宇野重規の『西洋政治思想史』(有斐閣アルマ)は薄いわりに古代から現代までの政治思想の展開の見通しを与えてくれる便利な書である。
しかし、内容に私は満足しているわけではない。私と宇野との間にいろいろな意見の相違がある。
宇野は、民主制(デモクラシー)を攻撃したプラトンやアリストテレスの思想に、好意的な記述をしている。私はプラトンやアリストテレスは西洋の政治思想に悪影響を与えてきたとみている。こういう見方は私だけでない。バートランド・ラッセルは『西洋哲学史』の中で、M. I. フィンリーは『民主主義 古代と現代』の中で、プラントやアリストテレスを徹底的に批判している。
プラトンは、『国家(Πολιτεία)』(岩波文庫)の中で、理想国家は守護者と補助者と一般の働く市民からなり、政治は教育のある守護者が行い、補助者は戦士で、一般の市民は黙々と働くだけで良いと言っている。この身分制を一般の市民に納得させるには、神が守護者を黄金で作り、補助者を銀で作り、農夫や職人を銅や鉄で作ったというウソを広めれば良いとまで言う。
これには、10年前『国家』を初めて読んだとき、びっくりした。
のちにフィンリーを読んでわかったのは、この3階層が古代ギリシアの都市国家にじっさい存在したことだ。金持ちの子息は働くことがなく、広場に集まって議論して毎日を送る。守護者のモデルである。少し余裕のある市民は、いざ戦争のとき、自分で重武装をして参加する。補助者のモデルである。農夫や職人には自分で楯や槍を準備できない。
フィンリ―は、貧しい市民は自分のお金で武装できないが、船の漕ぎ手として、海戦に参加していたという。
民主制の都市国家は、この3階層を区別することなく、市民の全体集会である民会が最高議決機関であった。プラトンは民会を否定しているのだ。自分の出自、金持ちの子息だけが政治を担当するのが理想だと言っているわけである。
プラトンは、民主制では「自由放任」のため貧富の差が拡大して、金持ちからお金を奪いとろうと扇動するものが現れ、僭主制(独裁制)になるから、良くないと主張する。じっさいには、アテネがスパルタに負けた一時期を除いて、アテネの民主制は安定して続いたとフィンリ―は主張する。
ラッセルは、プラトンの理想国家はスパルタをモデルにしていて、プラトンの一族がスパルタに敗戦したあとの30人政権(寡頭制)に関与していたと、指摘している。
政治思想というと、どうしても、書物に引きずられ、文字を書きつづるインテリの声が大きくなるが、社会の実態を調べ,当時、どのような考え方で社会が動いていたかを考察すべきである。
宇野に東大法学部卒エリートの薄っぺらさを感じとってしまう。