぬ数年前に老人ホームに入れられ、怒りまくって死んだ。
私の80歳の兄は、自分の子どもたちや妻と別れて大阪の安アパートの一室で一人で暮らしている。足腰が弱くなって伝い歩きしかできない。訪問介護者をたよって、かろうじて生きている。兄にとって、それが自分の生き方なのだ。
私も特別養護老人ホームに入りたくない。老人ホームの母を見舞ったが、まず、ホームから出れないように鍵がかかっている。部屋は何人か一緒に使用する。それだけでなく、集団生活が強制される。1日の時間の使い方が管理されている。母には、したいことがいっぱいあったのだ。
私はみんなと同じテレビを見たくない。みんなと同じ歌を歌ったり遊戯をしたいと思わない。みんなと同じものを食べたいと思わない。思索にふける時間が欲しい。知的な会話がしたい。研究をしたい。美しい異性と会って眺めていたい。
人間はいずれ死ぬのである。死ぬまでの時間の使い方に自由が欲しいのである。子どもが、その自由を奪うのには、納得できない。