猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

知的能力障害か自閉スペクトラム症か

2019-06-04 20:59:45 | 育児


古荘純一の『発達障害とは何か 誤解を解く』(朝日選書)を読んで、2章、3章の世間や支援者の「誤解を解く」には納得いくが、4章、5章はしっくりこない。

私は医師でないので診断名を下す立場にない。どのような診断名であろうと、学習指導を通し、その子と人間関係を築き、その子が親やまわりと人間関係を持てる地固めをするのが、NPOでの私の役目である。私が直接担当していない子どもたちともコミュニケーションを取り、どのように成長していくか、いつも観察している。

そんな中で私がいつも不思議に思うのは、明らかに知的な困難を抱えているのに、親や医師は「自閉症的」や「自閉スペクトラム症」という診断名のほうを好むことである。「自閉症的」や「自閉スペクトラム症」からと言ってその子が別に素晴らしくなるわけではない。かえって、通俗本を読んだり、インタネットを見たりして、自分の子を色眼鏡で見るようになる。

「自閉症的」や「自閉スペクトラム症」とされている子どもたちも、決して、ほかの子どもといっしょにいることがいやではない。決して普通の子以上に音に敏感なわけではない。だれだって、はじめての環境にはとまどう。乱暴な子を恐れる。

「知的能力障害」のほうが、色々なレベルや現われ方があるので、スペクトラム症と呼ぶに適している。よく観察して、伸びる能力があれば伸ばしてあげることのほうが大事だ。

DSM-5の基準で「知的能力障害」といえないレベルでも、学校ではお荷物扱いを受け、差別にあっている。学校の先生が子どもを虐待していることがある。いじめや虐待の期間が短いと、心の傷は比較的簡単にいやせる。それこそ、早期にいやさないといけない。

知的困難が大きいと話せないものと誤解されるが、発声機能と短期記憶に問題がなければ、音声でコミュニケーションができるようになる。オウム返しができれば、話せるようになる。簡単なことでも、毎回同じでも良い。「お母さんが好き」と言えるだけでも良い。最後の味方は親だから、親子のコミュニケーションこそ大事である。

ダウン症の子どもたちは賢い。聴覚機能や発声機能に障害があっても、人の気持ちを読むことができることが多い。ズルもできる。言語によらない体全体を使ったコミュニケーションをしてくる。

知的レベルがもっと高くなると、自分がなぜ人と距離をとるのかを説明してくれる。先生も自分のように内気なのでしょうとか、みんなに合わせるのが嫌いだとか、ディズニーランドに行ってもお金がかかるだけで楽しくないとか、色々教えてくれる。すべて個性の範囲である。

嫌いな人と話さないのも人生における選択である。いやなことをしなくても私のように生きていける。

古荘純一の「発達障害」の理解はDSM-IVに近い。私は「知的能力障害」を「自閉スペクトラム症」と同じく「神経発達症群」のカテゴリーに入れるDSM-5のほうが納得いく。

本当に「自閉スペクトラム症」の子がそんなにいるのかも不思議だが、私の立場からすると、「知的能力障害」か「自閉スペクトラム症」かを詮索するよりも、親子がありのままで幸せに生きていければよい。可能なのだ。

親によっては子どもを「勉強もでき世渡り上手」に育てることを希望する人もいる。それって、他人を踏みにじる子どもに鍛えてくれというようなもので、私の仕事ではない。


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